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タリウム少女の毒殺日記【映画】

2015/02/06


 科学に強い関心を持つ女子高校生が、虫や小動物を観察し、その様子を動画投稿サイトにアップし続けています。やがて観察対象は公園にいる児童や自分の母親に移ってゆくのですが、彼女の観察は単にあるがままを観るのではなく解剖や残酷な実験を伴い、母親に対しては少量ずつタリウムを投与しながらその変化を記録しようとします。2005年に実際に起きた少女による母親毒殺未遂事件の当事者の日記がモチーフになったメタフィクション形式の作品です。
 主人公の少女自身が学校で激しいいじめに遭っており、風評的にはその苦痛を虫や小動物への虐待で晴らそうとするうちに母親を毒殺すると言う行為に及んだ、そんなふうになるのでしょうが、この映画の少女は、いじめを学校という社会構造の中で必然的に生じるものとして受け止め、それをも観察対象にしています。「観察するぞ、観察するぞ、観察するぞ」と暗示のように唱えながら生き物たちにカメラを向け、解剖したり、化学的な実験を施したりし続けます。観察対象が母親に移ってからも被験者とのコミュニケーションを取ろうとせず、冷淡にカメラを向け続けます。
 母親は娘のことなどそっちのけでアンチエイジングに明け暮れ、娘に毒を盛られ続けていることも気づかずにやつれて行きます。
 少女が唯一心を開いている女性は身体改造アーティストで、体中痛々しいピアッシングやタトゥーで埋め尽くされています。

 ひじょうに不健全でマイノリティで奇異な世界を扱ったドラマであるにも関わらず、なぜだかとても爽快感があります。主人公が少女だからでしょうか。彼女は徹底的な傍観者に徹することで、世界を構成しているプログラムから新境地に旅立とうとしているそうです。主人公が少年だったら、もっと陰湿で絶望的な雰囲気になっていたかもしれません。

 物語は、身体改造アートのドキュメンタリーやクローン技術に取り組む科学者の映像といったものに時々遮られます。クローンの科学者の言動がかなり笑えました。「戦争の原因は宗教と貧富の差だ。クローン技術で人が複製できるようになれば、みんな平等になって貧富の差はなくなり、神の不在を証明でき宗教もなくなる」誰が聞いても狂信的ですよね。
 体をピンやフックで傷めたり異物を埋め込んだりする身体改造アートを、グロテスクなものとして遠ざけるのが一般的な考え方で、これを美学だと思える人は少ないでしょう。では、魚をさばいてバラバラにして皿に盛りつけるのはどうなのでしょう? 活けづくりと称して生きたままの魚を盛りつけるのは? 食べるための殺生は残酷ではないのだそうです。筆者もそう思います。でも活けづくりのような盛りつけは、いささかやり過ぎの感があります。弱々しく動かす口から血をしたたらせているのを嬉々として眺め「おいしそう」と目を輝かせているのは、先入観というプログラムによって心を操作されているからでしょう。それを見て怖がったり、残酷だと感じたりする子供は、まだプログラムによる洗脳が足りていない未熟者ということになります。

 この映画では変なものをいろいろ見せられます。変なものを集める名人だなぁ、この監督は。そう思いました。でも普通に暮らしていたのではなかなか向こうからやって来ない変なものを、変な少女を通して見るという機会は、とても貴重だと思いました。義務教育や高等教育、親の教育や一般モラル、そういった強要される学習は、理由も告げられず正しくて必要なことだと教えられます。しかしその多くが、じつは偏った考え方であり、素直な良い子で育つと大人になって裏切られます。大人の世界は欺瞞に満ちており、汚い手を使って財を築いた者が、当然の権利として経済の流れを破壊し社会を腐らせています。
 成長するにつれて思い知らされる社会の壮大なウソに挫折する若者が後を絶ちません。引きこもりや自殺を適応障害と一概に本人の責任にし、みんなで笑います。笑って良いのでしょうか? たまたま自分がそうならなかったので安心し、不適合者を退けて、社会の腐敗に加担し続ける、悲しいことです。不適合者を見下し、支配者の不正には目をつぶり、腐敗をみんな他人のせいにする。楽ですが希望のないわびしい生き方です。

 社会に適合できないとされる人の気持ちを考えたことがありますか? 適合できない人を多産する社会の欠陥について考えたことがありますか? いじめに加担したり、自分より劣る人間を作って見下したりしたことはありませんか?  この映画の中で、主人公の少女が、いじめに遇いながら、いじめる側の気持ちを理解しているような言動をするのに驚愕する人もいるでしょう。では、いじめられっ子の内面がどんなだったら驚愕しないというのですか?
 劇場に観に行った際、たまたま土屋監督のトークタイムがあって、最前列でアホづら下げて観ていた筆者は「なにかご意見はないですか」という監督の振りに挙手をせざるを得ませんでした。その時にも言わせていただいたのですが、この映画をたくさんの若い人たちに観てほしいと思いました。観察者に徹する、観察して観察して完璧な傍観者になる。無表情に淡々とつぶやくタリウム少女の言葉を、若い人たちなら理解できるかもしれない、世の中に我々が求めうるドラマなどなく、プログラムしかない、プログラムを超えて新境地を目指す、その意味を若い人たちに自分なりの見方考え方で理解してほしい、そう思いました。

 世の中には、変わり者がけっこうたくさんいます。宇宙の果てについて考えている理論物理学者なども変人扱いされるのが一般的です。そんな荒唐無稽なことを思索することになんの意味がある、自信家の凡人がよく発する言葉です。天才と気ちがいが紙一重なのだそうです。
 でも人々は天才の労苦の恩恵を受けて文明的暮らしを営んでいます。変わり者が作ったアニメに感激しています。凡人の中には自称変わり者もたくさんいます。変わってるとよく人から言われるなんて自慢したがる、あきれるほど普通の思慮の浅いだけの人が。
 社会は人々を教育によって支配者に従順な人材に洗脳しようとします。そりゃ世の中にはたくさん人がいますから、みんなが変わり者だったら統制が取れません。でも、社会には変わり者が足りません。濁った目をして汚れた言葉を吐く善人が多すぎます。
 この映画を観る若者の多くは、きっと何らかの感銘を受け、ものの見方考え方の幅を拡げるきっかけをつかむことでしょう。そうして世の中に必要な変わり者が増えてくれればと思います。変わり者といっても、かぁちゃんにタリウム盛るような変わり者では困りますが、腐敗を見てみぬふりをしない、間違っていることにそう言える、そんな変わり者がこれからの世の中にはもっともっと必要です。

 たいへん残念なことに、この映画はDVD化されていないようです。ロッテルダム国際映画祭ではひじょうに高い評価を受けたそうですが。DVD化されたら絶対に買うんですけどね。
 どこか学校じゃないところで、中高生向けに上映会とかやってほしいものです。

2013年公開、82分。
監督、脚本:土屋豊。
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi、川崎流空、朝岡実嶺、種田梨沙ほか。

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