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■これからの日本橋■

  関西は、東京に比べると田舎です。日本橋のオタク街もメイドさんも、秋葉系の地方版です。オタク産業の担い手たちは、秋葉系文化を関西にも持ってくれば儲かると思った、オタクたちは、秋葉系文化を関西にも欲しいと思った。需要と供給がバランスし、今の日本橋があります。秋葉の二番煎じではあるけれど、しかし関西人は、秋葉に負けたくない、東京になんでも持ってかれるのは悔しいと思う。なんだかオチャメですね。
 日本という国が資本主義社会であり、なんでも経済中心で回っている限り、様々な業界、様々な文化の中央集権傾向は必然的なものであり、日本中の人と企業が夢を追って東京を目指します。それが日本の常識です。なのに関西人は、東京に負けたくないと思い、ある種の敵対意識すら持っています。
 関西では人が育たない、大物はみんな東京に持って行かれてしまう。そんなことを嘆きつつ、けっきょく経済優先の考え方に固執し、人を育てることが下手くそなのが関西です。東京で儲かったらしいから真似をする。声優やアニメーターになりたい人が多いらしいから養成所や専門学部を造る。生徒が何人集まれば儲けになる、何人の教え子を持てば食っていける。そればっかなのですよ、関西というところは。
 とは言うものの、関西発で人と文化を育成している事例は実はけっこうありまして、吉本新喜劇や宝塚歌劇は、関西で生まれ育ちました。オタク業界では、造形の世界を大きく拡げた海洋堂、人形作りを一般化したボークス、ともに世界に名だたる関西発の文化産業です。また、京都でアニメ製作を手がけている京都アニメーションの名作「AIR」「KANON」「CLANNAD」「涼宮ハルヒの憂鬱」等を知らない人はいませんよね。
 これら優れた文化産業の存在は、関西の人たちが関西で活躍する機会を大きく拡げました。それどころか関東からも人が集まって来ます。すごいことです。ここまで来れば、西の文化園として東京と張り合いたいところですよね。

 東京と張り合うと言いましても、東京に追い付け追い越せのスタンスでは、あまり身がない気がします。独自の文化園創りを目指し、それが東京にも影響力を及ぼすようにならなければ。上述した企業などはそれを達成した好例ですね。
 そして日本橋は、オタク文化の西の重要拠点です。ここでは様々なモノと情報が流通し錯綜しています。そうした状況の中、メイドさんたちは情報の交通整理役として、文化創りの一翼を担っています。
 メイドさんの役割はそれだけではありません。メイドそれ自体がオタク文化の重要アイテムで、かつまたアニメにあまり通じていない人たちの間にもファン層を拡げ、オタクを中心とした横社会の拡大に貢献しています。
 また、メイドさんの一部は、お給仕で萌えと癒しを提供するだけでなく、アイドル化が進み、芸能プロダクションやタレント事務所もこれに注目しています。様々なイベントやコマーシャルにメイドさんが起用され、さらには地下アイドル(アングラアイドル)の養成が進んでいます。地下アイドルの養成ということに関しては、芸能界の利益重視の体質が否めない面もあるのですが、大きなチャンスと可能性を内包しているのも事実です。
 ただここまでは、まだまだ秋葉の二番煎じです。ここからさらに日本橋独自の文化を育てて行きたいものです。
 関西は古くからお上に反抗的な気質がありまして、お上の世話にならずに自分たちで何かを創りたいという思いが強かったみたいです。ルールを守るのが苦手、どこへ行くにも関西を背負う、東京に敵対意識を持つ、そうした関西人の熱い思いというか、空回りというか、変な意地みたいなものが、良い形になって関西発の文化や地場企業が育ちました。関西気質にはいろいろ難儀で困った面もあるのですが、筆者が理想とする横社会の構築ということでは、有利な点が多い気がします。そこのところを活かして、日本橋にも秋葉原とは異なる独自の明日を切り開いてもらいたいと思うわけですよ。
 日本橋に何ができるのか、どんな可能性があるのか、これから見てゆきたいと思います。

メイド産業と不況

  メイドさんのお店が、日本橋を支える産業のひとつとして根づくまでには様々な危機がありました。過当競争と第一次ブームの終焉、電気街との軋轢。
 2007年頃、日本橋のメイド産業はブームの終焉を迎えたかに見えた時期があります。メイドとはどんなものだろうと、興味本意で来店した人たちの多くが、思っていたよりつまらないとか、意外と普通じゃないか、あるいはやっぱ自分には合わないとか判断し、来店しなくなり、その後も新客を増やすことが難しい、そんな状況が続き、営業時間を短縮したり、休日を増やしたり、メイドさんの数を減らしたりするお店が増えてゆきました。閉店に追い込まれるところもありました。
 全盛期には、日本橋以外の京阪神地区にもたくさんのメイドさんのお店がオープンしたものですが、ブームを越えて生きながらえたお店は残念ながら多くありません。
 ブームの終焉の原因のひとつは、ブームに乗じて安直な発想でオープンする店が増え、そういう質の低下がメイド産業全般の足を引っ張ったことでしょう。メイドさんのお店に初めて来店した人が粗悪店に当たってしまったりしたら、メイド産業そのものに失望してしまいます。
 一方、電気街との軋轢に関しては、お店の当事者でないとなかなか実情が見えて来ませんが、電気街の大手家電店はそうとうメイドさんを煙たがっていたようです。若者の興味が電器製品よりもメイドさんに向き、メイド店へ行くお金欲しさに電器製品を万引きしてそれを中古店に転売する、そういう事態が電気街を逼迫させることになったと聞いたことがあります。しかしこれは、関東でそういう事例がいくつかあったという情報が流れて来たことによる、電気街側の杞憂ではなかったかと思います。電気街の一頃の衰退の大きな原因は、梅田や周辺都市に便利で品揃え豊富な量販店が増えたからでしょう。
 メイド産業の隆盛によって、日本橋に多くの客足が戻って来、電器店はオタク文化を取り入れたホビー部門や映像ソフト部門の強化によって業績を伸ばしています。メイドさんのおかげで電気街も救われたんじゃないかと言いたいですね。そして今では電気街もメイドさんを遠ざけようとはしなくなったらしいです。

 こうしたメイド産業の浮沈劇は、秋葉原の方がはるかに顕著で、ブームの終焉も関東の方が早かったようです。日本橋では変化はもっとゆるやかで、メイド産業の浮き沈みについて実感している人はそれほど多くないかもしれません。少なくとも客の立場からは、お店の苦戦なんて、よほど裏事情にくわしい人でもない限り何も伝わっては来ませんし、それよりも客の関心事は、営業時間の変更やメイドさんの人事往来だったでしょう。敏感な人は、それらの変化からお店の経営の動静をあれこれ感じとっていたかもですが。

 日本橋のメイド文化が本当に開花したのは、じつは秋葉原を中心としたメイドブームが去ってからでして、2008年以降の日本橋のメイド店は大きくクォリティが上がりました。熟成したお店はよりレベルアップし、新たにオープンしたお店も設備もサービスも行き届いた優れたところが多かったです。
 2008年以降の日本橋では、全体的にお店がレベルアップし、客層も広がりました。最初に火が点いた頃よりも今の方が隆盛を極めています。これが単純な流行に留まらず、不動の文化として根づいてほしいものですね。

 ところが、世は数百年に1度といわれるほどの大不況です。不況に強いオタク産業と言えども、安心していられる状況ではありません。
 収入が減って生活が苦しくなると、人は当然ながら趣味にかかる経費を削らざるを得ないわけで、お金がなければ真っ先にメイドさんを削ります。それでもカフェなら単価も低いし、とりあえず食べなきゃならないので回数を減らしてでも何とか通えます。しかし10分単価約1000円のリフレはきつい。
 好景気でみなさんリッチな時は、客単価が大きなリフレ店は有利ですが、不況になるとダメージが大きくなります。カフェならメイドさん1人で複数の客にサービスを提供できますが、リフレ店では、客1人にメイドさん1人を付けなければなりません。客1人が占有するスペースも大きく、大型店でも10個の施術ブースを持つところはまずありません。
 それでもリフレのお店はずいぶん増えました。世間一般にリフレクソロジー店は増加傾向にあるようで、現代人はどれだけお疲れやねん、と思ってしまいます。施術するのに特別なライセンスを取得する必要がないマッサージのお店は、比較的手軽に出店しやすいですからね。
 しかしながら、お店が増え過ぎて過当競争になるのが心配です。今のところ価格破壊合戦のような現象には至っていませんが、需要と供給が極めて危うい状況にある不況下では、顧客の奪い合いは共倒れを招きます。客はそういう経営の裏側を敏感に肌で感じるものです。過当競争により経済的側面が前に出て来ると、客は夢から覚めちまいます、飽きてしまうのです。
 この不況を乗り越えて隆盛を維持してゆくためには、競争よりも団結が必要でしょうね。オーナーは自分の店への客の誘致だけじゃなく、日本橋全体の客を増やす方法を考えてゆかねばならないと思います。
 そのためには文化を育てることが重要です。人々が、やりたいことをするために、知りたい情報を得るために、なりたいものになるために日本橋へ来る必要がある、そんな状況を育ててゆかねばなりません。そのためにはメイド店が団結して1つの大きな市場を育ててゆかねばならないのですよ。
 ひじょうに抽象的な言い方なので、読者は何をどうしろと言うねんとお思いかもしれませんが、日本橋へ来る人たちが何を求めているのか、日本橋というところがどういう文化を持っているのか、どういう人が集まる街なのかをじっくり見つめてみれば、何か見えて来ませんか?

 日本橋が秋葉原を目標にしたところで参考になるものは多くありません。立地条件がまったく異なります。向こうはメイド産業がそのまま観光地化していますからね。基礎からちがうと言ってもよいでしょう。
 また、東京は関西ほど商売上手じゃありませんが、文化を育てるということではひじょうに優れています。経済優先型の関西との違いがここにもあります。優秀な人材がたくさんいるのに、それを育てることができない関西との違いは歴然としています。東京に学ぶべきはこの点です。
 日本橋は、もっとメイド店同士が結束する必要があります。日本橋メイド組合あるいはメイド振興会といった機関を立ち上げ、互いに情報を交換して、メイド文化の根幹となるスタイルや相場を作ってゆく。勉強会等を実施し、日本橋独自の文化作りについて研究する。できればオーナー、現場のメイドスタッフ、メイド店をよく知る客、それぞれの立場が渾然一体となったディスカッションができると良いですね。そういう人と人との結束による"街造り"を目指してゆきましょう。そうすれば日本橋は他にないモノスゴイ文化都市に成長することでしょう。それだけのポテンシャルをこの街は持っているのですから。
 では、日本橋の文化を育てるのが、なんでメイドさんなのでしょう。それは、メイドさんが、アニメやこれに付随する文化……映像と音楽、コスプレ、萌え、同人活動ほか……を包括し具現化したひとつの形だからです。メイドさんという象徴が、人と情報を日本橋に集結させる力を持っており、芸能界や報道機関の注目を集める能力を持っているからです。
 これからの文化は、オタク文化ですでに始まっているように、素人というでっかい土壌から才能が開花しプロの業界を引っ張ってゆくという状況にどんどん傾倒してゆきます。そうした才能の発掘と育成の現場の最も近いところにメイドさんはいるのです。そして観光地化している秋葉のメイド産業よりも日本橋に期待できる点がそこなのです。
 日本橋のメイド産業はいま、不況の波に飲み込まれて衰退して行くのか、文化育成の象徴としてさらなる発展を遂げるのかの、大きな岐路に立たされています。ここで正しい判断を選択することを期待したいものです。


日本橋クォリティ

  2008年以降、日本橋にはメイドさんのお店がずいぶん増えました。とくにリフレ店の増加が目立ち、それに伴って施術内容も増え、メイドさんのお店を回れば、頭のてっぺんから足の先までくまなくケアしてくれます。カフェの方も何店かオープンし、それぞれ特徴のあるメニューとサービス、メイド服で、ご主人様気分を満喫させてくれます。
 お店がどんどん増えると、過当競争が心配で、古くからのメイドさんファンには乱立を嘆く向きもあるようですが、2009年現在、筆者の見たところではそういった心配は無用に思えます。顧客の争奪戦になると、価格破壊による質の低下あるいは風営法に抵触するようなサービスの出現を招き、そうした営業の乱れがメイド産業全体に危機をもたらすようなことにもなりかねません。繁栄と崩壊は隣り合わせです。競争ではなく協調によってメイド文化を育てていってほしいものです。
 お店がたくさん増えましたが、過当競争に至っていない現在、乱立に伴う質の低下は見られません。むしろ多くのお店で質の向上が見られます。ただこれは筆者の主観もあるので、中には反対意見もあるかもしれませんが、そうした反対意見もまた多くは主観に依るもので、決まったお店にしか通っていない人たちが、メイドさんと客の入れ代わりによって自分の居場所が小さくなり、お店に対して批判的になり、それがメイド産業そのものを批判するようになってしまうケースが多いと思います。

 筆者は前々から思っていましたが、でんでんタウンや難波界隈の多くの飲食店に比べても、日本橋のメイドカフェはたいへん美味しいものを食べさせてくれます。メイド店は女の子が売りでメニューは二の次と思ったら大まちがいです。秋葉原とちがって日本橋は、一見さん(観光客)目当ての商売ではやってゆけません。良質の常連客を増やさないことには経営は成り立たないのです。可愛いメイドさんがいるというだけでは納得しないのが関西人です。……たくさんメイドさんを雇わないといけないんだから、劣悪メニューが高くても仕方ないね、とは関西人は言ってくれないのです。
 メイドカフェの中には高級料亭が舌を巻くようなすごい料理を出すところもあります。筆者のようなグルメでない人間は、メイドカフェにお帰りしなければ、こんな高級料理とは生涯無縁だったかもしれません。オタクで良かったとつくづく思います。もちろん料亭に比べて低価格です。ここまではいかなくても、一般のレストランと遜色ないメニューを出すメイド店は日本橋では当たり前です。でんでんタウン近辺でお昼に行列ができるお店よりも、メイド店の方が美味いなんて当たり前です。
 リフレ店に関しても、一般のお店よりもレベルが低いということはないです。最近は皆さんお疲れなのか、日本橋以外でも一般のリフレ店がどんどん増え、低価格競争が激しいようです。そういうお店に比べるとメイドさんのリフレ店は明らかにレベルが高いです。重度の肩凝りに悩まされている筆者の友人も、以前はメイド店だけでは充分に癒されないこともあったけれど、今ではメイドさんでなきゃ癒されないのだそうです。
 メイドさんの日本橋クォリティは本当にすごいです。良質のメニューとたくさのメイドさんをそろえ、様々なイベントや特典を企画し、ブログや日記帳を用意し、その経営努力とメイドさんたちの苦労は大変なものです。可愛いメイド服を着て笑顔を振りまいているだけの華やかなだけの仕事ではないのですよ。

 日本橋のメイド産業が、現在の深刻な不況に関わらず勢いがあるのは、それぞれのお店の創意と血のにじむような努力の賜物です。メイドさんのお店は、たゆまぬ努力を続け前進し続けています。変わり続けています。
 その変貌が時には上手くゆかず顧客離れを招いてしまうこともあるでしょう。そんな苦しいとき、オーナーやスタッフは良かった時はお店がどんな状況だったか、思いを馳せるはずです。メイドブームが下火になったとか、他店の過剰サービスに客を奪われたとか、苦境を他人のせいにしていたら、そのお店はそれまでです。良かったとき、顧客がどんどん増えた頃は、オーナーとメイドさんと顧客との絶妙な一体感があったはずです。他店との連帯感も必要です。日本橋全体の発展なくしてお店の繁栄はありえません。オーナーの裁量だけでは日本橋では、あるいは関西では、メイド店を上手く舵取してゆけません。現場の能力と判断がお店の浮沈を大きく左右します。そして現場の能力とは、顧客のニーズそのものであり、日本橋を駆け巡る情報なのです。

 関西というところは、多くの点でひじょうにシビアです。張りぼてはすぐに見抜かれ、見え見えの営利主義はたたかれます。金銭面とお得感にも大変うるさいです。利己的で困った客も多いです。でも、そうした厳しい批判眼をクリアしたとき、独特の人情に触れることができます。
 オーナーやスタッフが、どれだけ意識しているか判りませんが、日本橋のメイド産業においてオーナーとメイドさんと顧客の三位一体による文化の創造はたいへん重要です。それが日本橋クォリティを支えています。
 また、お店の業績が伸びるのは他店の客を奪取できたからではありません。お店のクォリティが日本橋のメイド文化に寄与しているからです。ひとつの店が他店をどんどん食いつぶすような日本橋には人は集まりません。優れたメイド店がたくさある日本橋に人は集まるのです。
 こんなことを、ここでクドクド言わなくても、今の日本橋はたいへん良い方向に向かっていると思います。日本橋の将来性に、筆者はゆるぎない信頼を抱いています。ただ、操舵を少し誤れば突然崩壊は訪れます。今の良い形の本質を見極め、必要なものをきちんと知りつつ、明るい未来へ向かって行ってほしいものです。


手作り文化

 メイドさんのお店ではしばしばイベントが催されますが、その素晴らしさの本質は、メイドさんたちの創意による手作り文化です。これは、伝統を重んじる老舗や、チェーン店等ではまず無理な話しで、言わばメイド店ならではの独特の文化です。もちろん他のお店でも文化は存在しますし、とくに個人商店等ではかなり手作り感が顕著だるケースが多いです。しかしながら、現場の店員の意向が経営にこれほど反映されるお店はなかなかないと思います。
 近頃の経営者レベルの人間は何を勘違いしているのか、自分が神にでもなったつもりでいる輩が多く、現場を把握する能力もないクセに妄想や思いつきで天の声を垂れ、現場の仕事を疎外するケースがひじょうに多いように思います。現場をかじるていどにしか知らない社長の息子みたいな世襲バカが増えたせいでしょうか。また社員の多くも保身のために天の声に抗えず、けっきょくお店を実質的に運営しているのはパートの方々という状況です。
 どこかの会社で、パートの女性が社長に下克上したというニュースを耳にしたことがありますが、筆者に言わせればそんなもん当然です。現場の最前線で顧客ニーズに直に接しているパートさんがいちばん偉いに決まっているのです。お店や会社を支えているのはパートさんで、社長は経営者ごっこをして威張りちらしているだけの裸の王様です。
 縦社会の勝ち組ルールが、けっきょく人間社会の本質をダメにし、亡国を招くのです。そうやって権力は何度も何度も崩壊し、破壊(無駄遣い)と浄化(リフレッシュ)を繰り返しています。
 筆者がこの手のことを語るとついクドクドした批判になっちまっていけません、反省です。

 パートさんのような現場の実質的な実力者の意向が、お店の運営に大きな影響力を持つ好例が、メイドさんのお店です。現場の裁量による手作り文化が、メイド店を強くしていますし、メイドさんの意志を踏みにじり、縦社会流の官僚主義がお店を支配したら、お店が崩壊するのは目に見えています。

 そしてメイドさんの創意による手作り文化は、オタク文化の一翼を担うものであり、信頼関係のネットワークで維持される横社会の姿勢を確実に踏襲しています。
 アニメやコミックを母体とするオタク文化には、様々なアイテムがあります。同人誌や同人ゲーム、音楽、コスプレ、ネット社会での情報交換と創作、そしてメイドです。同人創作はアニメ業界に新たな作家と新たな風をどんどん送り込み、コスプレはファッション界に並ならぬちょっかいを出しています。ネット社会でのオタクの活躍は、トレンドと流行語(その多くは慣用表現として定着)を産んでいます。電波ソングがオリコンのチャートに食い込んで来ることは今ではそれほど珍しいことではありませんし、Jポップスの大型アーティストの多くがアニソンを歌っています。二次創作の著作権問題が云々されながらも出版社自らが同人誌作家を懐柔し、アンソロコミックで儲けています。
 そうしたオタク文化のアイテムの中でメイドさんは、お店というオタク文化の3次元の拠点に立ち、飛び交う情報と批評、人々の熱い思いを受け止めては流布しています。メイド店は情報の交差点であり、メイドさんは情報流通の交通整理役です。
 そしてまた、メイドさん自身が創造の担い手でもあります。コスプレや同人活動をしているメイドさんは少なくありませんし、メイドさんのアイドル化やタレント化も進んでいます。お店のイベントのみならず、企業が催す企画にも駆り出されます。お店のイベントの企画と準備、日々のブログや日記だけでも立派な創作活動です。

 メイド文化は、様々な試行錯誤を経て徐々に熟成されて来ました。これからますます発展してゆくと筆者は信じていますが、繁栄の方向性として、経営の組織化、大企業化を目指すのはちがう気がします。そのことが現場の創意を疎外せず、縦社会流の官僚主義を産まなければ良いのですが、なかなかそうはゆかないでしょう。
 営利よりもまずは文化の創造と育成です。お店たるもの目指すはお金儲けなのですし、そのために奮闘するのは当然のことなのですが、思想として文化造りということを忘れてはいけません。オタク文化の原点とも言うべき思想は「できたらいいな、あったらいいな」という人々の熱い思いです。メイド産業を世にもたらしたのも、この思いであったはずです。


オタクと横社会

  ここでひとつ予言をしておきます。オタク文化における横社会の構築は、今後ますます成長し政治的にも大きな力を発揮し、国家を主体とする縦社会を揺るがして行きます。縦社会を否定するわけではないし、その崩壊を望んでいるわけでもありません。これは自然の流れなのです。これからの時代では縦社会は横社会から人間社会の本質を学ぶことになります。縦社会の利点は少なくないし、これまではそのやり方で国が繁栄してきたわけですが、時間と共に弊害の蓄積が進みました。中央集権はますますうまく機能しなくなり、それに反比例する形で政治の民主化が進みます。縦社会でも、横社会に倣った信頼関係のネットワークが強化され、地域格差が小さくなり、政治は人々を束ねるものではなく、人々が利用するものへと徐々に変わって行きます。経済を回すための虚飾の文化は鳴りをひそめ、文化が経済をリードしてゆくようになります。
 これは理想論ではありません。成長し続けることでしか存続できない経済の在り方が、先進国といわれる国々で限界に来ており、社会を構築するシステムが次々に破綻を来している現在、政治経済の民主化が進行することは必然なのです。言わば縦社会自身がこうなることを内包していたのです。

 横社会の実例として今もっとも顕著なものが、オタク文化の拡大とそれを維持するネットワークです。そもそも横社会というものは、人間の生活のあらゆるところに存在するありふれた人間関係の進化型です。筆者が横社会と称している事象は、そのありふれた人間関係が地域の壁を越えて成長し、大規模なネットワークを構築した状態を言います。
 縦社会は上下関係とパワーバランスで維持された、経済主体のシステムですが、その原点は家長制度であったり師匠と弟子の関係であったり、人と人との信頼関係で結ばれた自然な流れです。それが巨大化し高度にシステム化されるにつれて、人間よりも組織を重視する殺伐とした社会構造へと変貌して行きます。競争が生じそれが自衛と攻撃に発展します。
 一方、横社会はひじょうに大規模なネットワークに発展してからも人と人との信頼関係が保たれ、それが社会システムを維持します。営利目的で他人を利用するようなシーンがないわけではなく、そこから力関係による縦社会化が生じて来るようなこともありますが、それは一時的なものである場合がほとんどです。
 オタク文化における横社会では、文化というものが社会の骨組みになっており、経済効果は副次的に発生します。オタク文化に必要な情報は、ネットワーク上に垂れ流し状態で公開され、ネットワークへのサクセスができれば自由にそれを利用できます。情報の公開と取得が自由にできる環境の維持が、横社会の原動力になっており、このシステムによって人々に利益がもたらされます。
 このように分析すると、何だか堅苦しいシステムのように思えてしまいますが、オタクたちは別に横社会というものを創って、縦社会に対抗しようと企んでいるわけではないし、自分たちの行ないが横社会を構築しているという意識もないでしょう。ただ、アニメやコミックが好きで、一生懸命に趣味に生きているだけです。
 歳相応でない趣味に埋没し、自室に閉じこもってアニメやゲームに興じ、インターネットの電脳世界を泳ぎ回っている、それがオタクの実態ではありますが、その営みの中で莫大な量の情報が取引され、作品が公開され、物流が生じています。
 最近は世の中におけるオタクの認知度も上昇し、かなり年配になってからもオタクであり続ける人が増え、長いオタク生活の中で、オタク流の生き方、オタク流の人間関係が人類の未来を変えるのではないかと感じている人は少なくないと思います。その意識が横社会の原動力です。
 オタク社会には、中央集権が存在しません。地域格差や年齢性別による格差もあまりありません。情報の多くはインターネットを通じてやり取りされます。掲示板やチャット、ブログ、動画公開用のコンテンツ、それらがオタク社会のメディアであり、ジャーナリズムの専門家を必要とせずに個人の人間が自由にメディアを利用しています。あるいはネット通販やネットオークションを通じて、物が流通します。
 オタク社会では、インターネットという政治システムを個人が自由に利用することによって社会の仕組みが成り立っています。自由度と匿名性がひじょうに高いので、悪用される危険性もたいへん大きいです。しかし、悪用が蔓延すれば社会が円滑に運営できなくなるといこをほとんどの人が理解しているので、そのことが社会秩序を維持しています。自由平等は、信用と信頼の上に成り立っているのです。
 ネット社会における弊害がよく指摘されますが、実際にはそれは一握りにすぎず、システムはおおむね良好に維持されています。ネットを通じて視野を広げ、ネットを通じて知識を高め、ネットを通じて作家デビューを果たす。ネットを通じて見知らぬ人から励ましを受け、自殺を回避できた人もたくさんいます。
 この自由参加型で維持される政治システムは、人間社会の進化形として今後も発展して行き、人類の明るい未来を切り開くでしょう。オタク文化の情報交換と物流の多くがこの政治システムでまかなわれているわけですが、他の分野にもこの方法はどんどん波及して行きます。そして縦社会の中央集権システムは少しずつ、誰も気づかぬ内に機能を縮小してゆきつつあるのです。
 不況の風が吹き荒れる現在、政治批判と将来性への憂慮が人間社会に蔓延していますが、国民は何でも政治の責任にし過ぎです。高度情報化社会の強力な情報ツールを活用すれば、政治に多くを依存しなくてもやっていけることがたくさんあります。
 筆者の文筆活動の大先輩で、こんなことを予言した人がいます。「将来の政治というものは、鉄道のレールのようにあらかじめ敷かれたシステムとして存在し、人々が自由にそれを利用できるようなものになるだろう」……オタク文化における横社会の構築は、明るい未来を予感させてくれます。


オタク文化と横社会

  オタク文化を発展させている横社会の原動力は、人と人との信頼関係です。電脳ネットワークの世界は、極めて自由度と匿名性が高いので、悪事がしやすいのですが、その誘惑に負けて信頼を裏切るような行為に及ぶと、ネット上で利益を得ることが難しくなります。また、他人に実害が及ぶような行為が蔓延すると、ネットワークの存在自体が危うくなり、横社会は崩壊してしまいます。
 もちろん弊害や犯罪がないわけではなく、マスメディアは電脳犯罪やインターネットの弊害を危機感をもって報道しますが、それは極一部です。例えば車社会でも事情は同じでしょ? 世の中に車がなければ事故も公害もないわけですが、それ以上に車から得るものが大きいので、車はなくなりません。人々の良識と自覚によって車社会は維持されています。

 電脳社会は、物質的な社会と対を成すもう1つの人間社会です。電脳ツールを利用すれば小さな労力で莫大な量の情報を取得したり、大規模なコミュニケーションに参加したりできます。物質的な社会では考えられないような大容量で高速の情報の流通が省力的に行なわれ、そこから大きな創造が実現できます。
 物質的な社会では実現が難しかった、専門知識の取得や、世界へ向けての情報の発信、作品の発表といったことが容易になります。専門課程をクリアしたスペシャリストにのみ許されるようなことが、アマチュアにも実行できる可能性が拡がり、かたよった学術知識による高等教育制度と経済制度の壁に阻まれていた才能を開花するチャンスが生まれます。
 オタク文化は、この電脳社会のシステムを利用して爆発的に発展し、また多くの才能が開花しました。
 オタク文化の原点はアニメやコミックへの興味であるわけですが、ただ作品を楽しむだけでは文化を感受しているだけのことで、そこから作品に対する評価や批判が生まれ意見交換が生じ、人と人とのネットワークが拡がって行くことによって文化が生まれます。これは他の趣味でも同じことで、例えば鉄道やスポーツ観戦でも、ファンのネットワークが拡がることで、楽しみ方、応援の仕方の方法やスタイルが確立されて行きます。
 オタク文化のみならず、あらゆる趣味の集いはネットワークという横社会を築いています。横社会では、信頼関係によって情報が交換され物流が維持されます。見ず知らずの他人同士の信頼関係は利害関係と紙一重でもあるわけですが、縦社会のような閉塞環境での力関係では横社会は成り立ちません。

 人間社会には、趣味のネットワークという横社会が古くから多数存在し、人々は意識することなくそれらに所属していたわけですが、その中でオタク文化による横社会は圧倒的な強さと規模を誇っています。その繁栄の秘訣は、あらゆる情報メディアと緊密な関係を持っていること、映像や音楽、美術や文学というあらゆるジャンルの文化を動員していること、そしてプロとアマの垣根が曖昧になって行ったことでしょう。
 アニメを作るには、美術と音楽と文学、そして最新テクノロジーを総動員します。あらゆるマスメディアが、オタク文化のために用いられ、電脳ネットワークをフル活用して情報交換や作品の公開が行なわれます。
 オタク文化は、映像による2次元文化だと思われがちですが、フィギュアやプラモデルといった3次元の造形も盛んですし、コスプレも3次元です。メイドさんは3次元のアイドルです。
 オタクというと大のおとなが年相応でない趣味に没頭している、キモくて変態じみたイメージをもたれがちですが、アニメやビデオゲームは技術と芸術の粋を結集して作られ、あらゆるメディアで伝えられます。放送、映画、音楽、出版、造形、玩具のあらゆる業界が作品の製作と発表に携わっていますし、芸能界やファッション界もオタク文化と無縁ではありません。
 こうしたオタク文化の拡がりが、海外にも及んでいることは、今や周知の事実ですね。
 そして電脳世界には、映像や音楽や、オタク文化を伝えるための様々な情報が飛び交っています。また多くのオタクたちが、作品の評価や批判をするだけではなく、自らも作品作りを手がけ、それらは多くのファンに支持されています。
 筆者ももちろんオタクですが、オタク文化は本当に奥が深く世界が広いです。遊んでも遊んでも遊びきれないし、いくら勉強しても学びきれません。ネットを通じていろんな人と知り合いになれましたし、メイドカフェでも人間関係が拡がり、たくさん知識を得ました。同人活動している人、アイドルやタレント業をしている人とも知り合いました。
 筆者はまた、オタクであると同時に会社勤めを長く続けているサラリーマンでもあります。典型的な縦社会で、人と企業の醜さ、厳しい格差、力関係を維持するための数々の不正と無駄な労力、資源と経費の浪費を目の当たりにしています。企業が、横社会のノウハウを少しでも取り込めたら、もっと無駄を省けるし、もっと人に優しくなれるのにと、つくづく感じています。
 でもまぁ、縦社会が成長すればするほど限界に近づき、うまく維持できなくなって行くのは自明のことなので、人間社会の横社会化は自然と進んで行きますけどね。
 オタク文化の横社会の構築とその発展を見ていると、人類の未来は明るいと思うわけですよ。


オタクと横社会の発展

 オタク文化は、古くからアマチュアの作家を育んで来ました。自費出版による同人誌の出版とその展示即売会は、昭和の時代から盛んでした。多くのオタクたちが、既製の作品を鑑賞するだけでなく、自ら創作を手がけて来たんですね。そして同人作家からプロへ転向するケースもありました。
 また、優れた同人作家は、プロに転向するまでもなく多くのファンを獲得し、アマチュアのままプロ顔負けの創作活動を展開して来ました。
 同人誌だけでなく、コスプレイヤーと衣装製作、音楽やゲーム等でも、アマチュアによる活躍は目覚ましいものがあります。また、これらの同人活動が盛んになるのと平行して、専門的な知識とノウハウの一般公開が進み、プロと同人(アマチュア)のクォリティの隔たりは小さくなって行きました。
 そして電脳社会のシステムが整って来ると、誰もがより手軽に作品を発表することができるようになり、アマチュアによるアニメや楽曲がネット上に公開され、プロとアマの境界はますます曖昧になって行きました。
 インターネットによる電脳ネットワークが充実すると、オタク文化を支える横社会はひじょうに大きな規模の社会として機能するようになり、多くのオタクたちが、専門業界の力を借りることなく作家として、声優として、大活躍するようになりました。
 電脳ネットワークは、情報交換や商取引のみならず、才能を開花させる舞台として専門業界に成り代わるようになったわけです。電脳社会は単なる模擬社会などではなく、実質的な人間社会としての機能を身につけて来たわけで、オタクたちはその進化と発展に大いに貢献して来ました。

 電脳社会で、オタクたちは従来型の人間社会に対して様々な型破りをして来ました。プロの著作者の権利を侵害し、業界のやり方をあざ笑って来ました。それらの多くはともすれば業界の秩序を乱し、プロの著作者に被害を及ぼす行為になりかねませんが、そうした型破りによって、縦社会の壁に阻まれていた創作活動の制約を打ち破り、我流のサブカルチャーをメジャーに押し上げることに成功したのです。
 思えばオタクたちは、電脳ネットワークが整備されていない時代から同人誌活動などで型破りを続けて来たわけで、その無秩序ぶりを指摘されながらも結局はほとんど取り締まられることもなく、オタク人口を増やし続けました。
 法律はなぜオタクたちの無法を取り締まれないのでしょう? 国や業界はなぜ、彼らを野放しにしておくのでしょう? それはオタクたちの繁栄が業界の発展にもつながっているからです。オタクたちは根強いファンとして業界を支持するとともに、二次創作によってプロの作品を宣伝し、さらなるファンを増やして行くことに貢献しているのです。

 趣味の集いやネットワークには、中央集権のような統治は存在しません。厳格な法令やルールもなければ、リーダーも存在しません。それなのに実質的な機能が維持され、繁栄がもたらされるのです。これが横社会なのです。そして様々な趣味の世界の中で、アニメやコミックを中心とするオタクの世界は、あらゆるジャンルの文化に勢力範囲を拡げ、経済効果を生み出し、巨大なオタク社会を構築するに到りました。
 大規模な横社会にとっては、電脳ネットワークが法であり秩序なのです。憲法や条例はないけれど、人々にとって何が必要でなにが不要なのか、社会のあちこちで随時自発的に議論され、それが言わば流動的に変化し続けるルールとして機能し電脳社会の秩序を維持して来ました。縦社会の行政制度とちがい、横社会では人々が信頼関係によって互いに統治し合うわけです。政治や業界目線では、オタク社会は無法地帯なのかもしれませんが、横社会では法律や条例がなくても秩序は存在しているのです。

 オタク社会は、趣味の集いによる横社会の中でも大変うまく行った、言わば横社会の手本のような存在で、今後ますます発展して行くでしょう。この方法はプロの業界や縦社会でも採り入れられて行き、世の中を変えて行くでしょう。大きな権力とそれを中心とした縦社会は、今後ますます思うように機能しなくなり、ピラミッド型の構図は次第に平たくならされて行きます。
 大企業の衰退や金融業の不振、国の福祉制度の崩壊と、世の中は暗いニュースばかりですが、そんな暗澹とした人間社会の中で、オタクによる横社会の存在が、未来への大きな希望だと筆者は信じて期待しているわけです。


アマチュアイズム

 オタク文化を支える横社会では、創作活動におけるプロとアマチュアのちがいはあまり重要ではありません。素人による創作が当たり前になっているオタク社会では、作品の内容が面白ければ、それが職業作家が作ったものか素人作品なのかはどうでもよいことで、内容が優れていればプロ・アマを問わず多くのファンに広く支持されることになるのです。
 かつては、専門業界が人材を発掘し、多くの人手と多額の費用をかけてアニメを作ったりコミックを出版したりするしか、万人に支持される作品を世に出す方法はなかったのですが、技術の進歩はアニメやコミックの素人作品のクォリティをどんどん向上させ、ゲームや楽曲ですら素人が独自に製作できるようになり、人々はアマチュアの力量を実感するようになりました。業界が用意した新人賞に応募して職業作家にならなくても、人々に夢を与える創作が可能であることを知ったのです。
 そして21世紀は、政治経済の破綻と共に、アマチュアがプロを超えることが当たり前の時代になりました。富裕層の人間が富を独占し、お金をせき止めたまま回そうとせず、未来を担う若者たちにまともな給料を払うのもイヤだと言うなら、素人が自分らで作品を作って勝手に楽しもう、そんな風潮が高まって行きました。というのはいささかこじつけなのですが、不況と将来不安が素人作家に筆を折らせることはなく、むしろますます創作意欲をあおり、ファン層もこれを支持するようになっていったのです。
 電脳ネットワークには、素人作品や創作に必要なツールや素材がごろごろ転がっています。作品作りとその頒布はますますお手軽になって行きます。素人に優しく職業作家にとっては厳しい状況ですね。

 素人が平気でプロを超越するようになり、プロ・アマの隔たりが希薄になる傾向は、今後ますます進むと思われますが、そもそもプロとアマチュアのちがいとはいったい何なのでしょう?
 プロフェッショナルとは、いわゆる職業作家のことで、創作や製作や表現で食って行く人、つまり専門家ですね。一方アマチュアは、趣味で漫画や小説を書いたり、本やCDを作ったり、歌やコスプレ等の表現を楽しんだりする人です。アマチュアは、作品作りに必要な費用や労力、時間をすべて自分で用立てて、持てるキャパシティに応じたものを自由に創造します。一方、プロの作品作りは、最初から商品化が目的で、売って利益を捻出するために多くの人手と費用が費やします。どんな作品が売れるか、どのように宣伝すればより多くの客を獲得できるか、多くの人の目を引く装丁やパッケージはどうするか、研究と調査を重ね、売り込む努力をしなければなりません。
 こうしたプロの仕事には、計画性と一貫した理論が重要で、それぞれの作業を担当するエキスパートたちは、高度な専門知識と技術を習得しています。きちんとした方法論が確立されており、どう表現したら笑いをとれるとか、臨場感を出すにはどうしたらよいか、といったことを熟知しています。
 プロの作品作りは言わば、セオリーとマニュアルの集大成であり、製作に携わるスタッフたちは、学校と企業からそうした専門知識を短期間で叩き込まれ、即戦力として現場に出ます。
 一方アマチュアは、独学で知識を学び、経験と感と失敗を重ねて技術や表現力を会得します。それが専門職じゃないので、本業に多くの時間と体力を奪われるうえに、充分な製作環境も整っていません。プロとのハンデは歴然としています。作品を完成させても強力な販売ルートや宣伝能力もないので、友人知人を中心に地味な頒布活動をしなければなりません。
 それでも彼らを突き動かすのは、創作に対する熱い情熱で、これだけはプロに負けません。様々な事情で専門家になれなかったものの、高い創作意欲と豊かな完成を持った人はたくさんいます。
 こうした素人作家に活躍のチャンスを与えたのが、同人誌の製作を請け負う業者と展示即売会、そしてインターネットですね。
 素人作品は、こけてなんぼのものなので、客の反応をあまり気にすることなく自由な発想と独自の方法意識で作品を著すことができます。その多くは自分にはウケても、他人には伝わりずらかったり、説明高く難解であったりすることが多いのですが、まれに多くの人々を魅了する力作が出現します。また、セオリーやマニュアルといった既成観念にとらわれない独創性や型破りが、人々にインパクトを与え、プロにも影響を与えるような秀作としてヒットすることがあります。
 優れた才能を広く認められずに眠らせているアマチュア作家はたくさん存在すると思われます。プロの作品であっても残念な内容のものに出会うと、プロとアマを隔てているものは才能よりも運じゃないのかと疑ってしまいます。

 アマチュアの利点は、業界の常識や流行から自由であること、独創性を妨害するものがないことです。これらの点においては商品化を目的としたプロに勝ち目はありません。プロは失敗を恐れなければならないという宿命を背負っており、それは冒険するにはあまりに荷が重すぎるのです。
 そうしたプロの軛(くびき)から逃れるために、職業作家でありながら同人活動を手掛ける方もいると聞きます。
 アマチュアの作品のレベルが高くなり、プロの作品を超えて人気を博すような事態は、単純に考えるとプロにとって危機的状況であるように思えますが、そのように悲観するのではなく、マニュアルやセオリーに倣う合理的な手法を見直す良い機会だと捉えればよいのではないでしょうか。プロがアマチュアのやり方から学ぶものは少なくないと思います。
 プロの作品よりも同人の創作の方が面白い、そんなことを言う人は少なくありません。筆者も同じようなことを感じた経験があります。プロの見え見えの売れ筋ねらいよりも、素人の意外性の方が面白い、なんていう意見もよく耳にします。

 アマチュアの技量が向上すると、プロの技術力に見る側はあまり驚かなくなります。技術レベルが低くても、ストーリー性や発想、キャラクター性で人々に感銘を与えることができます。
 専門知識が少なく既成概念に捕われないアマチュアイズムは、時として斬新で優れた作品を産み出します。一方、短期間に専門知識と技術を叩き込まれたプロは、そのせいで感性を曇らせてしまうこともあります。商品化という目的のために、作りたい作品を思うように作れないという苦悩とも戦わなければなりません。
 アニメやコミック、ゲームの業界は、他の様々な芸術作品の業界に比べ、アマチュアイズムの導入および共存という点で優れています。そしてそのことが業界のパワーにもなっています。アマチュアイズムとは、やりたい作りたいという思いに最も忠実な、言わば基本を見つめなおす作業なのかもしれません。それゆえの強さがあるのです。
 オタク業界において、アマチュアイズムは今後も大きな力を発揮し続けるでしょうし、そのことが業界の仕事を疎外するとか、著作権が脅かされると言ってアンチアマチュアを唱える人たちは大敗を帰することになるでしょう。アマチュアが大いに活躍できることこそが業界の繁栄の力であることを知り、プロもアマチュアから多くを学ぶべきだと思います。
 アマチュアが築くネットワークすなわち横社会は、大衆による大きな波として今後ますます世の中を良い方向に導いてゆくことになるにちがいありません。


メイドさんとアマチュアイズム

 本章では、オタクたちが築く横社会と、アマチュアのパワーとその将来性ということを分析してまいりましたが、オタク文化の重要アイテムであるメイドさんとそのお店もアマチュアイズムに支えられるところが大きく、本質的に横社会として成り立っています。オーナーとメイドの関係は縦社会的ではありますが、縦割りの経営方法に傾倒しすぎると、思うように実力を発揮することはできません。
 オーナーのワンマン経営や、オーナーの独断による失敗や経営不振はよくあることで、お店の業績アップは現場の能力と判断に依るところがひじょうに大きいものです。
 顧客の満足度というものは、現場スタッフのやる気と比例します。メイドさんたちが活き活きと輝いていると客も楽しい気分になりますし、反対にメイドさんのお給仕が四角四面で、感情が入っていなかったりすると客は戸惑ったりシラけたりしてしまいます。
 現場スタッフのモチベーションを上げるためには、現場の意見が業務に充分に反映されると共に、現場の能力が正しく評価される必要があります。マニュアルを与えられ型通りの動作を強要され、個人の能力が上の独断だけで評価されるような職場の体質で、現場のやる気をアップさせることは容易ではありません。縦社会では、上が下を監督し失敗や不手際を減点し、上を目指す競争をあおることで現場のやる気を導き出そうとしますが、そうした体質は能力のつぶし合いと汚れた人間関係による腐敗を招くことが少なくありません。とは言え、縦割り型の統制が皆無であっても、現場は依りどころをなくし不安を覚えることになります。経営方針に則った舵取りや規則と監督機能は、現場の能力と判断を疎外しないていどに必要です。

 別章で筆者は、メイドさんのお店を高校の文化祭の模擬店みたいだと評しました。それは、お店の作りや設備が安っぽくメイドさんごっこのようだ、という意味ではありません。メイドさんによる手作りと、イベントの自主管理自主運営のさまが文化祭の催しを思わせるのです。伝統を重んじる老舗ではあり得ない状況ですが、メイドさんのお店では、現場スタッフの創意と意見が経営に反映される度合いがひじょうに高く、とくにイベントなどはそのほとんどが現場が企画し現場で手作りされるようなケースが少なくありません。そしてそれが顧客に高く評価され、集客に成功しています。
 メイド産業がブームが過ぎ去ったあと、ブームを超えて繁栄し、ひとつの文化として根付いた要因は、マニュアルとセオリーが確立されたからではなく、経営と現場が一体となって試行錯誤を続けるというアマチュアイズムが、お店作りに大きく活かされているからだと思います。
 メイドさんによる手作りのイベント、メイド日記やブログ、そういったものが一切なく、メイドさんもマニュアルどおりの決められた言動しかしない、そんな状況で顧客の心をつなぎ止めておくことは難しいでしょう。
 通常の飲食店やリフレ店とちがい、メイドさんのお店に客が求めるものは、萌えと癒しです。この抽象的なフレーズは多くの文化を内包しています。単に美味いものを食べたい、肩コリをもみほぐして欲しい、そうした単一な目的で客はメイドさんのお店に足を運ぶわけではありません。
 多くの顧客にとって、日本橋はひとつのテーマパークのようなもので、1日にメイド店を何軒もハシゴする人は少なくありません。そこにはそれぞれの顧客流の遊び方があり、メイド店がそれにまったく応えることができず、一定のサービスを一方的に放出するだけだとしたら、顧客はまた来ようという気にはなりません。
 メイドさんのお店は、オタク文化のただ中で"萌え要素"というひとつのテーマを3次元で具現化するために誕生しました。それは声優やアイドルを手作りした、アマチュアイズムであったのかもしれません。もちろんメイドさんと声優やアイドルは同じものではありません。でもメイド店の発祥がコスプレ喫茶であり、アニメのヒロインを3次元に具現化したいという意思によって誕生したものである以上、オタク文化を支えている同人誌等とまったく無縁のものではないはずです。
 メイド店の原動力がアマチュアイズムであることを理解し、それを大切に育てて行くことにメイド文化の将来があると強く思う次第です。


日本橋文化

 2009年現在、日本橋にはメイドさんとそれに類するお店は40店舗ばかりあります。ずいぶん増えたものです。お店が増え過ぎると乱立による顧客の奪い合いとつぶし合い、価格破壊やサービスの悪化が生じるのではと心配する人は多く、逆にもっとお店が増えるといいと考えている人はあまりいないようです。筆者は増えて欲しい派ですけどね。
 去年から今年にかけてリフレ店の出店が相次ぎましたが、カフェはほとんど増えていません。日本橋を歩いていてもカフェの選択肢が少なくて残念に思ったりします。もっとメイドカフェが欲しいです。しかしこれは筆者の我がままで、メイド文化の将来を本当に思っているなら、乱立による共倒れを憂慮すべきだと、多くの人に言われました。お店を出すということは、他店の顧客を略奪することであり、過当競争を誘発する要因だとおっしゃる方もいました。
 果たしてそうなのでしょうか? お店の乱立が過当競争と共倒れを招くなら、観光地に土産物店がずらりと軒を連ねるのはどうしてでしょう。電機店がたくさん集まって電機街を構築しているのはなぜでしょう。
 電機街の近くに別の電機街ができると、それは脅威になります。大型デパートや量販店でもライバル店の出現は脅威です。また、地域密着型の個人商店にとっても新店の出店は嬉しくありません。しかしメイド街にメイド店が増えることは、メイド街そのものを太らせることになるのではないでしょうか。アミューズメントパークのアトラクションが増えるのと同じ効果が期待できるのではないでしょうか。
 メイド店も40店舗ものレベルになると、日本橋に点在しているというより、メイド街というひとつの街を形成しているという認識を持ち始めるべきだと思います。

 別の章で筆者は、日本橋は秋葉原に勝てないみたいなことを言ったと思いますが、秋葉の二番煎じを続けるだけでは、勝ち目はないでしょう。でも、新たな文化園の創造ということでは秋葉より日本橋に大きな期待を寄せています。まだまだ未開の部分を残す日本橋であるがゆえに、今後の成長と発展に期待が持てるのです。
 最近は、日本橋のメイドさんにも芸能界や放送業界の注目が集まることが多くなり、タレントやアイドルを目指すメイドさんが多くなりました。各種イベントやテレビやラジオに出演する方も増えましたし、芸能活動に力を入れているお店も増えて来ました。たいへん素晴らしいことです。
 しかしながら、メイドさんのアイドル化は秋葉原が先んじてやっていることで、やはり二番煎じですね。現在アングラアイドルとして活動している方たちも、名が売れると東京に持って行かれてしまうかもしれませんし、上京を望んでいるアイドルも多いでしょう。
 有名なアイドルやタレントが日本橋からたくさん出ることは望ましいことですし、それで日本橋の知名度は上がるかもしれませんが、メイドさんを東京にどんどん持って行かれるのであれば、それはあまりおもしろくありません。日本橋はアイドル養成工場になれるだけで、文化圏としての発展は望めません。夢をつかむには東京へ行かねばならないことを再認識するための日本橋では寂しすぎます。

 けっきょく日本橋は東京の下請け工場にしかなれないのでしょうか。
 元来、関西人はルールと権力に素直に従うお行儀のよい人種ではありません。お上には逆らいたい、東京には負けたくない、そんな暴れん坊気質を持ち合わせているのが関西人であり、筆者はそれを大いに買っています。東京ルールを意味もなく嫌ったり妬んだりしているだけの関西人はイヤですけどね。
 かつて民間企業が初めて鉄道を敷いたのは関西でした。宝塚歌劇や吉本新喜劇も関西で誕生し発展した文化です。パナソニックも関西で誕生しました。オタク業界の造形分野で大成した海洋堂やボークスも関西出身です。最近は関西の中小企業が人工衛星を上げたそうですね。
 東京の二番煎じをやっている限り、関西はでっかい田舎に過ぎないのですが、独自の文化を育てることに情熱を注げば、東京を超えることも夢ではありません。

 メイドさんのお店は、もともとアニメの中のキャラを3次元に具現化した、いわゆるコスプレ店員のお店から派生しました。その後、萌えと癒しといったメイドさん独自のテーマ性が生じ、飲食店のみならずリフレクソロジー店も生まれ、オタク以外のファンをもどんどん獲得して行きました。そしてメイドさんの中からアイドルやタレントを目指す方が現れ、飲食店やリフレ店の概念を超えた、メイドという1つの文化を確立していったわけですが、この先、秋葉と同じ道を歩もうとすれば、前述したような東京の下請け工場としての微妙な発展があるだけでしょう。
 芸能界や放送業界、マスコミ関係の注目が高まっていることは素晴らしいことですし、業界には大いに期待したいところですが、その反面で、業界が営利目的でメイドさんに関心を持っているということも忘れてはいけません。人を育てるよりも人で儲けることが彼らにとっては重要です。将来性を信じて人を育てるリスクを負うよりも、地味でも着実な利益につながるインスタントアイドルを彼らは欲しています。関西はとくにそうです。
 今後も芸能界やマスコミとの関係はますます緊密になってゆくでしょうし、それは良いことです。しかし業界に依存しているだけではダメです。日本橋のメイド街が自ら文化を創造し、関西で人を育てることの可能性を業界に知らしめ、業界を変えてゆかねばなりません。そうした道を歩み始めることで、業界ともより良い関係を築き、永続的な共存共栄が可能になります。
 でもそんなことができるのでしょうか。メイドさんがオタク文化のアイテムのひとつであるということを思い出せば、その答えは見つかります。


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