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生理ちゃん【コミック】

2020/02/19


 生理ちゃんは、ゆるキャラの様相でとことこ歩いてやって来ます。症状が重い女性の場合、生理ちゃんも体格が良いようです。人と同じくらいの背丈があり、幅は3人分ほどもあります。症状が軽度の場合は肩に乗るマスコットていど。
 おおむね月に1度訪れる生理ちゃんは、女性にとっては顔なじみで何でも話せる話し相手でもあります。生理ちゃんは彼女らのさまざまな愚痴や悩みを聞き、適度にアドバイスさえくれます。
 生理ちゃんのパンチが女性にとっては生理痛となり、大きな注射器で血を抜かれた分だけ失血することになります。

 辛くても仕事に行かねばならない場合は、大きな生理ちゃんを背負っておっちらおっちら歩きます。仕事中も横にドシンと座っています。
 様々な女性の様々な日常を描いた短編集で、時には宇宙人の生理ちゃん、あるいは江戸時代の史実に基づいた月経小屋のエピソード、日本で最初に生理ナプキンを開発販売したエピソードなども登場します。

 男性の場合は、欲望君と童貞君というキャラが付きまといます。女性と一緒にいると唐突に欲望君がやって来て、男子は戸惑うことになります。

 先日、本著を原作とした映画を観ましたが、原作に描かれたそれぞれのエピソードを上手くつないで、長編ドラマ化していました。ひじょうに感慨深い作品でした。
 こんなコミックを男性の作者が著したことがかなり驚きです。女性にも好評だったそうですが。
 作中に、男女の心が入れ替わるシーンや、最近の男女同室で性教育を受ける小学生のシーンなどがあり、生理というものを男女で理解してゆこうという意図が感じられました。
 筆者の時代はもちろん性教育は男女別々で、女性の悩みを男子は知る必要はないという考え方でした。というよりそれを男子にも教えることが女性にとって屈辱的だという考え方だったのでしょうね。
 作中、母親のいない娘の父親が娘の初潮に大いに戸惑うというエピソードがありましたが、現在の若い人たちなら、男性でもそれを正しく理解し、対応できるのでしょうか。
 筆者らは女性の整理について直接学ぶ機会はありませんでしたが、そういうことはなぜだか自然に解るようになっているものでしたね。テレビのCMでもバンバンやってましたし。アンネとか、タンパックスとか。

 男子たる筆者としては、童貞君や欲望君といった男子にとって悩める問題ももっと深刻に扱ってほしいとも思いました。まぁ筆者世代は男子たるもの他人に助けを求めるようではダメなので、この手の問題で女性に不潔がられようが、恐れられようが、バカにされようが、それは自分で対処してゆくべき問題ですし、筆者も今でもかくあるべきだと考えています。童貞君や欲望君について、父子であるいは兄弟で話し合うなんてことも、きっぱり言ってありえませんし。
 しいて話し合いが必要ならば、それは話せる同世代とやるべしです。こういう考え方って古すぎますかねぇ。

 他の哺乳動物と比してもヒトという生き物はひじょうに性差が著しいです。大型で進化的な動物であっても多くの場合は、繁殖期以外は雌雄がほとんど変わりなく生活しています。一部では雌雄が別々に群れを作るものや、ライオンのようにオスにたてがみが発達するといった顕著な性差があるものもいますが。
 ヒトでは、見かけの差異以外にも腕力や思考、感情にもかなり明瞭な差があります。人間のこの男女差というものは、ひじょうに厄介な問題で、人々が平等であるべきという人道的な概念をしばしば妨げてきました。
 古来より人間社会では、女性は弱い立場のものとされ、社会的に重要な役割は男性が担い、女性は擁護されるべきという考え方が多かったようです。
 それが現代社会になって男女平等という考え方が高く評価され、職業においても女性が冷遇されるべきではないということが常識となりました。看護婦は看護師と言えとか、スッチーはFAと称するべしとか、そこまでナーバスにならなくてはいけないのかと思ってしまうような改正までされてきました。この図式では女優も俳優と称し、アカデミー女優賞もなくすべきですけどね。

 男女は当然のことながら、職業や人権において平等であるべきです。でなければ男もしんどい。雇用機会均等法は正しいと思います。しかしながら、適性という点では女性が不利になる職種、逆に男性を優遇できない職種もあり、それは性差ではなく、個人の能力的な問題として認識すべきですね。
 男女差とは別に、人それぞれの身体的特徴で人の優劣をつける慣習も大きな問題ですね。その多くはマスコミが重罪です。俳優やアイドルが美形であることは重要です。あこがれのスターが美しくかっこいいことは、人間の美意識の象徴ですし、これは差別とは別問題です。問題なのはこの法則を一般人にも適用し、雑誌やテレビCMでせっせと美貌を磨くことを奨励してそれをアピールすることです。我々一般人はアイドルではありません。顔の美醜や身長差で差別されるべきではありません。制度や習慣に差別は存在せず、それは個人的な価値観によるものなのですが、マスコミがそれをあおっています。
 筆者が子供の頃は、今ほどこの“あおり”は強烈ではなかったので、外観による差別はそれほどではありませんでした。でも現在は子供たちまでそういうことに敏感にさせられ、学校内には明確なカースト制が存在するのだそうです。恐ろしいことですね。
 俳優やアイドルは美形である方が良い、でもそれは演技であり演出です。才能と努力によって演じているわけです。ミズコンや看板娘などもそうですね。人それぞれなのですから、容貌における才能を持ち合わせない人は、他の才能を磨くべきですし、そのような風潮が重んじられるべきです。刻々と変化し続ける社会情勢では、多種多様な才能が必要です。
 外観が重要だ、第一印象で信頼に足るかどうかが決まる、そんなこと言われたら、短小でブサイクな筆者なんか社会からはじき出されてしまいます。困った。

2017年、Webマガジン『オモコロ』
2018年、KADOKAWA。
著者:小山健。

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