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不思議の国のアリス【小説】

2018/10/08


 川辺で読書中の姉の傍らで暇をもてあましウトウトしていたアリスは、人の言葉を話すウサギを見つけその後を追います。そのままウサギの穴に落ち、長い落下の後に広間に到着します。そこで彼女は小さな扉を見つけ、近くにあった小瓶の中身を飲んで体を縮め、扉を通り抜けようとします。ところが扉の鍵が高いテーブルの上にあって届かないので、こんどは見つけたケーキを食べて大きくなります。しかし大きくなりすぎてアリスは泣き出します。ウサギが置き忘れた扇子を手にすると再び体が縮むのですが、自分の涙の池に落ちてしまいます。
 やがて話をする動物たちが集まって来てアリスを岸へ上げ、体を乾かすために円になってレースを始めます。ところがアリスが飼い猫のダイナが鳥やネズミを食べてしまう話しをすると、小さな動物たちは怖がって逃げて行ってしまいます。
 そこへ戻ってきたウサギは、アリスをメイドだと思い自宅へ忘れ物を取りに行かせます。ウサギの家で再び小瓶を見つけてその中身を飲んだアリスは巨大化して家の中で詰まってしまいますが、駆け付けたウサギたちが投げた石がけーにに変わったのでアリスはそれを食べて小さくなり、家から脱出します。
 森へ逃げ延びたアリスは、横柄なイモムシに出会い、キノコをかじって体のサイズを調節する方法を教えてもらいます。それから魚とカエルの家来のいる家を見つけて中に入ると、気の短い侯爵夫人が赤ん坊を抱いており、料理人が鍋にコショウをどんどん入れながら、辺りの道具を赤ん坊に投げつけています。その傍らではチェシャ猫が耳まで裂けた口で笑っています。侯爵夫人から赤ん坊を手渡されたアリスが外に出ると、赤ん坊はブタに変わって逃げて行きました。
 いつの間にか樹上にいたチェシャ猫は三月ウサギの家を教え、笑いだけを残して消え去ります。三月ウサギの家の前では、ウサギと帽子屋とヤマネがお茶会をしていました。彼らは次々と席を変えながら、止まった時間の中で延々とお茶会を続けているのでした。
 次に訪れた美しい庭園では、トランプの庭師たちが白いバラに赤いペンキを塗っていました。そこへハートの女王が現れ、アリスをクロッケー大会に誘います。フラミンゴでハリネズミを打つクロッケーはなかなか上手くゆきません。それにゲートはトランプ兵たちがアーチになったものでしょっちゅう動き回ります。空中に出現したチェシャ猫の頭が、その様子をバカにするので、女王は飼い主の侯爵夫人を呼びつけます。
 侯爵夫人は先刻とは打って変わって上機嫌で、アリスはここにコショウがないせいだと思います。女王はアリスに代用ウミガメの話しを聞いてくるよう命じ、アリスはグリフォン(翼のあるドラゴン)に乗って代用ウミガメに会いに行きます。彼がまだただのウミガメだった頃の学校生活の話しを聞いているうちに、グリフォンが口を挿んで話しがどんどん変わってゆき、やがて裁判が始まる伝令が聞こえ、グリフォンは代用ウミガメをほったらかしにしてアリスを裁判所へ連れて行きます。
 裁判所ではハートのジャックが女王のタルトを盗んだ容疑で起訴されており、王様が裁判官になっています。白ウサギが罪状を読み上げ、アリスは動物たちの陪審員と共にその様子を見学します。
 証人として、帽子屋、侯爵夫人の料理人が呼び出され、次にアリスの名が呼ばれますが、アリスはいつの間にか体が大きくなってきており、女王も恐ろしくなくなり、裁判のでたらめぶりを非難し、女王たちをただのトランプとののしります。するとトランプたちは宙に舞いあがり、雨のようにアリスに降り注ぎました。
 そこでアリスは目が覚め、姉に夢の話しを語って聞かせるのでした。

 このあまりにも有名なお話しは、1865年にイギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンがルイス・キャロルのペンネームで発行しました。もともとは7歳の少女アリス・リデルに即興で語り聞かせたお話しで、作者はこれを手描きの本にし、少女にプレゼントしたのだそうです。幼い女の子のために彼は大変な労力を費やしたものですが、彼と少女アリスとの関係が気になるところです。河合祥一郎訳の和訳本のあとがきには、出版に至る経緯が詳しく記されています。

 この小説は、古くから何度も映画化やアニメ化がされてきました。また、アリスとその物語をモチーフにしたデザインが様々な小物、あるいは飲食店、アトラクション等で用いられています。アリスの作品に触れたことがなくてもアリスの存在やその物語がどんなものかは誰でも知っており、知らない人を探すことはほとんど不可能だと思われます。
 それほど有名な作品ではありますが、映像化やデザイン化、造形化のほとんどで、アリスやその仲間たちはメルヘンの世界の住人として描かれています。そう、不思議の国のアリスはおとぎ話であると、世間一般では認識されているようです。
 でも筆者は初めてこの物語に触れたとき以来、メルヘンというよりシュールレアリスムだと思うようになりました。原作では物語は夢落ちとして描かれていますが、それを支持するようにアリスの経験する出来事は支離滅裂で因果律が破たんしています。多くのメルヘンやファンタジーのように、魔法を使って悪をやっつけたり、人を助けたり、夢をかなえたり、そうしたロマンスやアドベンチャー要素はなく、奇妙な会話や現象が次々とアリスを襲い、最初は戸惑っていた彼女も次第にその状況に馴れ、上手く対処して行くようになります。絶大な謙抑を持つ女王が、口癖のように「その者の首をはねよ」を繰り返しても恐ろしくありませんし、読者にも恐怖を感じさせません。

 原作では言葉遊びがふんだんに用いられ、意味やイントネーションが類似した言葉が誤用されどんどん意味が変わっていったりします。それに応じて語り手の話の内容もどんどんずれてゆきます。この言葉遊びはアリスの神髄のひとつで、翻訳本ではその多くをうまく伝えることはできないと思われますが、筆者が読んだ日本語版では、韻を踏んだりダジャレのような表記をすることで、それを再現していました。慣習や感じ方考え方の異なる異国の作品を翻訳するというのは大変な仕事だと思いますが、本作のような言葉遊びが多用された作品では、その労苦が何倍にも大きくなることでしょう。布団が吹っ飛んだ、なんて外国語にどう訳します? 訳しておもしろさを伝えられます?
 原作者は、7歳のアリス・リデルを喜ばせるために、彼女を笑顔にするために、そして時にはハラハラドキドキさせるために、言葉の限りを尽くしたのでしょう。この物語が即興で作られた当時は、作者はアリスを喜ばせることに専心し、文学的意図はなかったのではないでしょうか。なのでお話しには愛と正義も、知恵と勇気もなければ教訓もありません。このあたりが多くのメルヘンやファンタジーと大きく異なります。
 2010年のディズニー映画「アリス・イン・ワンダーランド」およびその続編は、アリスの物語が愛と正義と知恵と勇気と教訓たっぷりのファンタジー作品に仕上げられています。

 教訓もストーリー性もない奇妙な言葉遊びの羅列のシュールな物語が、なぜ大ヒットしたのか、不朽の名作として語り継がれることになったのか、それはキャラ立ての妙技にあったのではないでしょうか。アリスの可愛さがこの作品の命というわけです。小さな可愛い少女が奈落の底に落ちてしまう冒頭シーンはなかなか恐ろしいシチュエーションですが、その後は話しをする種々の獣虫類や奇妙な住人たち、トランプの兵隊などが出てきて、彼女をおかしな世界にいざないます。いずれもひじょうに個性が強く絵になるキャラクターたちです。
 アリスは、ストーリーよりもキャラクターの素晴らしさで不朽の名作になった、と筆者は考えます。アリスと彼女を取り巻くキャラクターたちが多くの人々に愛されたことが、この作品を成功に導いたのでしょう。
 少したとえは違いますが、ストーリー的には破綻しているのにキャラ立ての上手さで成功したエヴァンゲリオンや涼宮ハルヒと同じですね。
 作家の皆さん、小説を書くにはストーリー性もさりながら、キャラクター作りにも入魂いたしましょう。
 世界中で愛されている小さなアリス、筆者も大好きです。

原題:Alice's Adventures in Wonderland。
1865年イギリス。
著作:ルイス・キャロル。

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