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Another【TVアニメ】

2018/11/26


 1998年春、榊原恒一は父の海外赴任を機に母の実家に引っ越しし、夜見山北中学校に転入することになりました。しかし肺気胸の発作に倒れて入院することになり、実際に通学し始めたのは5月からでした。病院で見かけた謎めいた少女が同じクラスにいたことに驚きますが、さらに驚愕すべきはクラスのみんなにはその少女が見えていないようなのです。
 下校時に少女の後をつけてとある人形館に入った恒一は、彼女の存在を確かめることに成功します。常に左目を眼帯で覆った寡黙な少女は、名を見崎鳴(みさきめい)と言い、継母の人形師霧果と一緒に暮らしていました。鳴の話しでは彼女は新学期から“いないもの”になっており、他のクラスや先生たちも示し合わせて彼女の存在を無視しているというのです。それは、夜見山北中3年3組に伝わる“災厄”から生徒やその家族を守るための決め事で、クラスのまぎれ込んだ“死者”の分だけ生徒の数を減らすことで災厄を回避しようとしているのでした。
 ことの起こりは1972年に遡ります。クラスで人気者の夜見山岬という生徒の当然の死を受け入れられなかった生徒たちが、空席に人形を置き、岬を存在する者として扱ったのでした。先生たちも協力し、それは卒業まで続けられたのですが、その翌年から3年3組は災厄に見舞われるようになったのです。
 災厄は毎年ではなく“ない年”は無事に過ぎ去りますが、“ある年”すなわち死者がまぎれ込んだ年には、毎月のようにクラスの生徒及びその家族が次々に変死を遂げて行くのです。
 そして恒一が転入して来て間もなく、クラスメイトが死に、クラスメイトの家族が死に遭遇します。水野さんは恒一が病院で世話になった看護師で、クラスメイトの姉でした。恒一が鳴に接触することで、いないものの効果が失われたとし、クラスは恒一もいないものとして扱うようになります。
 しかしそれでも災厄は止まらず、不幸は相次ぎました。いないものが効果がないと判ると恒一と鳴はクラスに復帰しますが、2人が出会ってから災厄が始まったとして、大勢の生徒が2人を歓迎しませんでした。
 いないもの扱いの間、2人でいることが多かった恒一と鳴は、図書室の司書をしている千曳先生に話しを聞き、災厄を止める方法をあれこれ模索します。そして1983年に災厄が途中で止まったことを突き止めます。その日クラスは夏期合宿を行ない、神社でお祓いをしてもらっています。
 今年も合宿を行なうことが決定しますが、その前に恒一たちは立ち入り禁止の旧校舎で古いカセットテープを見つけます。それには1983年の合宿に参加した松永という生徒が残した録音ものが記録されており、クラスにまぎれ込んだ死者を殺すことで災厄を止められるとありました。
 今年の死者は合宿に来ているのか、いったい誰が死者なのか、生徒たちは互いに互いを疑い暴走し始めます。

 死者にまつわるホラーとしてはかなり異質な内容です。むかし突然の不幸に見舞われたクラスの人気者を、級友たちが存在する仲間として扱ったことが夜見山北中学校3年3組に災厄を招き入れることになってしまうというのですが、このお話しには誰かの恨みであるとか、邪悪な者の存在であるとか、そうした元凶が存在しません。死者を生者として扱うという、クラスメイトたちの人気者への愛情が災厄の起点になっているだけです。
 そうして“ある年”にはクラスに死者がまぎれ込むのですが、死者は以前の災厄で亡くなった人です。それならば周りの人が気づくはずですが、災厄の年には関係者の記憶と記録の改ざんが起こり、まぎれ込んだ死者が誰なのか知るすべがありません。本人さえ気づかないのです。
 災厄で亡くなり、蘇った人は普通に3年3組の生徒に溶け込みます。しかし年によってはまぎれ込む死者は生徒とは限らないのです。犠牲者が生徒とは限らないように。

 とにかく災厄の根本的な原因がはっきりしていません。1972年の発端となった出来事は、現象をクラスに招いた呼び水に過ぎないのです。原因が判らないから、誰かの恨みや無念を晴らすとか、そういった解決法がありません。
 幽霊や怪奇現象も登場しません。いつ起きるとも知れない理不尽な死に怯えながら暮らす3年3組の生徒とその家族が、夜見山の町に囚われているだけです。災厄から逃れるために夜見山から逃げ出す者もいますが、それは成功するとは限りません。町の境界直前で事故死したりして、人々は町の中に幽閉されているのです。
 じわじわと迫りくる死への恐怖という緊張感だけでストーリーを引っ張るわけですが、観ていて退屈しません。異色作でありながらひじょうによくできていると思いました。
 今年の“いないもの”見崎鳴は、ミステリアスな少女で、眼帯の下には事故で失われた目の代わりに、霧果さんに作ってもらった義眼があるのですが、その目が見通すものというのが、今年の災厄を解決する鍵になります。そして鳴がなぜそんな力を得たのかは説明されていません。

 批判的なことを申しますと、夜見山北中に呼びこまれた災厄も、鳴が持つ特殊能力も、納得のゆく根拠がりません。1972年に夜見山岬という生徒が突然亡くなったことは、災厄とは直接関係なさそうで、死者を生ける者として扱ったことが、災厄を招くある種の呪術になってしまったようですが、であればそれ以降の最初の“ある年”の死者は誰だったのでしょう。災厄によって死んだ者が、次の災厄を引き起こす“まぎれ込んだ死者”になるのですが、最初の災厄の年にはまぎれ込むべき死者が存在しません。鳴の特殊能力についてもまったく根拠がありません。彼女が夜見山岬と血縁であったとか、そうした因果も存在しないのです。それに自分の能力を知る彼女が、もっと早期にそれを使っていれば、悲劇のほとんどは回避できました。
 ネタバレになりますが、災厄は来年以降も続くらしく、鳴や恒一は後輩たちが災厄を逃れられるように苦心しますが、そんなもの鳴が翌年以降も3年3組に赴いて能力を行使すれば解決です。
 災厄の年にまぎれ込む死者に関する記憶と記録は自然に改ざんされてしまうのに、災厄があったこや多数の犠牲者が出ていることは人々の記憶に残っています。それもちょっと不思議です。それにこれだけ多くの犠牲者を出しておきながら、この学校が夜見山岬を思わせる夜見山北中学校の名を改名しないこと、凝りもせず毎年3年生に問題の3組を設けることも納得できません。3組になった生徒たちは命の危険に遭遇するわけですから、それを拒否することもできるはずです。学校自体が廃校になってもおかしくないでしょう。
 これらの矛盾をして本作を駄作だと感じる観客もいると思います。でも、シチュエーションホラーには、理由も根拠もなく降りかかる恐怖というのはありがちなことです。ただ、本作はシチュエーションホラーの様相を呈しておらず、日本の多くのホラーにみられる推理劇然とした雰囲気が強いので、矛盾点が気になってしまうのは仕方ないかもしれません。
 しかしそれを差し引いても本作は、独特の雰囲気と印象、観る者を引き込んで退屈させない展開がひじょうに魅力的なので、駄作などとは言われたくないです。

2012年、TV12話。
原作:綾辻行人。
監督:水島努。
脚本:檜垣亮。
声の出演:阿部敦、高森奈津美、前野智昭、山本和臣、市来光弘、米澤円、野中藍、河本啓佑、三戸耕三、平田広明、榊原奈緒子、原田ひとみ、高橋伸也ほか。

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