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ココロ図書館【アニメ】

2015/03/22


 2001年秋から放映されたテレビアニメです。原作漫画は2000年から2002年に月刊誌に掲載され、コミックが3巻出ています。筆者的にはコミックの方はそれほど楽しめませんでしたが、アニメ版は、いまだにこれに勝る作品を探すのが難しいくらい素晴らしい逸作だと思います。日本のアニメ業界は世界に名だたる数々の名作を輩出してきたわけですが、この作品があまり有名にもならず、それほど高い評価も受けなかった意味が解りません。
 毒気のまったくないふわふわ作品なのですが、1話からその世界観に引き込まれ、話数を重ねるごとに深みにはまって行き、クライマックスではもう感動の嵐でした。人里離れた山奥にあるさびれた図書館を運営する三姉妹のお話しで、壮大なスケールのスペクタクルなんて期待しようもなく、ふわふわの日常が展開するだけなのですが、その些細で小さな日常の中に驚きと感動がいっぱいつまっているんですよ。刺激を求めて日常がかすんでいる現代人にとっては、まさに開眼の一作です。

 どこまでも広がる豊かな緑と清らかな小川、どこまでも牧歌的な風景の中に、いささか荘厳な感じの図書館が建っています。その運営を仕切っているのは、3人の姉妹。長女の いいな 17歳、次女 あると 15歳、末っ子の こころ は10歳です。可愛らしいエプロンドレスの司書たち、でもお客さんが来ない。ここを訪れる人間と言えば、時おり本を運んでくる配送屋の上沢さん、こころの友だちの あかはちゃんくらいのものです。上沢さんは、いいな に気がありますが、おっとり屋の彼女はまるでそれに気づいていません。次女の あると はしっかりもので、姉妹たちには内緒で少女小説を執筆し、その印税を家計に回していたりします。部類の読書好きの こころ の愛読書は ひめみやきりん先生の小説ですが、きりん先生の正体がじつは……。
 ある時、出版社の企画で、こころが読者として きりん先生と対談することになります。憧れの きりん先生がわざわざココロ図書館にやって来るというので、こころ と いいな は天使の格好でお出迎えです。ところが あると の姿が見当たりません。
 ある時、ココロ図書館に怪盗ファニー・トータスという変装の名人の盗賊が襲来します。怪盗の狙いは、大切な蔵書「ジョルディの日記」。梶原警部と婦警軍団カージーズ・エンジェルがファニー・トータス逮捕に挑みますが、誰にでも姿を変え、こころ や警部にまで変装してしまうファニー・トータスにしてやられます。
 ある時、こころは、新人司書研修のために汽車に乗って独り町に出かけます。気落ちした いいな は、あかはちゃんに こころ の司書服を着せて寂しさを紛らわそうとします。一方 こころ は泊りがけの研修で、相部屋になったコンパロイドと仲良くなります。人間と普通に会話することができる自立型ロボットのコンパロイドも司書になるべくお勉強です。
 ある時、新任の女性市長がココロ図書館を訪れることになりました。姉妹は嬉々として歓迎の準備をするのですが、市長の来館の目的は、ココロ図書館への助成の打ち切りを伝えることでした。利用者のほとんどいない図書館に、これ以上税金を回すわけにはゆかない、苦渋の選択を自ら伝えるために彼女は図書館を訪れたのです。ココロ図書館ピンチ。たくさんの利用者がいれば……。

 そして時は今を去ること二十数年前、町は戦火の中にありました。駐留する小隊と共にここを訪れた新兵のジョルディは、瓦礫に囲まれて失意の人々の中で、希望を失わずに献身する看護婦と出会います。
 やがて終戦を迎え、ある奇跡が起こります。ジョルディは看護婦と結婚し、ここに図書館を建設します。戦争から町の再建に至るこのエピソードには、梶原とか、亀やんとか、聞いたことのある名前があれこれ登場しますよ。例の女性市長のお父さんもいたりします。彼女が父から図書館建設の経緯を聞かされていたとしたら、助成の打ち切りはまさに苦渋の判断だったでしょうね。でも、じつは彼女は、ある言葉を信じていたのかもしれません。「ココロ図書館には奇跡が起こる」

 みずみずしい大自然の映像と共に、音楽が素晴らしいです。目を閉じて音楽を聴いているだけで、キラキラとした野山の情景や、キャラクターたちの心情まで伝わってきます。実際、会話を抑えてBGMだけで表現するようなシーンがいくつかありました。
 みなさんもぜひ、この透明感あふれる感動に触れて、ココロを洗われてください。

2001年〜 アニメ放送 全13話。
原作:睫攷孝、監督:舛成孝二。
声出演:斎藤千和、沢城みゆき、市原由美、金田朋子、雪野五月、佐々木瑶子、三木眞一郎、夏樹リオ、立木文彦、藤原啓治、千葉進歩、根谷美智子、坂本真綾、こおろぎさとみ、冬馬由美、ほか。

リトル・ショップ・オブ・ホラーズ【映画】

2015/03/25


 SFホラーミュージカルなどと言うと、B級作品臭がプンプンしますが、もともと1960年にアメリカで製作されたB級ホラー映画でした。人食い植物に取り憑かれた青年の悲劇を描いた白黒映画でしたが、恐怖映画なのになぜかコミカルなシーンがあったりして、人間の愚行を笑い飛ばすようないささか風刺の利いた考えさせられる作品でした。日本では劇場公開されておらず、筆者は子供の頃にテレビで、かなりビビリながら観ました。その後、大人になってレンタルDVDでもう1度観たのですが、むかしのホラー映画のセンスは何とも言えないですね。笑っていいのやら怖がらないといけないのやら、とにかく呆然としてしまいます。でも恐怖映画にギャグ要素を盛り込んでいるのは、あの当時にしては画期的だなぁ、なんて変なところで感心したりして。
 それから20余年の歳月が流れた1982年、このB級映画はミュージカル作品として生まれ変わりました。1984年には日本人キャストによる日本公演もおこなわれています。1960年版の映画は現在では著作権不在のパブリックドメインになっていますが、ミュージカルの方は、大ヒットしました。ミュージカルと言えば、「雨に歌えば」とか「メリーポピンズ」とか「オペラ座の怪人」とか「Cats」とか、文芸作品やロマンチックなものを思い浮かべますが、大むかしのほとんんど知られていないようなB級ホラー映画がミュージカルの原案になり、しかも大ヒットするなんて、面白いものですね。

 そして1986年、今度はハリウッド映画として再び作品化されました。筆者が紹介したいのは、このハリウッド版「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」です。ミュージカルの映像化で、映画もミュージカル作品になっています。ストーリーや登場キャラは、大筋において1960年版白黒映画を継承していますが、ひじょうにロマンチックで楽しい親しみやすいものに変更されています。SFホラーと聞いただけでアレルギーを発症する人でも、この作品はそうした括りとはまったく別物の、感動の人間ドラマとして楽しめます。

 孤児のシーモアは、花屋のムシュニクに拾われ、店員としてこき使われています。同じ店で働くオードリーは、サディストの歯科医オリンの愛人なのですが、日々の虐待に堪えかねています。いつかこのダウンタウンを抜け出して幸せをつかみたい、それが2人の夢でした。
 ある時シーモアは怪しい中国人の店で奇妙な植物の苗を購入します。ドジでのろまなシーモアは、毎日のように店主のムシュニクに怒鳴られていますが、彼が手に入れた奇妙は植物をショーウインドウに飾ったとたん、大勢の客が押し寄せるようになります。幸運をもたらすその植物をシーモアは、思いを寄せているオードリーにちなんで、オードリー兇般召鼎韻泙垢、その植物には恐ろしい秘密があったのです。すなわち人の生き血をすする吸血植物なのでした。シーモアは、誰にも気づかれずに自分の血を与え続けますが、成長するにつれて大量の血を欲するようにあります。
 ある時、植物は人の言葉を話し出し、街には生きていてもしょうがない人間がたくさんいるとそそのかします。
 植物はどんどん成長し、ムシュニクの花屋は大繁盛、シーモアは有名になりマスコミに引っ張りだこです。でも街からはひとりまたひとりと人がいなくなり、歯科医のオリンがそしてムシュニクまでもが姿を消してしまうのでした。

 成功と引き換えにシーモアは恐ろしい世界に足を踏み入れて行くわけですが、それをこの映画は陽気に明るく描いています。ミュージカル映画がとくに好きってことはないのですが、この作品に用いられている曲はどれも名曲でこころに響きます。筆者が映画館に観に行ったのはまだ高校生の時でしたが、今でもそれらの曲のメロディをよく覚えています。まぁそれほど繰り返し観たってことなんですけどね、ビデオとか借りて。
 最後の映画版が公開されてからでも30年以上経つわけで、最新作ですら古典作品になっちまっているわけですが、今観ても素晴らしい映画です。むかし良かったと思った映画でも長い歳月を経て観直すと、やはり古くてちゃっちぃなぁ、そう思えることは多いですが、この作品に限っては今観ても新鮮で感動します。ストーリーも素晴らしいですが、次第に成長しやがて恐竜のような大きさにまでなってしまうオードリー兇離┘侫Дトがすごいです。大きな口を自在に動かして機関銃トークするオードリー兇髻▲灰鵐團紂璽拭爾里覆せ代にどうやって動かしていたのでしょう。大勢のオペレーターが、たくさんのパーツにエアーを送り込んで操作し、あのリアルで機敏な動きを実現したのだそうですが、それにしても生きたほんものの怪物に見えます。この怪物も歌いますよ、ミュージカルですから。

 映画のラストシーンは、1960年版とはちがってハッピーエンドでひじょうに爽快です。ところがこのエンディングは上映前に急きょ付け加えられたのだそうです。フランク・オズ監督は最初、1960年版と同じくバッドエンディングを用意しており、ミュージカルの方もやはり暗澹とした終わり方だったとか。  筆者的には、ハッピーエンド版が好きです。1986年の映画公開の後は、ミュージカルでもハッピーエンドが採用されることが多いそうです。最近では2012年に日本公演がありましたが、その際のエンディングはどうだったのでしょう。大阪にも来たので観に行きたかったのですが、映画版のイメージが壊れないかが心配で足がすくんでしまいました。
 現在、1986年度版映画が、ディレクターズカットとしてブルーレイで発売されています。それには映画公開版と未公開のバッドエンディングバージョンが収録されています。

原題:Little Shop of Horrors
1986年アメリカ、94分。
監督:フランク・オズ、脚本:ハワード・アッシュマン、音楽:マイルズ・グッドマン。
出演:リック・モラニス、エレン・グリーン、ヴィンセント・ガーディニア、スティーヴ・マーティン、レヴィ・スタッブス(声)、ジェームズ・ベルーシ、ジョン・キャンディ、ビル・マーレイ、クリストファー・ゲスト、ミリアム・マーゴリーズほか。

追記:本編随所に登場する語り部のスリーガールズ、個人的に大好きです。

幕が上がる【映画】

2015/03/27


 今を時めく和製アイドルももいろクローバーZが主演した青春ドラマです。世界に名を轟かせている劇作家にして演出家の平田オリザが著した小説を映画化したもの。今年2月28日に封切公開され現在も大ヒット上映中です。  高校の弱小演劇部が、かつて学生演劇の女王と呼ばれた女性教師と出会い、年に一度の高校演劇大会に青春を賭け、全国大会を目指すというお話し。
 劇場版「踊る大捜査線」シリーズで監督を務め、「踊る大捜査線2」で日本の実写映画で1位の興行成績を樹立した本広克行が久々にメガホンを執りました。映画のテーマは"あきらめない心"で、数人の客を相手にした路上ライヴから始めてトップスターに登りつめたももいろクローバーZが、この作品のテーマにもっともふさわしいとされ主役に抜擢されました。
 リテイクや編集が利く映画作りにおいて、あえて演劇の手法を取り入れ、平田オリザによる演劇ワークショップに主演の5人を参加させ、舞台女優としての演技を学ばせるところから映画製作はスタートしました。ワークショップでの特訓から、映画を撮り終えるまでの様子は「幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦」というドキュメンタリー映画として記録され、期間限定で上映されました。

 奇しくも去年の暮れ、乃木坂46の秋元真夏、生田絵梨花、橋本奈々未が主演したフェイクドキュメンタリー「超能力研究部の3人」が上映されたばかりで、なんとなく同じ臭いを感じていたのですが、こちらの方は予告編映像がたいへん面白かったので観に行ったものの、何を言いたいのか解らない病的とも思える監督の延々と続くダメだしに辟易するだけの、じつにチンタラした退屈な作品でした。「シティライツ」という映画製作に挑む少女たちの艱難辛苦をやらせの撮影風景で見せたもので、主役の彼女たちよりも、周りのスタッフたちのグダグダばかりが目立ち、観るのがたいへん苦痛でした。「シティライツ」をそのまま映画化した方がずっと良かったんじゃないのか、そう思いました。
 それに比べると「幕が上がる、その前に。」はリアルドキュメンタリーにして、映画撮影の中でももクロの面々が女優として演技に目覚め成長して行く様子がひじょうに感動的で素晴らしいものでした。演じることに妥協を許さない厳しい平田オリザも彼女たちを、このひと夏で驚異的な成長を遂げたと評していますし、温厚な本広監督も彼女たちの熱意を絶賛し、これまでになく丁寧に熱意をもって製作に臨めたと感想を述べています。役者とスタッフが一体となって考え、それを演出に反映しながら映画を撮ってゆく様子に引き込まれました。

 筆者は、最初に映画「幕が上がる」を観賞し、その撮影ドキュメンタリーが公開されることを知って後日再び映画館に赴き、「幕が上がる、その前に。」を観て引き続き「幕が上がる」本編を観るという楽しみ方をしました。2度目の「幕が上がる」は製作行程や監督や出演者の思いを踏まえて観たわけです。「幕が上がる」本編の高校生たちが演劇で頑張る内容と、ドキュメンタリーの「その前に」の、ももクロのメンバーが女優として奮闘する内容がクロスオーバーして、いったいどっちを応援しているのか解らなくなりました。

 女子高校生たちの部活青春ドラマというと矢口史靖監督の「スウィングガールズ」を思い出します。本作と比べて、どちらが良かったか甲乙つけがたいのですが、「スウィングガールズ」の方は、楽しませる演出と映像作りということにかなり入魂しており、「幕が上がる」の方は高校生たちの自然体を楽しくしてみせたといった感じがしました。  以下ネタバレを含みます。自分たちでどうしたら良いのか分からず途方に暮れていた演劇部員に助言を与え、地区大会まで彼女たちを引っ張ってきた吉岡先生が、これから全国大会を目指すという最も肝心なところでいなくなってしまいます。演劇部に対して残された手紙には、あなたちに出会って私も勇気をもらいました、私も舞台女優を目指します、といった内容がしたためられていました。
 吉岡先生を信じて着いてきた部員たちを突き放す形で学校を去った彼女が、これからより大きな舞台を目指すという一幕を挿んで、お話しは少女たちの決意と躍進へと進んでゆきます。
 あなたちなら大丈夫、吉岡先生が残した言葉を胸に、最後は自分たちだけで劇を完成させ全国大会に挑むというクライマックスが感動的です。そしていよいよ大舞台の幕が上がる、という演出も見事でした。
 筆者的には、吉岡先生が学校を去り、自分の進むべき道を歩み始めたのは正しかったし、ストーリー的にも素晴らしいと思いました。生徒の前であれほど毅然としていた彼女が、プロの舞台を目の前に緊張している様子が印象的でした。
 高校生活は人生の中でけっして長くはありません。一瞬の青春のきらめきの後には、別れそしてそれぞれの道を歩みだすという人生の"これから"が待っています。吉岡先生は、図らずも身を持ってそれを彼女たちに示したのかもしれませんね。
 いよいゆよ大舞台の幕が上がるその時、少女たちは「やれる」「負ける気がしない」そう言って満面の笑みを浮かべます。それは、路上ライブから出発して、ついに国立競技場のステージに立つことになったももクロ自身の声を聞くようでした。

2015年公開、日本、119分。
監督:本広克行、脚本:喜安浩平、原作:平田オリザ。
出演:百田夏菜子、玉井詩織、高城れに、有安杏果、佐々木彩夏、黒木華、ムロツヨシ、志賀廣太郎、清水ミチコほか。

幕が上がる その2【映画】

2015/04/17


 2月28日封切の映画「幕が上がる」がいよいよ終演になるというので急いで観に行ってまいりました。この映画はやっぱすごいです。今回とくに気づいたのは、BGMの素晴らしさでした。ももクロが歌う主題歌&挿入歌もさりながら、前編を流れる曲がほんとに素晴らしい。斬新さ鮮烈さは求めるべくもないのですが、シーンやセリフを盛り上げるのにすごい威力を発揮しています。セリフの情感を盛り上げるために用いられる勇壮な楽曲の使い方が贅沢だなぁと思いました。ひじょうにスケールの大きな曲なのですが、音量は小さめで音楽だけが出張ったりしないところがまた妙技です。この辺りは音響監督の技ですか? 映画作りなんて存じない筆者にはそこんとこは判りませんけど。
 とにかくサントラCDと主題歌CDtypeABを買にタワレコあたりに走らねば。

 あと、前半のクライマックスである さおりが中西さんを演劇部に誘う駅のシーンですが、メイキング映画「幕が上がる、その前に……」では、監督の意見を押しのけて、演じた2人の役者の意見が通り、本編では彼女たちの主張したテイクが使われているとありました。彼女たちが主張を通したことに最初は、彼女たちの役者としての素養を見た気がしたのですが、今は、自分の考えを曲げて役者の主張を採った監督の判断の方がむしとすごいなという気がしています。映画はひじょうに大勢の人の手によって作られるものですが、その中で映画監督は唯一の独裁者ではあります。その独裁者が、映画出演初めての若い女優たちの考え方に耳を傾け、出演者が積極的に意見することに喜びを覚えるなんてすごいことだな、そう思いました。本広克行という人は、彼がヒットメイカーであることとは別にしても偉大です。

   筆者は、アメリカンなドカーンバッターンな映画にもけっこう感動する方ですけど。その手の映画はやっぱ初回の感動が2回目以降を下回ることがない、つまりネタばれしちまってる2度目以降よりも、やっぱ初回、2度目以降はボケた頭がすっかり内容を忘れちまってからにしろ、って感じです。なので良かったのでもう1度はあっても、3度目4度目はなかなかありません。ところが「幕が上がる」のような優れた人間ドラマは、何度も観たくなりますし、観るたびに新たな発見、新たな感動に満ちあふれています。DVDを買って手元に置く価値のある作品です。同じ本広監督の作品であれば「踊る大捜査線」よりも「幕が上がる」が何度も観たくなる作品ですね。

 とにかく、ももクロの名演が感動的だったわけですが、黒木華もウワサにたがわずすごいけ女優ですね。「シャニダールの花」や「小さいおうち」では、内気で臆病そうな外見でありながら、自分を貫いて譲らない、そんなミステリー性みたいなものを備えた女性を演じていましたが、今回はひじょうに積極的で生徒たちを引っ張ってゆく、生徒たちにとっては憧れの女性を演じていました。しかし最後には自分の意思を貫くために、生徒たちを見捨てて行きます。もしも幕が上がるが実話で、黒木華が同じ教員だったとしたら、彼女もやはり自分の進む道をあきらめてまで生徒たちをホローし続けるようなことはしないだろう、そんなふうに思いました。黒木華演じる吉岡先生は、生徒たちを見捨てて自分の道に進むことで、彼女たちの自立を促した、教育とは従わせるだけではなく、かくあるべきとも思いました。
 物語の途中で何回か登場する国語の授業のシーン。ストーリーとは直接関係がないエピソードですが、これがひじょうに重要な役割を演じていますね。志賀廣太郎演じる国語の滝田先生かっこよさときたら……。さおりの妄想の中で吉岡先生に「なんてイイ声なの」と言わしめている美声で、宮沢賢治について語る彼の授業に思わず聞き入りました。このエピソードでは、さおりたちの授業という日常を描くと共に、宮沢文学の考証し、さり気に さおりたちに「進め!」と促しています。「宇宙は光の速度で広がってゆく、私たちはどうやっても宇宙の果てにはたどり着けない。でも私たちはどこへでも行ける切符を持っている」この素晴らしい授業がそのまま さおりの決意に現れています。「私たちが歩んできた何十倍も速く世界は広がってゆく、私たちはいつまで経ってもどこにもたどり着けない。でも私たちは舞台の上ならどこにでも行ける」そしてこの国語の授業はまた、演劇部の演目になっている「銀河鉄道の夜」の世界観について語る役割も担っています。
 筆者は個人的に、グッチ役のムロツヨシさんの演技もひじょうに気に入っています。がるるの「部長、浣腸!」攻撃に「先生に浣腸はだめだ、浣腸は校則違反」と応える、あれは名ゼリフですね。合宿のシーンで、吉岡先生が「返事は!?」と気合を入れるところで、中西さんの突然の編入で呆然としている生徒たちに代わって「はいっ」と答えるグッチがまた見事です。生徒に合流したばかりのグッチは吉岡先生の話しなんて聞いてなくて、反射的に返事しているわけです。その後に続く「知らない生徒がいます……」というつぶやくような訴えがまた妙技ですね。だから今説明しただろうが。ともすれば聞き逃してしまうような声のトーンとタイミング、なくったってどうってことないこのグッチのワンポイントは見逃せません。このグッチこそは歴代演劇部を支えてきた顧問の溝口先生であるわけですが、「自分たちで決めなさい、芸術は自由だからね」といって生徒たちの相談を適当にかわし、なんにもしない、なんにもできないぶりに徹しています。なんなんだこのボンクラ教師、ってなもんですが、顧問でもない吉岡先生が演劇部に入り浸って、合宿まで企画して、全国を目指す、新任教師がそこまでできた裏には、グッチが柔軟剤となって学校との軋轢を緩和していたわけですよ。グッチはなんにもできないんだけど、できない者に限って見せるカラいばりをまったく出さず、演劇部の自主管理自主運営を尊重しています。従わせることなく自立を促す教育方針の、これもひとつの側面ですね。そして さおりたちが最もいてほしいときに姿を見せない吉岡先生について「やっぱ新任だから、新人研修とかいろいろあるんだよ」とかわしています。実は、グッチは吉岡先生が舞台女優の道を目指すことで相談を受けてたんですね。それを生徒たちに隠して、吉岡先生の背中をそっと押したのは、グッチだったというわけですよ。いかがです? グッチの評価が上がりましたか?

 そしてそして、5月からはなんと舞台です。ももクロ主演でお芝居が上演されます。いいですね、東京の人は。筆者のような田舎者には手が届きません。チケット代の何倍もの旅費とホテル代が要ります。会社も休まなあかんし。ウワサではライヴビューイングがあるかもとのことなので、そちらをチェックしようかと。生ももクロ見たいけど。

 そしてそしてそして、たくさん関連アイテムが出てますよ。「幕が上がる」オフィシャルフォトブック. 原作小説.と映画を低年齢向きにノベライズした小説(両方とも講談社)。キネマ旬報3月上旬号に特集記事がります。Quick Japan 118 これはサブカル系の雑誌(雑誌コードなし)でも大特集。別冊FLIX vol.2 (FLIX2015年3月号増刊)も幕が上がる増刊号になっています。別冊FLIX plus も幕が上がる増刊号で近日発売です。PICT-UP 2015年4月号も。東京グラフィティ高校生版 HR 創刊号にも幕が上がるのももクロが拍子になってます。チェックしてみてください。新聞や雑誌にほとんど興味がない筆者も、かなり関心があります。

 ということで、今後もますます幕が上がる熱が上がりますね。早くDVD出ないかなぁ。

ミスト【映画】

12015/05/13


 奇妙で不気味な作品を次々とヒットさせるスティーブン・キングの中編小説の映画化です。彼の作品はほんとうに気色悪くて恐ろしくて、大好きなんですけど、原作の方はほとんど読んでません。映画ばっかです。「キャリー」「シャイニング」「ミザリー」「グリーンマイル」「ドリームキャッチャー」「クリープショー」「シークレット・ウィンドウ」「1408号室」等々。不思議と怖っ、のオンパレードです。「スタンド・バイ・ミー」は彼らしからぬ青春映画でしたが、空前の大ヒットでしたね、残念なことに。青春映画と言っても少年たちの冒険は死体探しでしたけどね。
 で、本題の「ミスト」ですが、筆者的にはこれがスティーブン・キングの中で1番かも知れない、と思っています。感動も教訓もありません、衝撃と絶望の、たいへん後味の悪い変なお話しです。これを書いていてアレなんですが、観ない方が良いです。知人に「ミスト」どう? と聞かれたら、迷わず「やめとけ」と答えます。映画に関してはホラーやエログロ好きの筆者は、悪趣味な変態だと言われますが、その手の作品ばっか観てるわけじゃございませんよ。言い訳はともかく、グロい作品であっても美意識がなければあきまへん。血の使い方も綺麗じゃないとダメです。筆者の言う綺麗は、多くの人たちに「どこが綺麗やねん」と言わしめるわけですが、正視もしないで先入観だけで評を垂れる奴と議論したって仕方ないので、こっちが悪者になっておきます。ただ、ホラーもエログロも世界中で市民権を得ていますし、高い評価を受けている作品が山とあるのが現実です。
 ゲテモノ好きと申しましても、単なる残酷描写の羅列を眺めていても面白くないばかりか、不快感がつのるだけです。作品に思想がなければ、なにを表現しなにを語りたいかというコンセプトがちゃんとしていなければ、そして感動や教訓があればさらに素晴らしいです。そういう点で、本作品は空っぽです。理不尽に襲いかかる不可解で残酷な運命に対する人々の反応は、リアルで興味深くて魅了されるものがありましたが、作品全体として得るものがない、学ぶところがない。
 衝撃でした、あまりにも虚しい結末が心に突き刺さりました。その痛みがあまりにも痛烈で、思想だの美意識だのとごたく並べている自分を見つめ直さなければとさえ思ったほどです。
 人間の手におえないような未知の怪物の襲撃を受けたとしたら、そこには夢も希望もないのだよ、そんなつらいリアリティを突き付けられました。自衛隊だの米軍だの地球防衛軍だのが総力を決しても退けられないような怪物が襲来したとしたら、人間はどうあっても滅びをまぬがれられない、それがこの先品が示した教訓でした。
 それでも、筆者は虚構に夢と希望とロマンを求める派です。だから死んですべて終わりという結末は好きじゃありません。悲しみも苦しみも努力もそして何にも負けない強い意志も、結局は安らかな死によっておしまい、努力が生きてるうちに報われることはありませんでしたっていう「フランダースの犬」式の作品は好きにはなれません。
 この作品こそはまさしくソレです。最後の最後まであきらめず九死に一生を得て、そして最後の最後に敵の圧倒的な力を見せつけられ愕然とする、そんな作品でした。なのになんで好きなんでしょう。なんでスティーブン・キングの1番なんでしょう。

 ということで、この先品はお勧めしません。やめといた方が良いです。
 ということで、どうせ見ないでしょうからネタバレです。とある山間部の小さな町に、これまでにないような濃厚な霧が襲来します。一寸先も見えない白い闇です。スーパーマーケットに一時避難した人々は、霧に包まれた世界で謎の巨大生物たちの襲来を受けます。触手を持つ軟体動物のようなものやら、昆虫に似た飛び回るもの、いずれも巨大です。まるで獰猛な肉食獣が空を飛ぶようなものです。
 多数の犠牲者を出しながらも、生き残った人たちは必至の抵抗を試み、怪物たちを退けようとします。恐怖の一夜が明け、これではキリがないと判断したデヴィッドは、自分と息子を含む5人で脱出を試みます。怪物たちの目を盗んで車で逃走したのです。
 逃走の最中、自宅に立ち寄った彼は妻が死んでいるのを目撃します。悲嘆にくれながらもさらに逃走を続けますが、やがて車はガス欠、あたりは怪物どもの慟哭に包まれたままです。体力も尽き果て、もはやこれまでと悟った一向は、怪物に食い殺されることより自殺することを決意し、仲間の一人が持っていた銃で死ぬことにします。銃に残された弾は4発、車の中には5人います。デヴィッドは息子が寝ているうちにまず彼を射殺し、残りの3人も撃ち殺します。
 独りになったデヴィッドは、フラフラと車を離れ、残酷な運命に身をゆだねます。ところが霧の中から現れたのは、火炎砲で怪物を焼き払いながら進軍する兵士たちと機動兵器の隊列でした。トラックには救出された人々が乗っており、その中には霧が発生した直後にデヴィッドの制止を振り切って店を飛び出した親子の姿もありました。この親子を止めるのではなく自分たちも一緒に店を出ていたら、軍隊に救助されていたはずです。自分は死ぬ思いをして怪物たちと戦い続け、けっきょくはすべてを失いました。息子を射殺するのを、あと数分だけためらっていたら、幼い少年は父と共に軍隊に保護されていたのです。
 みんなと一緒に助かるために、多くの危険をおかし脅威と戦ってきたデヴィッドが受けた報いは、あまりにも残酷でした。助かった親子のように、冷静な判断を欠き衝動的に店を飛び出していたら、軍隊に救出され、家に残っていた妻を救助する機会もあったかもしれません。軍隊に店に残された人たちを救出するよう依頼することもできたはずです。そして最後に息子を射殺する勇気が持てなかったら、息子と共に軍に救助されていました。彼の勇気、彼の断行力、努力、そのすべてが無駄だったのです。勇気もなく冷静な判断もなく、混乱して店を飛び出していたら、悪夢の一夜を過ごすこともなき、息子を失うこともありませんでした。うまくすれば妻も助けられたかもしれません。  勇気を持って努力したおかげで、デヴィッドは家族を失い、残りの人生を息子を射殺した過ちを悔やみながら送ることになったのです。

 いかがです? これ以上イヤな映画ってそうそうないですよね。これを読んでぜひ観てみたいと感じた方は、あまり趣味が良いとは言えませんね。DVD版を扱っている通販ショップ等の評価を見てみますと、意外に良い評価がついています。観られた方々は、この作品の何に魅せられたのでしょう。セオリーを破壊し、逆転の発想でヒットをものにしたフランク・ダラボン監督ってすごいですね。

原題:The Mist
2007年アメリカ、125分。日本公開は翌年。
監督、脚本:フランク・ダラボン、原作:スティーヴン・キング「霧」。
出演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローリー・ホールデン、アンドレ・ブラウアー、トビー・ジョーンズ、ウィリアム・サドラー、ジェフリー・デマン、フランシス・スターンハーゲン、ネイサン・ギャンブル、メリッサ・マクブライドほか。

追記:霧と怪物の正体は、軍事的な実験かなにかで異世界の扉が開いたせいらしい。
 霧発生直後に衝動的に店を飛び出して助かった親子は、軍隊に店に残された人々の救出を依頼しなかったのだろうか。ひでぇ。

組みしだかれてツインテール【演劇】

2015/05/20


 なんかすごい舞台を観ました。友人に誘われて観に行ったんですが、ほんとすごかったです。
 劇団 子供鉅人(こどもきょじん)という結成10周年を迎える大阪の劇団で、このたび東京に拠点を移すことになったそうです。劇団の運営って経済的にも大変なのに、さららる躍進のために上京するなんて、思い切ったことをやるものです。たしかに大阪にいたって文化は育ちませんけどね。大阪というところは、でかい口をたたくだけでソロバン勘定でしか物事を見ない、まっこと文化が育たない不毛な田舎ですから。都会のフリしてるだけの空っぽの砂漠です。

 学生服2名のコントみたいな前説のあと、暗転して舞台に出現したのは、セーラー服の高校生たち、しかもみんな膝までパンツを降ろしています。彼女たちに比べると巨人のようなおねえ2名が、恥ずかしい格好で震えている女子高生たちに、お前らみんな奴隷だ、なんてことを言っています。
 かくして女子高生たちの奴隷生活な1年が始まります。畳み掛けるような機関銃トークに退屈しているヒマもありません。奴隷たちの長に任命されたメガネっ娘は女王様と呼ばれ、本人はほとんど押し付けられたことにも気づかずにせっせと自分の責任を果たそうとします。でも彼女の思いは空回りばかりで、彼女を疎ましく思う娘も出てきます。欺瞞そして裏切り、おねえたちに取り入って支配層に食い込もうとする娘も現れ、学園は支配層と被支配層に二分されます。
 とにかくブッ飛んだ学園ドラマでした。何かしようと焦るだけでいつも空回りばかりのメガネっ娘には妄想彼氏がいたのですが、それがいつの間にか実体を持つようになり、彼女を助けてくれます。見ればみんなにも妄想彼氏がいて、みんな実体を持ってしまいます。
 ある時、撃墜された戦闘機から脱出してきた女子が、なぜかセーラー服姿で、ワルサ―を乱射しながら学園に嵐を巻き起こし、そのまま生徒として居座ってしまいます。彼女は女王様派に味方し、おねえたちの支配から学園を取り戻そうとします。
 体育祭のクラス対抗リレーは、おねえたちから覇権を奪回する好機でしたが、陰謀と裏切りによって女王様派は敗北を期します。負け知らずの人生を送ってきた戦闘機娘は意気消沈して姿を消し、おねえたちがいよいよ支配力を堅牢にするためのイベントが催されます。学園祭のクラス模擬店の奴隷カフェ、それを機に支配を一気に全校に拡大し、すべての生徒たちを奴隷にしてしまおうというのです。
 今や、極少数のレジスタンスと化してしまった女王様派は、成すすべもなく処女寺という廃寺にこもっています。おねえ派を抜け出して処女寺に駆け込んできた娘たちは、変なドラッグで改造され、野獣とかしています。ついでに妄想彼氏のひとりもまったく理性をなくした野獣になっています。
 自分には何もできないと気落ちしている女王様を励ます妄想彼氏、あくまでも前向きにメガネっ娘女王を元気づけようとする彼を彼女は否定します。「もう出てこないで、彼女がいないと、私じゃなんにもできない」「彼女なんか最初からいないよ、だって彼女は君の妄想じゃないか」大空から舞い降り拳銃を乱射した女傑も、じつはメガネっ娘の妄想だったというのです。
 学園祭では、おねえ側に寝返ったファブリーズ娘と妄想彼氏との結婚式が催されようとしています。祝宴では教員たちがひとりずつ処刑されます。悪魔の儀式が実現したら、その支配は不動のものとなります。立ち上がるなら今、この機を逃したら学園を取り戻すことは永遠にできなくなります。

 この物語は、ずりさげられたパンツで始まってずりさげられたパンツで終わる。
 じつに破天荒で破廉恥なキャッチフレーズです。劇中でもセックスという言葉が連発しますし、実際にセックスしてるし。でも下品な感じはまったくありません。下ネタと下品なギャグの連発といった汚い系ではなく、とてもさわやかで熱血でラブコメな、たいへん感動的なドラマでした。
 いやぁ、笑いました。そして泣きました。とっても感動しました。何度でも観たい、そう思いましたが、大阪公演は5月21日で千秋楽、6月からは東京公演が始まります。筆者の経済事情では東京公演までは追いかけられません。リバイバル公演かDVDの発売とかないかなぁ。

 男女問わずツインテールにしてゆくと特製ステッカーがもらえます。3回観ると学生証のスタンプが満了になって、なんか表彰とかあるそうです。筆者が悠々自適のリッチな遊び人だったら、全公演制覇して"もう来るな表彰"とか狙うところなんですが。毎回ちがうゲストが出演するので、全覇もなかなか有意義ですよ。筆者が観に行った回には、劇団 赤鬼の田川徳子という方が、セーラー服ツインテで奮闘されていました。彼女のパフォーマンスもまたすごかったです。
 役者さんってすごいですね。演技というよりももはや生まれ変わりです、"なりきり"とか"演じる"を超えて完全に変身してしまってますもんね。あたかもイモムシが変態してチョウになるごとく。

 ところで、なんでツインテールなんでしょう。団長に尋ねると「ノリ」だとか「可愛いから」なんて答えが返って来そうで怖いです。なんで……なんて思うところがすでに筆者は素人なんでしょうね。公演のあと、ツインテールの女子を見かけると、思わず膝のあたりを観察してしまいます。パンツずりさげてないかと思って。そしてふと、はは〜ん、そういう事かとニンマリしてしまいました。
 そういう事ってどゆこと? なんて無粋な疑問を抱いた方は恥を忍んでコメント欄に質問してください。質問の仕方によっては解答申し上げます。
 ところでところで、なんでみんな裸足だったのでしょう。これは難易度高すぎて筆者には持て余します。でも団長に質問する勇気はありません。

 ヘアーズ学園の勇気あるレジスタンスたちは、最後には悪魔から学園を取り戻すことになるわけですが、じつはシンディたちおねえこそが、彼女たちの最悪最凶の妄想だったのかも知れませんね。ずりさげられたパンツは、最後には自らの手によってずりさげられ、それはけっきょく自分自身に打ち勝つことの象徴だったのかも知れません。青春してるすべての老若男女のみなさん、打倒すべき最大の敵は自分自身だったりします。彼女たちの挑戦がそのことを教えてくれました。
 また、おねえたちが理不尽な暴力によって築いたカースト制は、現実社会を象徴しているようにも思えました。芸能を志している人たちは、表現というパワーを持ってそれに抗い続けています。政治レベルで線引きされた国境などという笑えない冗談を、文化がやすやすと超えるように、この小さな舞台から僕たち私たちの革命は始まっているのだ、そう思いました。

作/演出:益山貴志、振付:益山寛司、舞台監督:若旦那家康。
出演:キキ花香、景山徹、億なつき、ミネユキ、山西滝矢、益山U☆G、益山貴志、うらじぬの、治はじめ、米津和実、東ゆうこ、吉野陽大、稲川悟史、佐藤ばびぶべ、田川徳子(ゲスト)。

劇団 子供鉅人オフィシャルサイト↓
http://www.kodomokyojin.com/



幕が上がる その3【演劇】

2015/05/29


 映画に続いて舞台です。1ヶ月間で27公演ってすごいですね。ももクロも今やすっかり女優です。東京公演なのであきらめていましたが、千秋楽はライヴビューイングが全国の映画館で催されました。ライヴビューイングってご存じですよね。2通りあって、1つは歌舞伎やオペラを録画したものを映画館で上映するもの、もう1つはコンサート等のライヴ中継を映画館で上映するもの。今回のは後者の方です。東京で行なわれて千秋楽の舞台の生上映です。
 1つのシアターで3館を使っての上映という盛況ぶり。コンッセッションにもパンフレットを求める脚が長い列を作っています。ももクロファン中心の恥ずかしい状況を想像していましたが、中高年客も多数で、ちと残念いやビックリしました。ちなみに、本公演の方はももクロライヴの様相を呈し、カーテンコールではお兄さん方がペンラなどを振り回し、川中島の合戦みたいな勝鬨を上げておりましたが。いや、川中島は筆者もご覧してませんけどね。

 さて舞台の方は、吉岡先生が突如辞任してしまったあとの演劇部の葛藤を描いたサイドストーリーになっており、副担任が斉藤先生に決まった、なんていう件りは映画にはない原作の設定になっていました。演劇部が選んだ演目「銀河鉄道の夜」が映画よりもじっくり描かれていて、その練習の様子がメインになっています。
 18時のそろそろ開演時間だなって頃に「間もなく開演です、お席にお着きください」のアナウンスが流れ、唐突にグッチ先生が舞台に登場します。吉岡先生が辞めてしまったショックを隠しきれず、暴走ぎみの先生と、1年生の八木美咲と高田梨奈の掛け合い漫才が始まります。舞台ならではのとても愉快なコントです。「じゃ、先生帰るわ」とグッチ先生が無責任ぶりを発揮して退場すると、明美ちゃんたち2年生の登場です。演劇部の今後のことで職員室に呼び出されている3年生のことをアレコレ話しながら、とりあえず発声や稽古の準備をしています。
 えっ、もう始まってるの、って感じでストーリーはすでに進行中です。特別出演のグッチ先生の前座から本編まで切れ目がありません。舞台ってこんな感じですよね。慣れていない観客は長い前座が続いていると思ったかも。
 3年生登場のトップはガルルです。元気だ、映画に負けないくらい。めっちゃ走ってます。ガルルが本当に3年生かよってくらいにかっ飛ばしているので、次に登場するユッ子と中西さんがとても落ち着いて見えます。そして最後に登場する部長はたいへん威厳がありました。映画の時よりも髪が短くなってます? その分映画の時よりも大人に見えたかもです。原作では高橋部長は後輩たちに畏怖されているところがありましたが、舞台では映画よりもその感じが出ていた気がします。

 吉岡先生が辞任してしまったあと、高橋部長は責任を独りで抱え込んだ感があり、稽古でも演出家としてかなりスパルタです。しまいには他の3年生たちが彼女を制するほど。
 部長は、国語の授業で原作の思想的なことに気づき、それを表現したいがためにセリフをどんどん増やし、部員たちはついて行くのが必死です。そしてある時、中西さんは声が出なくなってしまいます。  じつは中西さんは中学生の頃、岩手に住んでいて震災に遭っていました。そこで学友たちを亡くし、なんで自分は生き残ったのだろうという、助かった若者たちを襲った極限状況の心理を経験していたのです。「銀河鉄道の夜」ではカンパネルラの死を受け止められないジョバンニの苦悩がひとつのテーマになっていますが、中西さんはお芝居と自分の体験を重ね合わせてしまったのかもしれない、「銀河鉄道の夜」の美しいストーリーを演じるのがつらい部員だっているのだ、高橋部長はそのことを思い知るのでした。  でも「銀河鉄道の夜」を最初に提案したのは、中西さんその人だったのです。

 中西さんが岩手出身で、中学生の頃に2011年の東日本大震災を経験しているという設定は、平田オリザの原作小説にも映画版にもありませんでした。そして本年2015年に高校3年生として藤ヶ丘高校に転向してきた中西さん、まさにリアルタイムのキャラです。「銀河鉄道の夜」のジョバンニが経験したカンパネルラの突然の死を、中西さんは4年前に経験していたわけです。で、「銀河鉄道の夜」の作者宮沢賢治が岩手出身です。2015年に映画及び舞台が公開されたことと相まって、これらの符合は偶然の一致なのでしょうか。
 平田オリザが原作小説「幕が上がる」を発表したのが震災の翌年。この舞台版には、彼が仕掛けた巧妙なトリックが仕組まれているような気がします。震災の最中に原作を執筆していた彼の頭の中には、2015年にこれを舞台でやるというシナリオができていたのかもしれませんね。その前に映画版が実現し、それを大ッヒットさせたのはまさに絶妙です。平田オリザの幕が上がるプロジェクトは最高の形で成功したのではないでしょうか。

 舞台は、映画のようには多彩なシーンを盛り込むことができません。稽古場である教室、3年生が部活禁止の隠れ蓑に使ったカラオケボックス、学校の屋上、そして「銀河鉄道の夜」の舞台、これだけのシーンにすべてを盛り込みます。お話し的にもひじょうに短期間のエピソードで、部員たちの葛藤や喜怒哀楽そしてフィナーレという構成です。その分映画よりも腰を据えて描けた部分もあったと思われます。映画では脇役に終始した明美ちゃんを除く2年生や1年生も、舞台ではとてもキャラが立っていました。
 また、セリフ渡しという高度な技巧を用いた練習シーンでは、部員全員が代わる代わる全てのキャラを演じてゆきます。ある役者のセリフ途中から他の役者が同じセリフを被せ、そのまま役者が入れ代わるという表現を次々に受け渡して行くのです。誰かが1ヶ所でつまずくだけで総崩れになってしまう、言わば荒技的な技巧ですが、これには観客はみんな度肝を抜かれたと思います。

 高校演劇というテーマを、演出担当主役で描いたところもユニークですね。原作が演出家ならではと思えるところですが、おかげで演劇についていろいろ勉強になりました。役者を断念して演出に専念することを決意した高橋部長の心境を、平田オリザも若いころに経験しているのかもです。

 舞台は「銀河鉄道の夜」のラストシーンで終演となりますが、カーテンコールがまた感動的でした。役者全員ひとりひとりの挨拶では、みんな泣いてましたね。西条美紀役の高城れにが、感無量で「 西条美紀役のガルルです」と挨拶し、自分の名前を忘れて泣き崩れる場面では、みんな泣き笑いました。ガルルとの掛け合いが絶妙だった高田梨奈役の伊藤沙莉と抱き合ってワーワー泣いてましたねぇ。
 映画、メイキング映画、そして舞台と見てきた観客は、この日の千秋楽に至るまでの道程をダイジェストで見てきたわけで、共感もひとしおだったことでしょう。筆者もそうです。
 じつは、筆者は伊藤沙莉という役者を映画版からずっと注目していました。主役のももクロに負けないくらい彼女のことが気になっていました。舞台版でも彼女が出演していたので、それだけでも胸いっぱいでした。しかもたいへん重要な役を演じていましたよ。素晴らしいムードメーカーでした。映画では出番が抑え目でしたから、この舞台を見て彼女のことを好きになった方も少なくないと思います。
 判ります? 伊藤沙莉さん。少年のようなハスキーボイスの彼女ですよ。

 舞台では映画版の音楽がそのまま使われていました。サントラCDを入手して毎晩寝る前に聞いている筆者にとってはこれも嬉しい演出でしたね。壮麗でしかも美しい楽曲です。

 映画版およびメイキング映画のDVD&BDは8月5日発売です。予約しました。伊藤沙莉大活躍の舞台版のDVD化もぜひお願いします。

キングスマン【映画】

2015/10/17


 母と2人暮らしの青年エグジーは、ダウンタウンで半分チンピラみたいな暮らしを送っています。ある日、彼が持て余していた屈強なケンカ相手をサクサクッとやっつけてしまう英国紳士に誘われ、自分には生涯縁がないような高級紳士服店を訪れます。ところが店の裏の顔は世界で暗躍するスパイ組織の秘密基地で、仏頂面の英国紳士ハリーは、最強のエージェントだったのです。
 エグジーは、ハリーの教えを受けて自らもスパイを目指しますが、じつは亡くなった彼の父親もまた諜報機関キングスマンのエージェントでした。ハリーがエグジーを仲間にしようとした背景には、彼が自分を危機から救ってくれた仲間の息子であるという悲しい事実があったのです。
 エグジーが一人前になるべく組織で特訓を受けている頃、実業家のヴァレンタインは、とんでもない人類救済計画を進めていました。世界中の要人や科学者が相次いで失踪したのは、ヴァレンタインの壮大な計画の一部で、彼は画期的な次世代コミュニケーションソフトを全世界に無料で配布し、それに仕組んだ集団催眠効果で人々を凶暴化して殺し合わせ、増えすぎた人口を一気に抹殺してしまい、彼が選んだ優れた人材だけで人間社会を再構築しようというのです。
 真相を知ったキングスマンは、ヴァレンタインの悪事をくじく活動を開始します。

 こんな映画を待っていた、ってくらい痛快なスパイアクションです。ほんとスッキリします。最近、007シリーズもリアル嗜好になったというか、とくにダニエル・クレイグ=ジェイムズ・ボンド以降、本格派スパイ映画の色合いが強く痛快さがありません。秘密兵器なんかミッション・インポッシブルの方が楽しいですよね。楽しけりゃいいのかよ、って突っ込みが聞こえて来そうですが、いいじゃないですか、楽しけりゃ。
 紳士的な中にもユーモアがあって、SFかよってくらいの秘密兵器がワラワラ出てきて、絶体絶命のピンチも淡々と乗り越えてしまう、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアの頃の007が懐かしいです。
 007は国防組織で、キングスマンは素性がよく判りません。超資産を元に作られた施設組織のような感じなのでしょうか。その分007の方がスケールが大きいような気もしますが、世界的な悪事をたたくということではキングスマンは負けていませんし、最近のジェームズ・ボンドよりも汗臭さがなくてカッコいいです。なかなか気に入ってしまいました。シリーズ化しないかなぁ。

 サミュエル・L・ジャクソン演じるヴァレンタインの狂気っぷりも素晴らしかった。増えすぎた人口を一掃し、人類を混迷から救う、私は未来人の英雄である。じつに単純明快な発想ですが、その中で自分が生き残り新しい世界が見れるのだとしたら、選ばれた人間は彼の計画を肯定するかもしれませんね。
 クライマックスは、新星エグジーが敵の本拠地に乗り込んで繰り広げる痛快アクション。これはもう痛快アクションの見本です。観終わったあとの爽快感は格別です。あとはボンド・ガールならぬキングスマン・レディがいれば、完璧ですね。ロキシーが一応その役を演じていますけど。もっと活躍してほしかったです。できる男、できるジジィと共に、できる女は重要です。

 ネタバレです。これから見ようって人はココ読んではいけません、絶対に。主役のハリーは、クライマックス直前にお亡くなりになります。1作目にしていきなりヒーロー死去、いきなりの世代交代です。ハリーのクールさカッコよさが光りまくっていただけに、彼の死去はショックングです。アーサーも死んでしまいます。これではキングスマン崩壊ですって。これから新制キングスマン始動ってことなんでしょうが、エグジーではまだちと役不足だと思いますよ。次回作ができるとしたら、ハリーに飄々と生き返っていただきましょう、アーサーにも。でないと観に行かんぞ。

原題:Kingsman: The Secret
2014年イギリス、129分。翌年日本公開。R15+
監督:マシュー・ボーン、脚本:ジェーン・ゴールドマン、マシュー・ボーン。
出演:コリン・ファース、マイケル・ケイン、タロン・エガートン、マーク・ストロング、ソフィア・ブテラ、サミュエル・L・ジャクソン、マーク・ハミル、ソフィー・クックソン、サマンサ・ウォーマック、ジェフ・ベル、ハンナ・アルストロム。

カリフォルニア・ダウン【映画】

2015/10/06


 地震の研究をしていたローレンス教授は、巨大なダムで計測を行なっている最中に地震に遭遇し、これまでのデータから地震の予知に成功したことに確信を得ますが、研究所のコンピューターには次々と恐ろしい地震の兆候を示す測定値が表示され、カリフォルニア州が間もなく史上最大級の大地震に遭遇することを知ります。
 災害救助隊のレイは、家族よりも仕事を優先させてしまった結果、妻や娘に去られ、それでも救助の仕事に余念がありません。地震の報せでレイはいつものようにヘリを飛ばしますが、その彼のもとへ妻からのSOSの電話が入ります。倒壊寸前のビルから妻を救出することに成功したレイは、今度は娘の助けを求める電話を受け、夫婦で力を合わせて娘の救助に向かうことになります。行く手には誰も経験したことのないカタストロフが迫っており、被災地から避難してくる人波を逆走する形で2人は、変わり果てた街へ急ぎます。
 一方、地震で助手を失って失意のローレンス教授は、この地震がこのままでは終わらないことを知り、研究所の仲間たちと共に、テレビ放送の電波ジャックを試み、より大きな危険が迫っていることを市民や政府に対して訴えます。
 レイの娘セレーナは、新しい父になるはずのダニエルに見捨てられ、地下の駐車場に取り残されてしまいますが、会社経営者であるダニエルの職場に就活に来ていた青年に助けられ、その弟と3人で窮地から脱出を試みます。

 壮大なスケールのパニックムービーです。街の崩壊の様子がハンパないです。ゴールデンゲートブリッジも倒壊します。でもね、最近のCGを駆使したスペクタクルムービーでは、どれだけ壮絶な映像が出てきても観客はあまり驚かなくなっていますよね。コンピューターグラフィックが普及していなかった頃の「大地震」や「タワーリングインフェルノ」「ジョーズ」初期の「ダイハード」の頃が懐かしいです。あの頃はほんと、破壊シーンに驚かされましたからねぇ。そのうち俳優もCG化してしまうかもです。映画の現場はパソコンとデスクだけになっちまいます。
 これだけCGがリアルな映像を再現できるようになった現在、次に我々を驚かせてくれるのは、バーチャルリアリティの進歩でしょうか。

 パニックムービーになくてはならないものは、スペクタクルシーンに加えて、感動の人間ドラマです。窮地に陥った人間がどんな行動を取るのか、絶体絶命の危機に瀕した人間が普段は見せないどんなパワーを発揮するのか、それが映像以上の見どころであるわけです。主人公のレイとその妻エマはすでに別居状態で、大富豪のダニエルという愛人がすでに存在します。娘のセレーナもエマについてゆき、レイは彼女たちがダニエルの許に行ってしまうのを止めることもできません。
 離れ離れになってゆく家族を、未曽有の大災害が襲い、九死に一生を得て家族は絆を取り戻す。ありがちです、ありがちすぎます。ありがちだけど、パニック映画にはなくてはならない重要な要素ですよね。  夫婦は破壊しつくされた街で、ようやく娘を発見しますが、津波によって水没したビルに閉じ込められた娘は、レイの見守る前で水底に沈んでゆきます、愛しているという言葉を残して。じつはレイは過去にもう1人の娘を失くしています。彼女を助けられなかったという思いが、彼を災害救助の仕事へ誘い、これまでに彼は大勢の人の命を危機から救ってきたのですが、どうして自分の娘たちだけは救うことができないのでしょう。あの子を死なせるわけには行かない。絶対にあきらめない、レイは揺るぎない決意で最大の危険に飛び込んでゆきます。

 異常気象が当たり前になってしまった現在、世界各地で大きな自然災害が後を絶ちません。日本でも阪神淡路大震災、東日本大震災と、立て続けに大きな災害が生じています。今や世界標準語となった"ツナミ"という言葉がこの映画でも使われており、本編開始前に、津波のシーンが含まれていることが表示されます。実際に被災された人たち、被災地に救援に向かわれた人たち、被災地に家族や友人を持つ人たち、大勢の人々にとって災害が他人ごとではありません。
 災害時に、もっとも頼りになるもの、それは人と人との絆です。筆者は阪神大震災で務めている会社やその同僚が被害に遇い、社内の文芸誌の震災特集で現地を取材しました。震災を生き延びた人たちが口々におっしゃったことは「何を失っても、そこに人間がいてくれれば怖いものはない」ということでした。  普段口も利かない気難しそうなおっさんが、がれきの下から子供を救出し、無愛想なおばはんが炊き出しをして無償でそれを周りにふるまい、村山政権が救援について閣議を開き、どのセクションがどこの救援に向かうのか、どの大臣の手柄にするのかといったことをのん気に討論しているうちに、市民レベルの助け合いが進みました。日本人はお行儀が良いので、パニックに際しても暴動は起きません。
 この映画でも、政府と軍隊が市民を救ってくれたとか、マスメディアが大活躍したといった内容はまったくなく、政府は電波ジャックをして警鐘を鳴らしたローレンス教授の行動に謝意を述べています。また、大きな財力を持つ富豪が、何の役にも立たず、大切な人を見捨てて逃げ出し、あっけなく死んでしまいます。富や権力をあざ笑う表現が爽快です。
 実際の災害でも、重要なのは身近な人間同士の助け合いです。暴動を起こし、我勝ちに逃げることも、腰の重い政府をののしることも何の役にも立ちません。また、強力な通信ネットワークを持つ現在社会においては、それを駆使してより多くの人々が現状を把握し、動ける人が迅速に行動することが重要になるでしょうね。
 どんなに大きな震災も、権力者が市民をコマにして殺人ゲームを楽しむ戦争に比べたらはるかにマシだと、第二次世界大戦と福井震災を経験した筆者の母が言っていました。

原題:SAN ANDREAS
2015年アメリカ、114分。同年日本公開。
監督:ブラッド・ペイトン、カールトン・キューズ。
出演:ドウェイン・ジョンソン、カーラ・グギーノ、ヨアン・グリフィズ、アーチー・バンジャビ、ポール・ジアマッティ、ウィル・ユン・リー、カイリー・ミノーグほか。

マイ・インターン【映画】

11/07/2015


 70歳になるベンは、企業を定年退職し妻に先立たれ、ものたりない日々を送っていました。偶然に見つけたシニア社員の募集に応募し、再起を試みますが、そこは彼にはまったく無縁のファッションサイトの会社でした。行政のシニア支援の方針を受け、福祉事業として会社はベンほか数名のシニアアシスタントを雇用してみたのですが、豊かな人生経験を活かして社員に助言を与え、絶妙な機転でかゆいところに手が届くベンは、次第に会社で人気者になって行きます。
 結婚し子供もいる身でありながら、夫に家事を任せてこの会社を設立したジュールズは、多忙で充実した日々を送っていますが、そんな彼女にベンがインターンとして就くことになります。ただでさえ忙しい彼女は業界ではまったく素人のベンの面倒を見る余裕などありません。用があればメールするの一言を残し彼を一顧だにしないジュールズに対して、ベンは不平を言うこともなく、自分のできることをコツコツとこなし、彼女が残業すれば口出しすることもなく一緒に会社に残っていました。
 ある時、ジュールズの運転士の飲酒を突いてちゃっかりその役目に就くことになったベンは、車中での彼女の愚痴を聞き、彼女の家庭をかいま見、ちょっぴりお近づきになります。ところが、ひじょうに目ざとく何でも見透かしているような40歳年上のベンをジュールズは負担に感じ、彼の異動を部下に依頼します。
 異動の理由も聞かず素直に従うベンですが、彼がいなくなってその存在の大きさに気づいたジュールズは、自ら彼を取り戻しに赴きます。

 予告編を見たり、他人からうわさを聞いたりする限りでは、筆者にとって無縁の映画だと思っていました。アン・ハサウェイが演じるキャリアウーマンも、アパレル業界も、まったくもってガラじゃない。ただ、ロバート・デ・ニロ演じる企業定年を過ぎた70男というのは、ちと気になる存在でした。で、何を思ったのか魔が刺したのか、きっかけは今でも思い出せないのですが、なんか観る気になって劇場に足を運んだわけですが、もう感動の嵐でした。食わず嫌いってほんと損しますよね。はなっから無縁と決めつけず、ちょっと気になる作品にはちょっかいを出しておくものです。
 ロバート・デ・ニーロは、「ゴッド・ファーザー」 「タクシー・ドライバー」 「アンタッチャブル」 と、むかしからひじょうにクセのある役どころばかり演じてきており、さわやかな好青年なんて演じたことあんのか、というようなひじょうに個性の強い演技派俳優ですが、この作品では物腰の柔らかい普通のおじさんでした。それを歳のせいと侮るなかれ、つい最近でもシルヴェスター・スタローンと共演した「リベンジ・マッチ」でクセのある老ボクサーを怪演してましたからね。
 職場では取り立ててやることもなく、いてもいなくてもいいような存在でありながら、さりげなく周りに影響を与える気のいいシニアをデ・ニーロが好演しています。自らは一切口出しせず、一見なにも考えていないようでありながら絶えず周りを観察し、依頼されれば快く引き受ける、アドバイスを請われれば的確にそれに応える。自分の子供よりも年下の先輩たちに囲まれて、彼は歳の差を感じさせない友好ぶりを発揮し、信頼関係を築いてゆきます。
 老人と言えば頑固で、むかし話しが好きで、若者を軽視し、聞く耳を持つ者には自慢げにうんちくを垂れる、そんなイメージがありましたが、ベンはひじょうに慎み深くかといって卑屈でもなく、自らの境遇に不平も言わず、他人の仕事にも口出ししない、与えられた仕事は喜んでこなし、人知れずこっそりとプラスアルファを付け加える。そんな彼の姿勢にゆとりや幅、人間としての大きさを感じ、とても好感が持てました。年をとっても人間はかくあるべきですね。だから周りの若者たちも次第に彼をかけがえのない友人として接し、敬い、頼るようになります。

 ある時、ジュールズの部下が会社にCEOを迎えることを強く提案します。会社を設立し業績を伸ばす彼女の手腕は評価できるが、それに社員がついて行けていない、このままではいずれもたなくなるというのです。この提案にジュールズは大きなショックを受けますが、折しも夫の浮気を偶然知り、家族を取り戻すために時間的な余裕を作らねばという焦りもあって、自分が築いた会社に経営責任者を迎え入れることを決意します。
 自分の会社に相応しいCEO探しに奔走するジュールズにベンは運転士として同行しますが、彼は一切口出ししません。そしてついに彼女はひとりの実業家を指名し、会社の経営をゆだねる決意をしますが、思いは複雑です。心が揺れ動くジュールズに、ベンは彼女にとっていちばん必要な言葉をくれるのでした。
 ここでは紹介しきれませんが、心温まる感動がいっぱいです。何度も泣いてしまいます。悲しくて泣けるのではなく、楽しくて笑えて、とても温かくて泣けます。こういうのを名作っていうんだろうなぁ、素人ながらにそんなふうに思いました。

原題:The Intern
2015年アメリカ、121分。
監督、脚本:ナンシー・マイヤーズ。
出演:アン・ハサウェイ、ロバート・デ・ニーロ、レネ・ルッソ、アダム・ディパイン、ザック・パールマン、シリア・ウェストン、メアリー・ケイ・プレイスほか。

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目 次
能書き

思うこと全般

けぽっぷ体験

アイドルのこと

韓流映画

番外編


索引 韓流映画&番外編





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