メイド文化の西東
それぞれのお店にそれぞれの文化がありますが、それらを総合したひとつのエリアとしても独自の文化があります。すなわち秋葉原と日本橋とでは、文化がちがうのです。
メイド文化の本場は何と言っても秋葉原です。それはオタク文化としても電気街としてもしかりです。日本橋はオタク文化の西の聖地などと言う人もいますし、その表現は筆者にとっても耳に心地よい響きではありますが、格のちがい本質のちがいは明らかで、日本橋は数ある地方都市の中で比較的規模の大きいエリアに過ぎません。文化の前に経済ありき、東京で当たったらしいから大阪でも銭にならないか、それが日本橋の本質です。ただ、その真似っこも3年続けば一端の歴史になり、独自の文化も生まれて来ます。ひところはメイド産業も峠を越えたかという声も聞かれましたが、3年を生きながらえた今、日本橋のメイド文化もようやく本物が育って来た、という感があります。客層にも厚みができ、店舗数も増えつつあります。
マスコミ業界の関心も少しずつ集まりつつあります。その反面で電気街にメイドは要らんと考える商人も少なくないようですが。
筆者は当然ながら日本橋メイド文化推進派であるわけで、そこにはアニメやそれにまつわる様々な文化を育むための重要な土壌があり、それをたいへん重要に考えています。メイドさんの多くは自らがオタク文化を満喫しているオタクそのものであり、腐女子であります。あるいは様々なオタ情報の交通整理役でもあります。様々な情報がメイドさんのお店に集まり、そこから拡がって行きます。そしてそして多くのメイドさんが、自らアニメーターや声優、電波系アイドルを志望する、オタク文化の担い手でもあるのです。
筆者は将来を嘱望される多くの人材をメイドさんの中に見出だして来ましたし、同人誌や作品作りを手掛けた経験のあるメイドさん、現在も活動中のメイドさん、コスプレイヤーとしての活動、歌やタレント活動をされているメイドさんにたくさん出会って来ました。
しかしながら、大阪の地からプロが育つことは多くありません。才能ある人はみんな東京に行ってしまうのです。
古来より上方は商売の町であり、江戸は文化の都でした。今でも日本の庶民経済を支える商売の大手はことごとく関西出身の人間です。東京の都心の大手デパート関係もほとんどが関西出身でしょ?
この違いは歴史にとどまらず、今も大阪の地に影を落としています。銭になるかならないかが、大阪人あるいは関西人にとってあまりにも重要であるばかりに、文化を育てることを忘れてしまっている、それが大阪なのです。才能がたくさん眠っているのにそれを育てる能力がない。素晴らしい発想や想像力を素晴らしいと評価する能力がない、それが関西なのです。
経済と文化は、文明社会では等価のように考えられることが多く、文化の価値を経済効果なんて表現するのをよく見聞きしますが、経済はしょせん対価に過ぎず真価にはなり得ません。経済が破綻したとき、手元に残ったイモは食えてもオサツ(お札)は食えないのです。
そのような事情で、大阪はいつまで経っても都会にはなれない、でっかい田舎のままです。
日本橋のメイド文化は他の多くの文化と同様、東京の二番煎じとして大阪の地に根付きました。それでも、二番煎じでもなんでも、根付いたことは根付いたのです。これを大事に育てて行けば、大阪の地からも強力な文化が育つかもしれない、人材を育成する能力が伸びるかもしれない、筆者はその可能性に大いに期待しているのですよ。
メイド文化の本場は何と言っても秋葉原です。それはオタク文化としても電気街としてもしかりです。日本橋はオタク文化の西の聖地などと言う人もいますし、その表現は筆者にとっても耳に心地よい響きではありますが、格のちがい本質のちがいは明らかで、日本橋は数ある地方都市の中で比較的規模の大きいエリアに過ぎません。文化の前に経済ありき、東京で当たったらしいから大阪でも銭にならないか、それが日本橋の本質です。ただ、その真似っこも3年続けば一端の歴史になり、独自の文化も生まれて来ます。ひところはメイド産業も峠を越えたかという声も聞かれましたが、3年を生きながらえた今、日本橋のメイド文化もようやく本物が育って来た、という感があります。客層にも厚みができ、店舗数も増えつつあります。
マスコミ業界の関心も少しずつ集まりつつあります。その反面で電気街にメイドは要らんと考える商人も少なくないようですが。
筆者は当然ながら日本橋メイド文化推進派であるわけで、そこにはアニメやそれにまつわる様々な文化を育むための重要な土壌があり、それをたいへん重要に考えています。メイドさんの多くは自らがオタク文化を満喫しているオタクそのものであり、腐女子であります。あるいは様々なオタ情報の交通整理役でもあります。様々な情報がメイドさんのお店に集まり、そこから拡がって行きます。そしてそして多くのメイドさんが、自らアニメーターや声優、電波系アイドルを志望する、オタク文化の担い手でもあるのです。
筆者は将来を嘱望される多くの人材をメイドさんの中に見出だして来ましたし、同人誌や作品作りを手掛けた経験のあるメイドさん、現在も活動中のメイドさん、コスプレイヤーとしての活動、歌やタレント活動をされているメイドさんにたくさん出会って来ました。
しかしながら、大阪の地からプロが育つことは多くありません。才能ある人はみんな東京に行ってしまうのです。
古来より上方は商売の町であり、江戸は文化の都でした。今でも日本の庶民経済を支える商売の大手はことごとく関西出身の人間です。東京の都心の大手デパート関係もほとんどが関西出身でしょ?
この違いは歴史にとどまらず、今も大阪の地に影を落としています。銭になるかならないかが、大阪人あるいは関西人にとってあまりにも重要であるばかりに、文化を育てることを忘れてしまっている、それが大阪なのです。才能がたくさん眠っているのにそれを育てる能力がない。素晴らしい発想や想像力を素晴らしいと評価する能力がない、それが関西なのです。
経済と文化は、文明社会では等価のように考えられることが多く、文化の価値を経済効果なんて表現するのをよく見聞きしますが、経済はしょせん対価に過ぎず真価にはなり得ません。経済が破綻したとき、手元に残ったイモは食えてもオサツ(お札)は食えないのです。
そのような事情で、大阪はいつまで経っても都会にはなれない、でっかい田舎のままです。
日本橋のメイド文化は他の多くの文化と同様、東京の二番煎じとして大阪の地に根付きました。それでも、二番煎じでもなんでも、根付いたことは根付いたのです。これを大事に育てて行けば、大阪の地からも強力な文化が育つかもしれない、人材を育成する能力が伸びるかもしれない、筆者はその可能性に大いに期待しているのですよ。
平生から「英国メイドの世界」や東大メイド研究部の論文、あるいは秋葉原のメイド喫茶などと比較しつつメイド喫茶とは何なのかと思考を巡らせていましたが、昨今における日本橋メイド文化の流れに疑問を抱いているところへ貴サイトを見つけました。私も似たような考えは持っていましたが、ここまできれいに纏められては無く、大変勉強になり、また自分でも考えを纏めてみようという気になりました。もしよろしければ私のWebLogからリンクを張らせて頂きたいですし、またお話をもっと伺いたいと思います。