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亀は意外と速く泳ぐ【映画】

2015/01/04

 海の見える小さな田舎町に住むスズメは、新婚にも関わらず夫の海外赴任で独り暮らしをしています。夫の残したカメ太郎に餌をやるだけの単調な毎日でしたが、あるときスパイ募集のポスターを見つけ、それに応募、指先大の小さなポスターを見つけたこと、極めて普通の人に見えることが買われて某国のスパイになります。
 平素のスパイの仕事は、目立たずごく普通に暮らすこと。変わらず退屈な日常、しかしそれもスパイの仕事であると思えば張り合いが出てきます。ある時、親友のクジャクと共に商店街の福引で地引網ペアご招待を引き当て、イベントに参加したところ、網に死体がかかったことから、急に身の回りがざわつき始めます。公安も動きだし、黒づくめの男たちによる大がかりな捜索が開始さます。
 クジャクは借金取りに追われて海外に逃走し、町に潜むスパイたちも普段暮らしている家から姿を消してしまいます。

 この作品にスパイアクションやミステリーの要素を期待してはいけません。小さなゆるい笑いを随所にまき散らした小ネタ満載の日常謳歌映画です。テレビ番組「トリビアの泉」でブレーン担当で参加している放送作家でもある三木監督が、そもそも脱力系で知られるオフビートな作風を持つ人で、この作品にも彼の持ち味がよく出ています。否、この作品こそが彼のテーマの集大成であると筆者は思っています。
 たしか予告編のキャッチコピーか何かに「脱力シリーズ第1弾」とあったような記憶があるのですが、第2弾以降については不明です。2009年に麻生久美子主演で作られた三木監督作品「インスタント沼」が筆者は勝手に第2弾だと思っています。
 漫然と過ごしている平凡な日常生活を、つまらないと思っている人は少なくないでしょう。毎日同じことの繰り返し、ところがそれがスパイ活動の一環なのだとしたら、目立たず普通に暮らすことが、じつは周りの人たちが誰も知らない自分だけの秘密なのだとしたら、普通に暮らすということが特別な意味を持ってきます。この映画には、三木監督の、日常生活もちょっと見方を買えてごらん、というメッセージが含まれているような気がします。
 一見ごく普通のおばさんが、じつは研究中の生物兵器を輸送中だとしたら、豆腐屋のおっさんが海外旅行と称して外国で暗殺のバイトをしているのだとしたら、水道屋のおやじは水回りの工事の際にスパイを見つけるための盗聴器を付けて回っているとしたら。ご近所の平凡でなんだかボーッしているおっさんが、じつは重大な国家機密にかかわる諜報員なんてこともあるかもしれません。世の中、見方を変えるとおもしろいもの興味深いものでいっぱいです。

 当時まだ高校生だった上野樹里が演じる奥さまスパイは、スパイになったことで町の中の様々な秘密に触れることになります。そこそこ味のラーメン屋のおやじは、じつはスパイですが目立たないために、美味くもなければ不味くもない、そこそこラーメンの調理に日夜努力しています。「あー、一度でいいからとびっきり美味いラーメンを作ってみたいなぁ」そこそこラーメンのそこそこ味にはラーメン屋の苦悩と努力がこめられていたのでした。スズメはそれを知ってそっと涙を流します。
 商店街のCMアナウンスが、スパイにしか判らない暗号を報じ、町に公安の黒服たちがあふれ、ストーリーは一気に緊張を帯びてきますが、当のスパイたちはいたってのん気、「そう言えば何年か前にもこういうことあったよねぇ」「で、けっきょく何もないのよねぇ」そんな感じです。
 ゆるくて、小さなバカバカしい笑いがいっぱいで、これはおそらく世界一のんびりとしたスパイ映画です。リラックスして、道行く人たちの行動を目的もなしに眺めているような気持ちで観てください。そうやってふと見ているうちに、亀だって意外と速く泳ぐ、そんな些細な発見があり、その小さな心情に心が満たされます。さりげないセリフやちょっとしたシチュエーションにほろっと来てしまいます。
 筆者は、この映画をもう10回以上は観ています。どれほど感動的な超大作でも、2度3度繰り返して観ると、感動が薄れたり、映像に驚かされたりしなくなるものですが、この作品は何度観ても泣いてしまいます。観たくなったらすぐに観れるようにいつもそばに置いておくDVD、そんな作品と出会えるなんて、思ってもいませんでした。今年は、奇しくもこの作品が公開されて10年になる年です。10年前にテアトル梅田で初めて出会った時の感動が、今もまったく薄れないのです。

2005年公開、90分。
監督、脚本:三木聡。
出演:上野樹里、蒼井優、岩松了、ふせえり、要潤、松重豊、村松利史、緋田康人、温水洋一、嶋田久作、伊武雅刀、岡本信人ほか。

番外編の言いわけ

 本章では、K-POPとも韓流芸能とも無関係な、映画体験、アニメ、小説体験を記して行きたいと思っています。映画、とくに洋画は両親の映画好きの影響で幼い頃からハマってました。映画館にはほとんど行きませんで、テレビの洋画劇場を観てました。あの頃はハリウッド映画ブームで、日曜洋画劇場、月曜洋画劇場、水曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場と、たくさんの洋画番組がありましたし。土曜もなんかあった気も……。
 アニメには、筆者たち1960年代生まれは日本で初めてのテレビっ子世代ですから、みんなハマってました。最近の子たちがゲームにハマる以上です。勉強そっちのけで漫画観てる、最近の子供には困ったものだ、ってね。そうむかしはアニメなんて言いませんでしたよ、テレビ漫画です。トムとジェリーやポパイをはじめたくさんのアメリカ漫画も放映されましたが、それ以上に日本アニメが面白くて、みんな観てましたね。あとウルトラマン、仮面ライダーに代表される特撮ヒーローもの。
 そして小説は児童書の頃からずっと友だちでした。幼少の頃に感動した「ああ無情」の成人版を読みたくて長年探しましたらば、「レ・ミゼラブル」というタイトルで高校生の時にやっと見つけました。日本文学から海外のもの、フランスやロシアのクソ難しい古典文学まで、たくさん読み漁りました。フランス文学にはけっこうおもしろいものがありました。ゾラとかユゴーとかジッドとか。イギリスのモームとかドイツのカフカもおもしろかった。でもトルストイやドストエフスキーは難しかった。それ以上に難解だったのが日本の古典および近代文学、鴎外や漱石はじつに頭かゆかった。歳を取るほど純文学には魅力を感じなくなってきて、サスペンスものやら映画のノベライズ、日本の若手のライトノベルなんかが多くなりました。
 とりあえず中学生の頃に少女コミックにハマった時期があって、以来ずっとオタクです。当時はオタクなんて言葉がなかった。オタクという言葉ができた頃は、それはアニメを見る大人のことを指していましたが、今ではプロレスオタクとか電車オタクとか、田んぼオタクとかいろいろあって、フェチと混同された使われ方してますが。もっともフェチすなわちフェティシズム自体が性倒錯の用語で、もともと異性の身に着けたものや遺留品に欲情する性癖のことですけどね。
 とりあえず、この番外編では、いったいどんなキモいジジィがK-POPにハマっているのかという一面を垣間見ることができるのではないかと、いささかこじつけの感がありますが、ま、そゆことで韓流と合わせてお試しいただけたらと思います。

女子ーズ【映画】

2014/01/09


 でたぁ、おバカムービーの決定版。宇宙から地球征服のためにやって来た怪人をやっつけるために重大な使命を帯びて敢然と立ち上がった5人の女子。愛と正義の戦隊その名も女子ーズ。なんで女子ーズなのか、女子だから。怪人が現れたのになかなかメンバーがそろわない、女子とはそういうものだから。恋に仕事に趣味に、その片手間に怪人退治、それが女子ーズ。「怪人さん、ひとり遅れてるんで待ってもらっていいですか」「これってバイト料出るんですか」「うわぁ、くさっ」「漫画の続きなんか怪人やっけてから読めばいいじゃん」「まじめにしろよぇ、お前らぁ」「ねぇ、ピンクはいないの? 今日休み?」「人力車って、走った方が早くない?」。
 笑ってください、あきれてください。なにこのB級ぶり、でも怪人めっちゃ作り込んでない? と感心してください。福田監督の前作「変態仮面」はけっこう暑苦しい熱血ヒーローものでしたが、本作はずっとリラックスして楽しめます。筆者的には、本作の方が好きですね。片手間ヒロインって……。しかし彼女たちを集め、戦隊を結成した司令のチャールズはもっと適当です。日本の戦隊と言えばカラーということで、名前に色のついた女子を集め、ピンクがいなかったので女子ピンクはなしで、戦隊名の女子ーズは、女子だから。地球の平和をナメてますよね。  いかにもむかしの戦隊ヒーローもののロケ地っぽい空き地に、ショッカーの戦闘員げなのを従えた怪人が現れますが、我らがヒロインはメンバーがそろわないと言って探しに行っちまい、怪人の方も何時間もそれを待ってるって。地球征服する気あるんでしょうか。

 筆者は、チャールズ役の佐藤二朗という役者さんが気になって観に行ったようなわけですが、彼はやってくれましたよ。ぐだぐだダメダメ司令ぶりを見事に演じ、見る者を不安と怒りに駆り立ててくれました。てめぇ、地球がピンチだっていうのに、いい加減にしろよ。不安と怒りは、心地よい笑いに変わります。知る人ぞ知るTVシリーズ「加藤家へいらっしゃい! 〜名古屋嬢っ〜」では主役加藤環(たまき)の叔父雪次郎を演じており、その好演がきっかけで好きになった俳優なのですが、テレビドラマに映画に、大活躍していますが、主役を演じることはなかなかありません。筆者の知る唯一の主役といえばマメシバ? 「幼獣マメシバ」シリーズはかなりヒットしているようですが、犬っころ主役のお涙頂戴劇だと思ってて観てまへん。そのうち観ます。
 女子ーズを演じる女子たちについては、まったく知識がありまへんでした。いろんなカラーのキャラを上手く集めたな、って感心しました。レッドのまじめで努力家のリーダーぶりと、貧乏暮らしとバイト三昧ゆえに銭勘定に鋭くなってしまったイエローが、とても印象的でした。女子ーズの悩みは、怪人打倒よりもまとまりのなさ、それぞれの思いのすれ違いだったりします。とっても難しい女子同士の人間関係をうまくまとめ、困難を切り抜けて力を合せラスボスを倒すのがこのドラマの目的です。
 コメディってほんとに難しいと思います。大げさな演技や下品なネタは見ていてつら過ぎます。この作品は、大げさにも下品にも陥ることなく、ナンセンスをセンスよくまとめいて、とても楽しい気分にさせてくれます。オバカ芸人ふうの演出にはかなりイラッとかムカッとかさせられますが、そういうのではないところが良いですね。お嬢様のネイビーが惚れる男がかなりオバカですけど。
 そう言えば、もうDVDとか出てますよね。チェックしにゆかねば。

2014年公開、97分。
監督、脚本:福田雄一。
出演:桐谷美玲、藤井美菜、高畑充希、有村架純、山本美月、佐藤二朗、大東駿介、岡田義徳、きたろう、安田顕ほか。

ムーンライトキングダム【映画】

2015/01/10


 1965年アメリカのニューペンザンス島での出来事。12歳のスージーは頑固な父と口やかましい母とうるさい3人の弟たちと大きな屋敷で暮らしていますが、本を読んだり双眼鏡で景色を眺めたりして夢想にふける孤独な少女です。そんな彼女にもたったひとりの友だちがいました。ボーイスカウトの隊員のサムとは、ふとしたきっかけで出会って以来文通を続ける仲です。2人は綿密に計画した"駆け落ち"を実行に移します。2人の両親から捜索依頼を受けたシャープ警部、そしてボーイスカウトの隊員たちとの捜索が始まります。幼いスージーとサムの決死の逃避行は、大勢の捜索部隊によってあえなく阻止され、2人は引き裂かれてしまいますが、シャープ警部は、サムと男同士の会話を試みます。そこへ福祉員からの連絡が届き、身寄りがなく素行に問題があるサムは少年収容所に送られると告げられます。一方、ボーイスカウトの隊員たちは、サムをのけものにしていた自分たちを反省し、協力して2人の"駆け落ち"を支援しようと計画します。再び始まる幼い2人の逃避行。再び始まる捜索と、福祉員の来島。そして嵐が島に接近しつつありました。

 変です。とっても奇妙です。奇妙で不思議な雰囲気を持つ作品は、筆者の好物ではありますが、この映画の変ぶりは格別です。登場人物はいずれも感情の起伏が乏しく、行動も淡々としています。幼い子供たちが行方不明になるなんて、サスペンスドラマなら一大事です。家族は心配で狂乱し、警察は特別機動部隊を組織して捜索し、テレビは大げさな報道合戦を繰り広げるでしょう。ところがニューペンザス島の住人たちは、焦らず騒がず、自分たちのやるべきことを進めるだけです。一方、駆け落ちした2人も、情熱的に愛を語らうわけでもなく、まるで長年続けてきた習慣のように2人だけの自活生活を送ります。豊かな自然に囲まれた閉塞的な島という状況を考えても、人々の行動はかなり奇妙です。しずかな田舎町の暮らしに騒動は無用だとでも言うのでしょうか。
 この作品の不思議な雰囲気は、じつは演出によるものです。ウェス・アンダーソン監督の作風というわけですね。この後に観た同監督の「グランド・ブタペスト・ホテル」も同様に不思議で奇妙で、ほんわりと笑える作品でした。扱ってる題材はかなりハードなんですが。
 子供たちの巻き起こす駆け落ち騒動、しかも首謀者が変わり者の問題児とくれば、巻き込まれた人々にとっては迷惑な、怒り心頭な話しですが、映画を観ている観客にとっては子供たちの方が、ヒーロー&ヒロインなわけで、力いっぱい応援してしまうわけです。だって、彼らを追い込んだのは誰だよって話しですよ。でも、みんなで2人を捕まえてとっちめて、そこへ少年をアウシュビッツ送りにしてやると非情な福祉員がやって来て、確かにこの子たちは問題起こしたけど、お前なんかに非行少年呼ばわりされたくねぇ。今度はみんなで、ボーイスカウトたちもポリちゃんも、みーんなで2人の味方です。いい映画でしょ? ハートウォーミングでしょ?
 登場人物たちはとっても真面目で一生懸命で、ギャグひとつ言うわけではありませんが、彼らの自然なふるまいがどことなく不自然でちょっぴりおかしくて、気づけば顔がにんまりしている自分がいます。この独特な世界観に触れたら、やめられない、そんな魅力があります。出会えて本当に良かった、心からそう思える一編です。次作「グランド・ブタペスト・ホテル」と合わせて不思議で心が温まる体験を堪能してください。エンディングロールも要注意です。

原題:Moonrise Kingdom
2012年アメリカ、94分。日本公開は2013年。
監督、脚本:ウェス・アンダーソン。
出演:ジャレッド・ギルマン、カーラ・ヘイワード、ブルース・ウィリス、エドワード・ノートン、ビル・マーレイ、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、ジェイソン・シュワルツマン、ボブ・バラバンほか。

辛口評価について

2015/01/12


 最近、映画の感想をブログに書くようになってから、ネット上にアップされている作品評を参照するようになりました。それで気づいたのですが、数多くの映画を観ておられる方の評論にはとても辛口のものが多いですね。そうした厳しい意見を目にすると、なんだか自分の甘さに自信消失させられることがあります。
 筆者の映画鑑賞歴は短くなく、両親の影響でテレビの洋画劇場に没頭していたころから数えると、50年近くになり、観た映画の数もかなりになりますが、どんどん進化する技術や表現方法に驚かされたり感銘を受けたりし、いまだに飽きることがありません。辛口の評価の中には、むかしの作品には思想があったけれど、最近のものは表現が大げさなだけで中身がない、そんな感じの内容がよくあります。そうした批評をする評論家にはむかし人間もいれば、まだ30代やそれより若い方もいます。筆者など半世紀近くも映画と付き合ってきたのに、いまだに何を観てもすごいすごいと喜んでいます。みなさんはいつどこで勉強されて評論手腕になるのでしょう。まったくもって驚きです。難しい表現で厳しい評価をたたきつけるのを読むにつけ、自分の思慮の浅さを思い知ります。
 そりゃ、筆者にだって駄作と思える作品はたくさんあります。金返せみたいな映画も。なんでこんなつまらん映画を作れるんだろう、これでプロかよ、これで映画監督になれるのかよ、そう思った作品も少なくありません。自分は何ひとつ作ったことはないんですけどね。

 そう、自分は何ひとつ作ったことがないんですよ。映画鑑賞歴と同じくらい小説やら随筆を執筆してまいりましたから、頭の中は常に物語のシーンだらけですけど、それだけです。それを映像作品にした経験はありませんし、今後もそういったことはありません。なので、金返せと思ったあとに、だったら自分ならもっとましなものが作れるのかよ、とも思ってしまうわけですね。自分が映画を作ったら、もっともっと多くの人々を失望させ激怒させるかもしてません。
 それだからって、辛口の批評ができないというわけでもないのですが、他の人の自信に満ちた辛口評を読むと、すごいなと思ってしまいます。自分みたいに手放しに喜んでいるだけではダメで、もっと掘り下げて吟味しなければならないのかなぁ、そんなことも考えます。
 でもね、素晴らしいと思った作品の、よくないところを探すのはなかなか難しいです。自分だったらこいうするな、とか、あそこはもっと引っ張って盛り上げた方が良いでしょ、そんなふうに感じることはたくさんありますが、それは案外その時の思いつきで、あとでDVDで観直すと、前言撤回ってことも少なくありません。
 あれこれ悩んで、自分は甘口で行くしかないな、そう思うことにしました。でもね、甘口のベタぼめ評って、なんだか映画の宣伝みたいですよね。最近の映画CMで、観客の一言感想を並べ立てるのがあるでしょ?「感動しました」「泣きました」「最高の映画です」あれみたいだ。あれに釣られて観に行くと、それほどでもなかったり。あんなふうになってしまうと、評価としてあまりに悲しいので、どのシーンのどこが、なぜ良かったのかを書くようにしましょう。ただ、書いてるうちに"ネタばれ"をどんどんしてしまいそうになります。
 ネタばれについては、書かなきゃいいわけですけど、評論書いてると、これを避けるのが意外と難しいんですよね。あのラストシーンは素晴らしかった、それを具体的に書いたらそれはネタばれじゃないですか。まさか彼が真犯人だとは気づかなかった、それも書けません。そこがいちばん感銘を受けて書きたいところであるにもかかわらず。  ネタばれ注意を掲げて評論書いたり、ここから先は観てない人は読まないでくださいの注釈をつけてネタばれ書いたり、そういうブログもたいへん多いですが、めっちゃ気持ち解ります。自分が感動した作品だから多くの人に勧めたいけれど、勧めるにはネタばれ書けない、でもそこが書きたい。ジレンマです。悶々です。

 辛口評論にはどんな意図があるのでしょう。あの銃撃戦の迫力はすごいのだろう、お金もかかっていそうだし、しかしながら1対多の戦闘という状況がすでにリアリティに欠けるわけで、その時点で興ざめしてしまうと、迫力の銃撃戦にも臨場感がなくなり、むしろ白けてしまうのだ。こんなふうに評価されると、そのシーンに感心して、すごい、主人公カッケーなんて思ってた自分がお子様みたいで、それこそ興ざめしてしまいます。辛口評論には、この作品はつまらないから見ないように、そんな意図があるのでしょうか。
 なかにはブログのタイトルに辛口評論と掲げて、延々と酷評を続けている方もいますが、こうなるともはや読んでいて苦痛になります。そんなに言うなら自分で映画作れよ、そう言いたくなります。きっと完璧な映画を作ってくれるのでしょう。
 テレビの野球観戦でも、辛口の観戦客っていますよね。「なんでそこで外角投げるかなぁ、打たれるに決まってるやろ」「ここでピッチャー交替とか監督アホやろ」ずっとそんなこと言い続けながら、いらいらして観ている人がいますが、あんなに立腹しながら観ていて楽しいのかと心配になります。外角投げたのはバッターの心理の裏を読んだけれどバッターの方が今回は上手だったのかも知れません。ピッチャー交替は、監督がピッチャーの心理状態を考慮したり、明日の続投のことを考えたのかも知れません。そんなに言うなら自分がピッチャーなり監督なりやってみろよ、そう言いたくなります。だってテレビに出ているのはメジャーリーグのプロだぜ。

 筆者も今度、辛口評論というものを書いてみましょうか。以前にレンタルDVD屋さんで近未来アクションの決定版という告知とパッケージに魅せられて借りた「VANGUARD」という映画はすごかった。今思い出してもアホらしいやら恥ずかしいやら。まったく賞賛すべきところがありませんでした。この映画を注目作品として取り上げたレンタル店もすごいと思いました。筆者自身、返却窓口でひと暴れしてやろうかと思ったほどでしたから。この作品については、いくら筆者でも甘口にはなれません。……それとも"被害者"を増やすために絶賛評を記載すべきでしょうか。でも、どこをどうほめたらよいやら。この映画をほめるなら、けなす作品がなくなってしまいます。

VANGUARD【映画】

2015/01/16


 かつてテレビ東京の優れた洋画を厳選するレーベル「TX-V」シリーズとしても紹介された、近未来SF作品です。西暦2015年、世界大戦によって資源が枯渇した地球で、人類は滅びに瀕しています。そのなかで絶大な権力を持つ企業が世界を軍事的に支配しており、人々はエリート、民間人、バイオシンといったカテゴリーに分けられていました。その中で主人公のマックスは、いずれのグループにも属さず、孤独な戦いを続けていました。
 バイオシンは、底を突きつつある資源を守るために進められた人口減少計画の弊害で誕生したゾンビまがいです。青白い顔をして狂ったように人を襲います。マックスは人知れず森にひそみ、時おり襲来するバイオシンを手斧や槍でしとめています。そこへ企業が差し向けた軍隊が迫り、マックスの逃避行が始まります。兵士たちと同行した女科学者によると、マックスの血が人類の未来に希望をもたらすかもしれないということでした。
 筆者はレンタルDVD屋さんの注目作品の紹介文と近未来SFアクションの決定版というキャッチフレーズ、すばらしくカッコイイDVDのジャケットの絵に大きな期待を抱いてこれを手に取りました。

 DVDのジャケットの、細身の剣を両手に携えてがれきの山を歩くヒーローの姿はひじょうにカッコイイのですが、そのお方は残念ながら映画本編には登場しないイメージ画像で、主人公のマックス君は、あまりパッとしない野生児です。剣も持っておらず、主な武器は手斧です。近未来(といっても2015年現在その年に現実世界が追い付いてしまいました)の雰囲気はどこにもなく、舞台は森です。まぁ、森なんて時代が進んでもあまり変わらないものなのでしょうが。
 資源が枯渇した地球では、熱資源も食糧資源も不足し、バイオシンばかりどんどん増えて人類は絶滅寸前です。バイオシンは人を見ると襲い、噛みついて感染させます。感染するとバイオシンになって今度は襲う側になります。ゾンビといっしょです。人類は絶滅寸前なのにマックス君の住んでいる森には、バイオシンがたくさんいます。木々も青々と茂っていて、野生動物たちも元気にしています。
 そこへ、軍の輸送車に乗った兵士たちが現れ、マックス狩りを始めるわけです。そっとしておいてくれればいいのに。木こりのマックス君は屈強な傭兵たちを相手に善戦し、しぶとく生き延びます。上空にヘリが現れます。増援部隊でしょうか。マックス君ピンチです……。

 筆者は50年近くになる映画鑑賞歴の中で、そりゃいろいろ観てまいりましたが、これをしのぐ映画はありませんね。ほんとすごいです。舞台は森、森の中のそう広くないエリアです。機動兵器といえば、傭兵たちを運んできた輸送車1台。上空に出現したヘリコプターは演習か移動中の軍用ヘリを適当に撮影したもので、一瞬飛んでいる姿を見せただけですぐに見えなくなります。あとは、銃器を携えたそれらしい格好のお兄さんたちとマックス君がサバイバルゲームをやっているわけですが、戦闘シーンがまったくもって緊張感がなく、女子ーズの方が百倍頑張ってました。そんなんだとバイオシンに噛まれちまうよ、いやほんと、って言ってるシリから噛まれてるし。いったいなにやってんだか、マックス君なんか独りで手斧でバイオシンの群れを相手してきたんだぜ。頼むよほんと。  なにせ見たのがかなりむかしだったので、断片的な記憶しかございませんが、とにかくあまりの不出来さに観ているこっちが恥ずかしくて赤面してしまいました。出演した役者さんたちにとっても俳優人生の汚点になったことでしょう。
 なんか無駄な時間が過ぎて行って、いよいよラストです。ネタばれです。どういう経緯かは忘れちまいましたが、マックス君は大勢のバイオシンに追い詰められ取り囲まれてしまいます。終わりました。この作品に土壇場の大逆転なんて期待できまへん。じゃが、ここで大逆転です。マックス君を追いつめたバイオシンたち、急に彼を神とあがめ、輪の中心に立つマックス君、天に向かって叫びます。「僕ちん負けない、なぜなら僕は、バンガードなのだから!!」
 あー恥ずかし。書いてるだけで顔から火が出ました。そうか、バンガードだったのかぁ。って、バンガードってなに? と突っ込もうとしたら、映画はとっととエンドロールを流し始めます。いや、ちょっと待て、いくらなんでもこれで終わりはないやろ。いったい何だったのでしょうか、この90分間。

 この映画は、多くのB級映画ファンを巻き込んで、たいへん有名になりました。さすがテレビ東京、すごい作品を紹介してくれました。番組「TX-V」を観てませんが、出演した女子アナが大絶賛してたそうです。その女子アナがこの作品を自分で観て絶賛したのだとしたら、バンガードもびっくりの勇気です。観もしないでスタッフに言われた通りに絶賛したのだとしたら、それは業界のイジメです。彼女を陥れるための陰謀です。この映画を実際に観て素晴らしいと言えるのは、この映画を作った監督本人くらいでしょう。
 これを借りたことは被害としか言いようがなく、これを注目作品としてピックアップしていたレンタルDVD店を訴えたいくらいでしたが、映画をレンタルで済ませようなんていうセコい考え方の自分が、えらそうなこと言えた義理ではないので泣き寝入りすることにしました。
 でも、後々にこの作品のクソぶり、日本向けDVDジャケットのだましっぷりが話題になり、有名作品になったことで、作品は大嫌いなのに観たことがなんだか嬉しくなるという奇妙な衝動にとらわれました。こんなクソ映画を特選名画としてレーベルに加え、テレビで紹介した「TX-V」の信じられないようなアクロバットも含め、こんなことが現実に起こるんだ、みたいな感動というか呆れてものが言いたくなるというか、世の中信じられないようなことが現実に起こるという事例に立ち会えた喜びみたいな感情にとらわれ、それが楽しくなり、今では、おれ、バンガードみたぜ、しかもノコノコ騙された第1波で。なんて言い回りたいような次第です。
 多くの人々を激怒させ、金返せと言わしめ、そのことで有名になるなんて、なかなかできる事ではございません。そうした酷評を読んで、それほどのクソ映画ってどれほどのクソなのか気になって眠れなくなり、判っているのにレンタル屋に騙されに行った人も少なくないのではないでしょうか。そしてそんな連鎖で、興行成績が伸び、製作サイドは思わぬ収益をものにした、そんなことが起きたかもしれません。
 このクソ映画大ヒット現象を、バイオシン現象と呼びたいと思います。これを読んでいただいた読者も、刺激の少ない日常に一興を投じるために、ひとつヒドい目に会ってみようなんて思い立ったとしたら、それはもう感染です、バイオシンです。
 パーティかなにかの敗者の罰ゲームで、このDVDを自腹で購入し、次の休日に家にこもって3回観るなんてのはどうでしょう。それを食らった人はきっと、天に向かってこう叫ぶでしょう「金返せぇ、時間をかえせーーーっ」これであなたも立派なバイオシンです。  世の中に数々のクソ映画あれど、それらはたいてい観た人がハズレを引いたと泣き寝入りして終わるだけですが、DVDジャケットを詐欺で訴えたいとか、レンタル屋の告知が許せないとか、「TX-V」の女子アナすげぇとか、あれこれ騒動になったことは、なかなか真似できない快挙だと思います。
 悪運の強さで、すごい映画と言わねばなりません。
原題:The Vanguard
2008年イギリス、89分。2009年DVD発売。
監督、脚本:マシュー・ホープ
出演:レイ・ブロック・Jr、 エマ・チョイ、 ジャック・ベイリー、 シヴァ・グレウォル、 スティーヴ・ウェストンほか。

時計じかけのオレンジ【映画】

2015/01/26


 キューブリックは、筆者の大好きな映画監督で、「博士の異常な愛」 「2001年宇宙の旅」 「シャイニング」 「フルメタル・ジャケット」 「アイズ ワイド シャット(遺作)」 と、どれも大そう感動いたしました。ほかにも 「スパルタカス」 「ロリータ」 「バリー・リンドン」といった、筆者はまだ観てませんが当時世間を騒がせた作品がいろいろあります。人間を描くということにこれほど奇妙で驚異的で生々しい監督はなかなかいない、と筆者は思っています。ひじょうに変わった作風の映画を作りますが、シュールレアリスムのような観念的なものではなく、けっこう解りやすいテーマ性を有しています。
 わけても「2001年宇宙の旅」と本作は、奇妙で難解な作品として話題になりましたが、けっしてそんなことはありません。両作品ともひじょうに鮮烈な映像と雄大なクラシック音楽を和合させた近未来SFです。「2001年宇宙の旅」(1968) はあまりにも有名でご存じの方も多いと思いますが、当時、約30年後の未来世界として木星有人探査船とそれに搭載された人工知能が描かれています。映画が公開された翌年に人類は月面着陸を成功させましたが、2001年から10年以上経った現在も木星探査船や人工知能は実現していませんね。

 さて、本作のお話しですが、舞台は近未来のロンドン。非行少年のアレックスは悪友たちと共にドラッグ入りミルクを飲んで夜な夜な暴れ回り、暴力とセックスに明け暮れる日々を送っています。ある時、富豪の家を襲撃した際に仲間に裏切られて逮捕されたアレックスは、実刑を食らうことになります。刑務所で彼は、更生のために特殊な治療を受けます。体を拘束され目を閉じられないようにまぶたを固定され、延々と暴力映像を見せられるというものです。そしてBGMには彼の大好きなベートーベンの音楽が流れています。温厚で善良な青年に転身してアレックスは出所しますが、そんな彼を、かつての仲間や被害者の遺族たちによる暴力が待ち受けていました。

 エドガーの行進曲「威風堂々」やオペラ「泥棒かささぎ」、ベートーベンの交響曲といったクラシックの名曲をBGMに、サイケデリックな映像と、暴力とセックスが繰り広げられます。
 この映画を初めて観たのが、高校生の時で小劇場でのリバイバル上映でした。あの当時はロードショー公開から少し時間が経った旧作を2本立て3本立てで上映する小さな映画館がたくさんありました。学校の教室の半分くらいの劇場から、一流劇場顔負けの大型館まで、多数の二流劇場があったので、安価で劇場上映映画をたくさん見ることができました。現在はそうした劇場はひじょうに少なくなり、わずかに残った小劇場は大型館で上映しないロードショー公開作品を上映する、料金的には一流と同等の劇場になってしまいました。
 当時初めて聞く「威風堂々」や「泥棒かささぎ」、そして電子音楽による「第九」があまりにも素晴らしくて、この映画のサントラレコードを買いました。あの頃はレコード屋さんに行くと映画音楽のサントラ(オリジナルサウンドトラック(OST))のコーナーが必ずありました。衝撃的でしかも芸術的な映像と共に聞くこれらのクラシック音楽は、今でも大好きな曲です。アレックスは更生治療のために強制的に暴力シーンを見せられながら大好きなベートーベンを聴かされますが、観客もまたアレックスたちの暴力シーンを見ながら名曲の数々を聞くというわけです。アレックスは無事に更生しますが、その代わりに大好きな音楽を聴くと醜い暴力を思い出して吐き気に見舞われるという悲しい後遺症を抱え込みます。しかしながら観客がそうした症状に襲われることはないので安心してください。アレックスが見せられた暴力映像とちがって、この映画はひじょうに芸術的で感動的ですから。
 作家の家を襲撃し、彼を縛り上げてその妻を暴行しながら、アレックスは名曲「雨に歌えば」を熱唱します。出所後、彼は皮肉にも仲間たちの暴力に遇い、命からがら一軒の家に助けを求め、そこで手厚い看護を受けますが、ゆったりとバスタブに浸かりながらいい気分で「雨に歌えば」を口ずさんでしまいます。おかげでその家の住人がアレックスの正体に気づいてしまいます。再会した仲間が今では彼を迫害する立場になっているというエピソードを含め、皮肉な巡り合わせがいくつか登場しますが、因果応報とはこのことだなぁと、見事なストーリーの妙に感心させられました。

 ショッキングな色使いで描かれた、暴力とセックスと名曲の融合した近未来、そのあまりにも個性的な映像に、すっかり魅せられてしまいます。ひじょうに異色でパンクでサイケであるにもかかわらず、抽象的でわけが解らない内容ではなく、ストーリーはとても解りやすく内容にもとても共感できます。誰もが、あの憎たらしいアレックスが大好きになってしまうことでしょう。キューブリックマジックですね。
 またアレックスたちはまた、独特の言葉づかいで話し、それもこの作品に強い個性を与えているのですが、英語を解さない筆者にはそのユニークさは、翻訳だけではあまり伝わってこないのが残念でした。  数々の古典の名作に描かれた未来図が、時代と共に古びて幼稚な感じになってしまうなか、アレックスたちの服装は今見ても新鮮です。白の上下に山高帽と黒いブーツ、プラスティックのパンツを幅広のストラップで吊っているそのファッションは、ピエロのマスクの殺人鬼よりも怖いです。

   以下ネタばれです。出所後は更生して清らかな心の青年になったはずのアレックスですが、かつての仲間にもそして家族にも見放され、彼を受け入れる者は誰もいません。不良時代にはあんなに生き生きしていた彼は、苦悩と悲しみの中に沈み込み、とうとう自殺してしまいます。そして一命を取り留めた彼は、生死をさまよったショックで"治って"しまいます。もうベートーベンを聴いても平気です。
 一方、彼の更生をイメージアップに利用しようとした政治家は、彼の自殺未遂により評判を落としてしまいます。そこで治療によって廃人同然になった彼が立ち直れたことをPRしてほしいと、頼みに来ます。アレックスはそれを快諾し、謝礼としてゴージャスなステレオセットをものにします。大音響でベートーベンを聴く彼は、マスコミ取材に対して満面の笑みを浮かべ、その目には以前の残忍さが蘇っているのでした。
 多くの人を不幸にしたアレックスですが、更生して社会に復帰するとまともな暮らしができず、再び悪意を取り戻すことで精気が蘇り、名声さえ手に入れてしまいます。ひじょうに皮肉な運命に翻弄されるわけですが、その背景には彼を利権に利用しようとした政治家の野望があるわけで、なんだか人間社会に対する虚しさを感じてしまいます。  映画はここで終わりですが、原作にはアメリカで出版された際に削除された終章があります。アレックスは新しい仲間たちとつるんで再び暴れ回ります。しかし以前のようには心底楽しめない自分がいます。そんな折りかつての仲間の結婚と出産を知り、彼は暴力から手を引こうと決意します。でも心の中でこう思います。自分もいずれ結婚して子供ができたとして、その子もまた暴力の道に走り、それを止めることはできないだろう。
 この終章が削除されたことで作品の意図が変わってしまったという批判は少なくないようです。しかし筆者には、最後の件りが蛇足のように思えます。自殺未遂で元に戻ったアレックスは再び悪の道を進むものの、今度は自分の意思で足を洗う。でも将来の自分の子も同じ道を進むだろうと思う……。なんだか虚しい堂々巡りのようで、かえって作品の意図があやふやになっているような気がします。治療を担当した医師やその功績に便乗しようとした政治家に翻弄されながらも、大人たちの醜い下心に関係なくアレックスが自分を取り戻したというところで終わっている映画版の方が、権力を小気味よく笑い飛ばしていて好感が持てます。
 駄文を書いているうちにまた観たくなって来ました。以前に買ったDVDが家のどこかにあるはずです。探してみましょ。

原題:A Clockwork Orange。
原作:アンソニー・バージェス(イギリス)
1972年アメリカ/イギリス、137分。日本公開1972年。
監督、脚本:スタンリー・キューブリック。
出演:マルコム・マクドウェル、パトリック・マギー、マイケル・ベイツ、ウォーレン・クラークほか。

フルメタル・パニック!【アニメ】

2015/01/27


 今や世界中に多くのファンがいる日本のアニメですが、こ作品は、筆者がもっとも長く付き合ってきたもっとも愛すべき一編です。エヴァンゲリオンや涼宮ハルヒほどの知名度を得ていませんが、それらの大ヒット作品よりも、ストーリーも内容もずっと優れたSF超大作です。エヴァやハルヒの成功は、キャラ立ての上手さによるものでしょう。エヴァのSF設定ははっきり言って失敗ですし、ハルヒも秩序を失ってお話しは破綻しています。その点、本作は15年に渡って続いた原作もきちんと完結していますし、SF設定やアニメのクォリティ、お話しのクォリティもたいへん優れています。エヴァもハルヒも初回上映から見ていますし、ハルヒはアニメ化前の原作から親しんでまいりましたが、両作品とも散らかすだけ散らかしてきちんと片づけが出来ていないというたいへん残念な末路に陥っています。それでもエヴァは多くのファンが付いていることに乗じて、新作劇場版をいまだに作り続けていますが、新作を見るたびに悲壮感を覚えます。儲かる限り作り続けるのでしょうね。でも製作サイドにエヴをきちんとまとめる能力はもはやないと思われます。
 エヴァもハルヒも大好きでけっこう入れ込んだ作品なのですが、人気上昇に反比例して期待は小さくなって行きました。筆者よりもずっと遅れてエヴァやハルヒを見はじめ、大ファンを自称する人たちを見ていると、なんだか虚しくなります。
 エヴァやハルヒが、日本アニメに何をもたらしたかを考えましても、あまり良い印象はありません。それ以降、不可思議なシチュエーションを誇示した"ふしぎアニメ"がやたら増えた気がします。可愛いキャラを使ってファンタジーでちょっとSFな世界観を作ればウケる。そんなセオリーができあがって、業界もそんな新人作品の発掘に専念しているような、そういう傾向が目につきます。
 嫌いじゃないですよ、筆者も。嫌いじゃないからエヴァにもハルヒにもハマったわけですから。ちゃんと青春ドラマしてますし。でもきちんと片づけない、片づけられない、そこが残念なのです。

 フルメタル・パニック!は、そうしたドラマとしての破綻を回避し、きちんと完結しています。ベースはミリタリーアクションで、ひじょうにリアルで緊張感のある作戦行動が展開されます。アームスレイブ(人型兵器)とかECS(電磁迷彩システム)といったブラックテクノロジーと呼ばれる架空の技術が登場しますが、それがまた安っぽくなくたいへんリアルです。また、戦闘アクションにありがちな暑苦しい熱血シーンの演出は抑え目で、そこもハイクォリティです。むかしのロボットアニメのように技の名前を大声で喚呼したり、主人公が大声で吠えまくる演出、日本アニメは好きですよね。場を盛り上げるのに効果的なのですが、過ぎるとかえって萎えます。それがこのアニメでは抑え目で、戦闘シーンもクールで大人な感じです。そうであるにもかかわらず萌え要素はしっかり抑えています。燃え要素だけではありまへん。ミリタリーアクションと平行して、学園ラブコメが展開します。それがまた大変にイケてるのです。アクションではしっかり燃えて、ラブコメではめっちゃ萌える、この絶妙な両立が素晴らしいです。その点で行くとエヴァもこの辺りはキッチリ抑えていて、レイやアスカといった超人気キャラを産み出した点はひじょうに優れています。あれで話しが破綻していなければ天才だったんですけどね。

 幼い頃から中東の戦場で育った日本人相楽宗介は、ミスリルという民間軍に傭兵として雇われ、高校生に扮して陣大高校に潜入する任務に就きます。そこで千鳥かなめという女生徒の護衛に当たるのですが、戦場育ちの彼の護衛法はハイスペックな軍事行動に依り、そのせいで学園に騒動を巻き起こします。千鳥かなめはウィスパードという彼女自身も知らない特殊能力を有し、ブラックテクノロジーの要となるその能力をミスリルの宿敵アマルガムが狙っているのです。ミスリルは作戦行動中はトゥアハー・デ・ダナンという強襲揚陸や数々の機動兵器の母艦としての能力を備え、巡行ミサイルも搭載する超高速大型潜水艦で行動しています。そこで作戦指揮を執るテレサ・テスタロッサは16歳の少女で、彼女もウィスパードです。
 第1期アニメは、原作1〜3巻をアニメ化したもので、短編のエピソードおよびアニメオリジナルストーリーも含まれています。ハードな戦闘アクションと学園ラブコメを両立した作風はここで確立されています。そもそも原作がシリアスな長編ストーリーとコミカルな短編集という構成になっているので、両者を両立させた作風は必然的なものであったとも言えます。ミスリルの宿敵であるテロ組織アマルガムに与するテロリスト、ガウルンと相良宗介の宿命の対決がメインのお話になります。次々に仕掛けてくるアマルガムのテロ行動を阻止するため、相良宗介は陣大高校と戦場を行き来する生活を余儀なくされますが、修学旅行の際に千鳥かなめの乗った飛行機をガウルンにハイジャックされたことから、彼女を戦場に連れだしてしまうことになります。そこでガウルンが操縦するラムダドライブ搭載のアームスレイブと、宗助は同等の性能を持つ機体アーバレストで対決することになりますが、彼はアーバレストに乗ることも初めてなら、ラムダドライブの起動方法も解りません。その時ウィスパードとしての千鳥かなめの能力が覚醒し、宗助に精神感応によって支持を送り、宗助はからくもガウルンを退けることに成功するのでした。その後もガウルンはたびたび攻撃を仕掛けてきますが、最後にはテレサ・テスタロッサの指揮するトゥアハー・デ・ダナンへの潜入に成功し、自爆攻撃を仕掛けます。
 第2期アニメは、本ストーリーとは別のコメディ編です。第1期を制作した GONZO に代わり2期以降は京都アニメーションが制作しています。陣大高校が主な舞台になっており、テレサ・テスタロッサも期間留学生として編入され、千鳥かなめと相良宗介を巡る三角関係を繰り広げます。また、生徒会の林水会長と初期の美樹原蓮が大活躍し、宗助たちの騒動をさらに盛り上げます。
 第3期アニメは、原作4〜5巻をアニメ化した本ストーリーです。第2期とは打って変わってシリアスなお話になりますが、ところどころに萌え要素はきちんと抑えています。戦場育ちで普通の高校生としての暮らしをまるで知らなかった相良宗介手ですが、千鳥かなめの警護で行動を共にするうちに次第に恋心が芽生えます。ところが突然警護任務が解かれ、本部に呼び戻されます。納得がゆかないままセイフハウスを片づけ、新任地に旅立つ宗介を香港で待ち受けていたのは、ゲイツという狂人的なテロリストとテレサ・テスタロッサの双子の兄でありながらアマルガムの幹部になったレナード・テスタロッサ。ミスリルのやり方に不審を抱いた宗介は、作戦行動中に部隊を離れ入手した暗号を追って死んだはずのガウルンに再会します。宿敵ガウルンは、トゥアハー・デ・ダナンでの戦闘で重傷を負い以前から癌を患っていたこともあってベッドから起き上がれない瀕死の状態ですが、宗介に対してミスリルとの馴れ合いを棄て、一匹狼にもどった今こそがお前の本来の姿だと告げます。
 短編「わりとヒマな戦隊長の一日」は、トゥアハー・デ・ダナンの整備のためメリダ島基地に寄港し、久々にプライベートな時間をのんびりとすごすテレサ・テスタロッサのお話し。作戦行動中は天才的な手腕を発揮する彼女も、私生活では普通の女の子。というよりかなり天然な娘で、それに加えてマデューカス中佐やカリーニン少佐までが、戦場ではけっして見せないボケボケぶりを見せてくれます。戦場の勇者たちも人として当たり前の生活ではダメダメです。当人たちは真面目なんですが。そしてこのギャップがフルメタの本質とも言えます。

 さて、原作が完結して5年、アニメが終わって9年になりますが、アニメ化の方は原作の5巻で止まったままです。続きがアニメ化されることはもうないのでしょうか。ふもっふ2のアニメ化のための原作エピソードもたくさん残っていますし、本ストーリーの方もまだ半分も消化しておりません。これからますますおもしろくなります。アマルガムの究極兵器巨大アームスレイブ ベヘモスが襲来し、ミスリルの拠点であるメリダ島が襲われ、シドニーにあるミスリル本部や幹部たちも奇襲に遇います。ミスリル崩壊の危機に瀕し、傭兵で構成されている兵士たちの心も揺れます。そんな過酷な状況の中で、テレサ・テスタロッサは巻き返しのため敢然と立ち上がります。また、ブラックテクノロジーやウィスパードの謎も明らかになります。
 筆者的には、ふもっふ2の製作および本ストーリー後半の劇場版前後編の製作を期待したいところです。この素晴らしい世界観をアニメ未完のまま終わらせるのはありまにも残念です。  また、古い情報では原作の本ストーリーは完結したものの、サイドストーリーは続く予定があるということでしたが、それもないまま、別の新人作家による外伝小説「フルメタル・パニック! アナザー」が刊行されました。本ストーリー完結から12年後の世界のお話で、登場人物もすべて刷新されました。2巻ほど読みましたが、筆者的にはあまり面白くありませんでした。

原作:賀東招二 1996〜2010。
イラスト:四季童子。
長編12巻、短編集9巻、外伝2巻の全23巻。

2002〜2006年アニメ化。
フルメタル・パニック! 全24話
フルメタル・パニック? ふもっふ 全12話
フルメタル・パニック! The Second Raid 全13話 (OVA)
わりとヒマな戦隊長の一日 短編 (OVA)
監督:千明孝一(1期)、武本康弘(2期〜)
声出演:関智一、:雪野五月、ゆかな、 三木眞一郎、根谷美智子、大塚明夫、西村知道、小山力也、田中正彦、浪川大輔、大原さやか、大塚芳忠、高橋美佳子、岡田貴之、能登麻美子、木村郁絵、豊口めぐみ、森川智之、田中理恵ほか。

タリウム少女の毒殺日記【映画】

2015/02/06


 科学に強い関心を持つ女子高校生が、虫や小動物を観察し、その様子を動画投稿サイトにアップし続けています。やがて観察対象は公園にいる児童や自分の母親に移ってゆくのですが、彼女の観察は単にあるがままを観るのではなく解剖や残酷な実験を伴い、母親に対しては少量ずつタリウムを投与しながらその変化を記録しようとします。2005年に実際に起きた少女による母親毒殺未遂事件の当事者の日記がモチーフになったメタフィクション形式の作品です。
 主人公の少女自身が学校で激しいいじめに遭っており、風評的にはその苦痛を虫や小動物への虐待で晴らそうとするうちに母親を毒殺すると言う行為に及んだ、そんなふうになるのでしょうが、この映画の少女は、いじめを学校という社会構造の中で必然的に生じるものとして受け止め、それをも観察対象にしています。「観察するぞ、観察するぞ、観察するぞ」と暗示のように唱えながら生き物たちにカメラを向け、解剖したり、化学的な実験を施したりし続けます。観察対象が母親に移ってからも被験者とのコミュニケーションを取ろうとせず、冷淡にカメラを向け続けます。
 母親は娘のことなどそっちのけでアンチエイジングに明け暮れ、娘に毒を盛られ続けていることも気づかずにやつれて行きます。
 少女が唯一心を開いている女性は身体改造アーティストで、体中痛々しいピアッシングやタトゥーで埋め尽くされています。

 ひじょうに不健全でマイノリティで奇異な世界を扱ったドラマであるにも関わらず、なぜだかとても爽快感があります。主人公が少女だからでしょうか。彼女は徹底的な傍観者に徹することで、世界を構成しているプログラムから新境地に旅立とうとしているそうです。主人公が少年だったら、もっと陰湿で絶望的な雰囲気になっていたかもしれません。

 物語は、身体改造アートのドキュメンタリーやクローン技術に取り組む科学者の映像といったものに時々遮られます。クローンの科学者の言動がかなり笑えました。「戦争の原因は宗教と貧富の差だ。クローン技術で人が複製できるようになれば、みんな平等になって貧富の差はなくなり、神の不在を証明でき宗教もなくなる」誰が聞いても狂信的ですよね。
 体をピンやフックで傷めたり異物を埋め込んだりする身体改造アートを、グロテスクなものとして遠ざけるのが一般的な考え方で、これを美学だと思える人は少ないでしょう。では、魚をさばいてバラバラにして皿に盛りつけるのはどうなのでしょう? 活けづくりと称して生きたままの魚を盛りつけるのは? 食べるための殺生は残酷ではないのだそうです。筆者もそう思います。でも活けづくりのような盛りつけは、いささかやり過ぎの感があります。弱々しく動かす口から血をしたたらせているのを嬉々として眺め「おいしそう」と目を輝かせているのは、先入観というプログラムによって心を操作されているからでしょう。それを見て怖がったり、残酷だと感じたりする子供は、まだプログラムによる洗脳が足りていない未熟者ということになります。

 この映画では変なものをいろいろ見せられます。変なものを集める名人だなぁ、この監督は。そう思いました。でも普通に暮らしていたのではなかなか向こうからやって来ない変なものを、変な少女を通して見るという機会は、とても貴重だと思いました。義務教育や高等教育、親の教育や一般モラル、そういった強要される学習は、理由も告げられず正しくて必要なことだと教えられます。しかしその多くが、じつは偏った考え方であり、素直な良い子で育つと大人になって裏切られます。大人の世界は欺瞞に満ちており、汚い手を使って財を築いた者が、当然の権利として経済の流れを破壊し社会を腐らせています。
 成長するにつれて思い知らされる社会の壮大なウソに挫折する若者が後を絶ちません。引きこもりや自殺を適応障害と一概に本人の責任にし、みんなで笑います。笑って良いのでしょうか? たまたま自分がそうならなかったので安心し、不適合者を退けて、社会の腐敗に加担し続ける、悲しいことです。不適合者を見下し、支配者の不正には目をつぶり、腐敗をみんな他人のせいにする。楽ですが希望のないわびしい生き方です。

 社会に適合できないとされる人の気持ちを考えたことがありますか? 適合できない人を多産する社会の欠陥について考えたことがありますか? いじめに加担したり、自分より劣る人間を作って見下したりしたことはありませんか?  この映画の中で、主人公の少女が、いじめに遇いながら、いじめる側の気持ちを理解しているような言動をするのに驚愕する人もいるでしょう。では、いじめられっ子の内面がどんなだったら驚愕しないというのですか?
 劇場に観に行った際、たまたま土屋監督のトークタイムがあって、最前列でアホづら下げて観ていた筆者は「なにかご意見はないですか」という監督の振りに挙手をせざるを得ませんでした。その時にも言わせていただいたのですが、この映画をたくさんの若い人たちに観てほしいと思いました。観察者に徹する、観察して観察して完璧な傍観者になる。無表情に淡々とつぶやくタリウム少女の言葉を、若い人たちなら理解できるかもしれない、世の中に我々が求めうるドラマなどなく、プログラムしかない、プログラムを超えて新境地を目指す、その意味を若い人たちに自分なりの見方考え方で理解してほしい、そう思いました。

 世の中には、変わり者がけっこうたくさんいます。宇宙の果てについて考えている理論物理学者なども変人扱いされるのが一般的です。そんな荒唐無稽なことを思索することになんの意味がある、自信家の凡人がよく発する言葉です。天才と気ちがいが紙一重なのだそうです。
 でも人々は天才の労苦の恩恵を受けて文明的暮らしを営んでいます。変わり者が作ったアニメに感激しています。凡人の中には自称変わり者もたくさんいます。変わってるとよく人から言われるなんて自慢したがる、あきれるほど普通の思慮の浅いだけの人が。
 社会は人々を教育によって支配者に従順な人材に洗脳しようとします。そりゃ世の中にはたくさん人がいますから、みんなが変わり者だったら統制が取れません。でも、社会には変わり者が足りません。濁った目をして汚れた言葉を吐く善人が多すぎます。
 この映画を観る若者の多くは、きっと何らかの感銘を受け、ものの見方考え方の幅を拡げるきっかけをつかむことでしょう。そうして世の中に必要な変わり者が増えてくれればと思います。変わり者といっても、かぁちゃんにタリウム盛るような変わり者では困りますが、腐敗を見てみぬふりをしない、間違っていることにそう言える、そんな変わり者がこれからの世の中にはもっともっと必要です。

 たいへん残念なことに、この映画はDVD化されていないようです。ロッテルダム国際映画祭ではひじょうに高い評価を受けたそうですが。DVD化されたら絶対に買うんですけどね。
 どこか学校じゃないところで、中高生向けに上映会とかやってほしいものです。

2013年公開、82分。
監督、脚本:土屋豊。
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi、川崎流空、朝岡実嶺、種田梨沙ほか。

アズミ・ハルコは行方不明【小説】

2015/02/13


 久しぶりに大変おもしろい小説を読みました。山内マリコの小説は最近になっていくつか読んだのですが、この作品はお話しの構成からミステリアスな内容から、爽快な読後感まで、いろんな面でとても楽しめました。恋愛や友情や人間関係だけのお話しとちがい、ひじょうに社会性も強く、現代社会の内面に潜むもうひとつの社会を見るようで、興味深かったです。自立して社会人として歩き始めようとする若者たちの精神世界とでも言いましょうか、ひとりひとりの思いが巧妙につながって独特の世界が存在しているんですね。登場人物は多くないですが、ある意味ひじょうに広大な世界を描いています。
 誰にだって現実とはちがうもう一つの自分の世界みたいなものが存在すると思います。若い間はそれが現実になる可能性を信じたり、現実との区別がつかなくなったりし、極端な例では常軌を逸した行動に出たり、そうしたい衝動に駆られたりします。
 歳を重ねた大人たちが忘れてしまっている若者たちの奇妙で不可解で、ともすれば反社会的な精神世界、それを青少年の犯罪といった形で描いた作品はよくありますが、この作品では、一見べつべつの精神世界がつながっていて、大きな世界を構築しているところが面白いですし、またリアルでもありました。そしてそれは新興宗教への盲信や集団自殺といったものともまったくちがいます。もっと我々にとって身近でありながら、多くの人たちが気づいていない世界です。
 若い頃は何にでもなれる気がした、何も怖くなかった、そんなことを語る大人が多いですが、それは過ぎてしまったから言える言葉ですよね。年とともにいろんなものをあきらめ、若い頃にはそんな大人にはなりたくなかったというものに、けっきょく自分もなってゆき、なってみればそれに慣れてしまい、必死にもがいていた頃が愚かに思えてしまう。でも、大人になっても、老齢になっても自分だけの世界を持っている人たちだってたくさんいます。

 筆者は、若い頃は無心に本を読み、アニメや漫画にハマり、物語を書き、虫や自然を観察し、それらを記録に付けていました。同人誌を作り、それに思いをぶつけてきました。同人誌の仲間とは、書くジャンルに共通性がなくても、創作意志でつながっていました。その仲間には、プロの作家を目指さなければ同人活動の意味がないという発想の人もいましたが、筆者は作家になりたいという思いは希薄でした。自分のなりたい職業なんてこの世には存在しないような気がしました。自分の書いたものを多くの読者に読んでもらいたいという気持ちはありましたが、それはあまり重要なことではなくて、とにかく自分の中のものを吐き出すことが大切でした。目的意識以前にとにかく書きたいという衝動は、バイクのマフラーに穴をあけてツルんでる奴らとまったく変わらないなぁ、そんな自覚がありました。誰も賛成してくれませんけど。今でもそうですが、書き終えたらそれでおしまい。読み返したり推敲したりということは、よほど気に入った作品でない限りやりません。だから今でも筆者のブログは乱文と誤字であふれかえっていると思います。
 本腰入れて作家を目指そうかと思ったこともなくはないでした。でも、なにかがちがう気がしていました。文筆業で食って行けるって人はうらやましいとは思います。でも、仕事で書かなくちゃならないのってどうなんだろう、今みたいに自分を見つめたり、自分の思いで書いたりできるのだろうか、そんな不安が残ります。仮に筆者が文筆業を営むことになったとしても、おそらく職業以外のものを趣味でせっせと書くのでしょうし、なかなかその時間が持てないことにいらだっていることでしょう。であれば、現状と差異はありません。
 書くことは、自分にとってコミュニケーションです。このブログには今のところコメントはいただいたことがありませんが、生き物のブログではコメントをいただき、筆者の知らない考え方を教えてもらったり、誤りを指摘していただいたりしました。それと何よりも、未来の自分との対話もひじょうに重要です。未来の自分に語りかけても返事が返るのは数年後あるいは十数年、数十年後になりますが、書き残さないと返事もできません。返事をするというのは具体的に感想を書いたりするのではなく、読み返して感じるだけなのですが、それで自分がどう考えどう生きてきたかが解るわけです。
 ものを書かず、考えたこと感じたことを記録もせずに生きているということが、筆者には信じられません。おそらく書かない人たちの方が多いのでしょうが、そしてそうした人たちの方が、世情に通じ社会をストレートに受け入れられているのでしょうが、やっぱ筆者のようなものにはそれは無理です。
 小説や漫画や生き物たちに出会っておらず、バイクと煙草に出会っていたら、筆者も暴走族になっていたのでしょうか。なっていたかもしれません。メカとかスピードとかスリルとかもけっこう好きです。その世界で筆者は何を学びなにを考えたでしょうね。上辺では筆者は一般サラリーマンの社会にいますが、サラリーマン社会に友だちは少ないです。社内で親しいのは会社に楯突いてるような人間だけです。
 筆者にとってものを書くことも暴走族になることも違いはないのだという話しを、職場の同僚にしたことがありますが、それじゃあ筆者の本質は悪党なのか、という質問が返ってきました。悪党……ですか。なかなか良い響きですが、そんなカッコイイものでもありません。そもそも善悪という判断基準がナンセンスです。善悪なんてもっとも主観的で独善的な価値判断に過ぎません。

 作品のお話しにもどります。
 木南愛菜は、キャバ嬢を辞めて悶々としていたところで、旧友の富樫ユキオと出会い、肉体関係を持ちます。ユキオは軽薄で情のない男で、たまたま出会った三橋学と退屈しのぎに路上アートにハマり、愛菜も仲間に引き入れます。いくらか絵心のある学は、ユキオにそそのかされるままに缶スプレーで街中に落書きを描き続け、やがてハルコのステンシル画を完成させます。街でたまたま見つけた尋ね人のポスターの写真の女性を拡大し、版型を作ったもので、それを街の至る所にスプレーして回ったところ、ネットでウワサになりテレビのニュースにもなります。
 ユキオと学と愛菜の路上アートチーム"キルロイ"は、本来なら街を落書きで汚す犯罪者集団ですが、彼らは次第に英雄になってゆきます。
 以下はネタバレになります。

 ある時、ユキオはSNSで知り合った女子高生をモノにしようとするのですが、それは少女ギャング団の罠で、女子高生たちはSNSで釣った男を集団で襲撃していたのでした。ところが待ち合わせ場所に誘った学に少女ギャング団の魔手が伸び、ユキオは学を裏切ってさっさと逃げてしまいます。駆けつけた警察官の調べで、学はハルコのステンシルを使って街中に落書きをしていた犯人であることがばれ、お灸を据えられることになるのですが、その後、町起こしのイベントを企画した名の知れたプロデューサーの目に彼のハルコが止まり、彼はアーティストとしてイベントへの参加を要請されます。学が街頭落書きの犯罪者から路上アートの名手に転身したことを知ったユキオは、彼を裏切ったことをなかったことにして、飄々と舞い戻り、ちゃっかり学とのチーム再結成を実現させてしまいます。そのことをテレビのニュースで知った愛菜は、自分がユキオに棄てられチームからも除け者にされたことに絶望し、イベント会場で自殺してユキオに復讐してやろうとします。睡眠薬を大量に飲んで昏睡していた愛菜を救ったのは、尋ね人の安曇春子、"キルロイ"を有名にしたハルコのモデルになっその人でした。
 とある場末の小さな映画館で「スプリング・ブレイク」という少女ギャング団を描いたアメリカ映画が上映されるのですが、そこに総勢200人の女子高生が殺到します。ちまたを騒がせていた日本版少女ギャング団大集結です。情報をつかんだ警察は、これを少女ギャング団を一網打尽にする好機とし、映画館を包囲しますが、相手は女子高生という魔物。魔物が200人、どう考えても憂鬱です。女子高生相手に威嚇射撃をするわけにも行きません。終演後、ワラワラと出てきた女子高生たちに、警察官はとりあえずおとなしく投降するように呼びかけます。少女ギャング団絶体絶命か、しかし彼女たちは思いも寄らぬ武器を持っていたのでした。

 お話しの最後を飾る、少女ギャング団の大捕り物はなかなか圧巻のシーンです。そしてその意外な顛末。筆者はこのラストがひじょうに気に入り、この作品が大好きになってしまったのですが、読者の中には、このエンディングに辛い評価をする人も少なくないでしょう。少女ギャング団の一発逆転劇にも批判が集中しそうです。でも、このエンディング無くしてこの小説はあり得ません。冒頭に登場し、学を襲撃するものの本筋とは直接関係のない少女ギャング団は、仮にこれを映画化したとして、その際にばっさりカットしてしまったとしてもお話しには影響ありません。読者の中には、少女ギャング団それ自体がナンセンスであり、不要のものと思う人もいるでしょう。
 では、少女ギャング団の女子高生たちひとりひとりの精神世界について思いを巡らしてみてください。そしてそれがつながってギャング団という世界観が構築されていると。
 作品の冒頭に少女ギャング団がまず登場します。少女たちによる"男狩り"の被害者たちは女子高生にやられたという屈辱感から被害を届けたがりません。被害者の証言を得られず、曖昧な目撃証言やネット上のウワサばかりが先行し、警察も頭を抱える状況です。しかしそれはネットを通じて拡散し、被害は拡大傾向にあります。
 このユニークなギャング団のお話しをスピンオフ作品として作ってもおもしろいな、最初はそう思いました。ところが読み終わったあと、この小説は、ユキオや学や愛菜たちのエピソードを借りた少女ギャング団結成の物語なんだって思いました。チーム"キルロイ"がハルコのステンシルを完成させ、街中をハルコで染めていったのと、ネットを通して少女ギャング団が増殖して行ったこととは、無縁のものではなかったのです。チーム"キルロイ"がたどった運命と彼らの精神世界を見れば、少女ギャング団の発生と増殖とその顛末が理解できるはずです。
 であれば、少女ギャング団を主役に、チーム"キルロイ"を脇役にして物語を作るのもおもしろいかもしれませんね。
 少し意地悪な見方ですが、作者はこの作品のエンディングに自信を持っていたのだろうか、そんなことを思いました。表層的な見方をすると取ってつけたようなこの終章を、どれだけの読者に理解してもらえるだろうかという不安があったんじゃないか、そんな疑問が頭を過りました。この爽快で感慨深い終章はもっと肉付けしてもっと引っ張るべきでした。たとえば学を襲った少女たちにキャラクターを与え、終章でも重要な役割を担わせるとか。少女ギャング団にもう少し人格を与えてほしかった、そう思いました。
 この作品は、内容を忘れないうちにもう1度読んでみたいと思っています。

2014年1月発行、冬幻舎。
著者:山内マリコ
書下ろし

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目 次
能書き

思うこと全般

けぽっぷ体験

アイドルのこと

韓流映画

番外編


索引 韓流映画&番外編





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