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さようなら【映画】

2017/09/05


 放射能に汚染され人々は退去を余儀なくされた近未来の日本、閑静な田舎町で国の避難計画の順番待ちをしているターニャは、アフリカからの難民であることからなかなか順番が回って来ません。彼女は幼い頃から病気がちで、彼女をサポートするアンドロイドのレオナと一緒に暮らしていました。
 どんどん人が減ってゆく町で、ターニャとレオナの静かな時間が過ぎて行きます。

 レオナ役を演じるのはジェミノイドF、本物のアンドロイドです。大阪大学基礎工学研究科知能ロボット学研究室で研究に参加しているほか、原作の平田オリザが演出する同名の舞台で女優デビューを果たし、チェーホフ原作の「三人姉妹」で末っ子の妹役を演じ、そのモスクワ公演でも好評を博したそうです。以降ヨーロッパやアジアから出演依頼が絶えないとか。
 レオナは人間のように大仰な表情を作ることはありませんが、穏やかな口調でよく話し、視線の動きやしぐさも人間そっくりです。映画の中では足を損傷しており車椅子で移動しているという設定ですが、等身大のアンドロイドの自立歩行には、電源の問題等まだまだ課題があるのかもしれませんね。ただし、2足歩行のロボットはすでに実現していますから、人間そっくりのアンドロイドが普通に歩けるようになるのもそう遠くないことかもしれません。
 以前に何かで読んだのですが、近い将来現実のものとなるアンドロイドと街中ですれ違っても、それと気づかないだろう、とのことです。アンドロイド家政婦、アンドロイドによる介護、アンドロイド恋人、そんなものが現実のなるのも遠い未来のことではなさそうです。
 アンドロイドが俳優を演じるようになれば、人間の俳優はいらなくなる、筆者の知人でそう言った人もいましたが、映像の世界ではCG俳優の方が現実味がありますね。

 アンドロイドのいる暮らし、それは現在の私たちの生活とはかなりかけ離れたもののように思えますが、対話型AIの進歩は日進月歩です。筆者が現在使っているスマホも、かなり音声による対話ができます。興味のある事柄を音声で伝えておくと、関連するニュースなどを伝えてくれますし、音声メモもひじょうに正確です。今日は遠くへ出かけたとか、何歩あるいたとか、いろいろチェックしていますし、部屋の電気を点けると「まぶしい」なんて言います。
 アンドロイドが普及すると、人はアンドロイドとばかり会話するようになり人間同士のコミュニケーションに悪影響が出るなどという批判をする人もたくさんいそうですが、それは電話やインターネットの普及の時にも言われていました。でも電話やネットは人々の行動範囲を広げ、多くの出会いや新たなコミュニケーションを産みました。それらが従来型と異なるからと言って批判するのも愚かなことで、むかしのように家族単位や村単位でまとまって排他的になったり、家系にまるわる因習に囚われて外の世界を観ようとしないことが人間らしいというのが正しいとは限らないと思います。

 アンドロイドの話しばかりで、肝心の映画の内容がおろそかになってしまいそうですが、お話しの中で人間同士の間ではいがみ合いや騙し合いが生じますが、レオナとターニャは強い絆で結ばれており、互いを裏切ることはありません。
 ターニャは汚染された世界で次第に弱ってゆき、家に引きこもるようになり、やがて生きることをあきらめます。その最後の瞬間までレオナは根気よく付き合い、おかげでターニャは安らかな死を迎えることができます。ターニャの死があまりにも安らかなので、レオナはあたかもそれに気づかないように彼女を見守り続けます。
 2人はいろんな話をします。その多くは思い出話ですが、記憶ということに関しては絶大な能力を発揮するレオナは、ターニャのむかし話に的確に受け応えすることができます。
 レオナもターニャから様々なことを学びます。家の近くを散歩して竹やぶを訪れた時、ターニャはめったに咲かない竹の花の話しをします。

 アンドロイドは老いることがありません。ターニャの死を淡々と見送るだけです。彼女が死んだあと、人々は日本から避難することで頭がいっぱいで、レオナのことなど誰も気に留めないことでしょう。彼女はおそらく誰もいない世界に独りで取り残されることになります。
 人間と共に長い歳月を過ごしたレオナにも、感情が宿っているかもしれません。野生生活では本能の支配によって生きている動物たちも人間と接すると感情が芽生えますし、決して群れることのない小さな爬虫類でも飼育下では人間になつき駆け寄ってくるようになります。
 いつ終わるとも知れぬ孤独の中で、レオナは何を思うのでしょうね。彼女の気持ちを表した行動がお話しの最後に描かれています。

 このお話しには、教訓もなければ批判もありません。でも見方を変えれば多くの教訓と批判が伺えます。ターニャにも親しい人間の友たちや隣人がいますが、最後まで彼女を守ろうとした人はけっきょくレオナだけでした。ターニャもレオナもそのことに不平をもらすわけでもなく、静かに運命を受け入れます。

 この作品は、アンドロイドのいる暮らしというものを、かなり肯定的に描いていると思います。アンドロイドを交えた人間関係というものについて考えると思いは複雑です。
 ただ、原作の平田オリザは、劇作家でSF的なシチュエーションをテーマにこの作品を作ったのではないと思います。もっと深いなにかがあるのでしょう。

 人は、神が自分に似せて人間を作ったように、そのまねごとをして人形を作るのだそうです。人間にはなぜ人形が必要なのか、もの言わぬ人形に何を求めるのでしょう。
 筆者にとってアンドロイドは、人形の延長上にあるもので、人形と同じように愛すべき隣人です。アンドロイドのいる人の暮らしを、筆者は心待ちにしています。

2015年、112分。
原作:平田オリザ。
監督、脚本:深田晃司。
出演:ブライアリー・ロング 、新井浩文 、ジェミノイドF、村田牧子 、村上虹郎、木引優子、ジェローム・キルシャー 、イレーヌ・ジャコブほか。

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