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黒い家

2014/12/17

 筆者は、K-POPのみならず韓国映画もよく観ます。好みはサスペンスやホラーです。他のジャンルのものももちろん観ますが、韓流サスペンスあるいはホラーは描写に容赦がないところが素晴らしいです。残酷描写がひじょうに生々しく強烈で、女優も子役も体当たりでそれに臨みます。スプラッター(血しぶき)好きにはたまりません。日常が健全過ぎて、たまにはダークな気分になりたいって時には、韓流の殺戮ものがお勧めです。
 でも単なる悪趣味な血肉大放出ものてだけではいただけません。名作SAWシリーズのような技巧や思想がなければ。韓流映画はちゃんと"中身"も伴っていて、けっして3流C級映画のような残念なことにはなっていないので、お楽しみいただけると思います。
 日本の同名小説「黒い家」は、この映画の原作ですが、韓国の映画やドラマには日本の小説やコミックが原作になっているものがひじょうに多く、その多くが名作と呼ばれヒットしています。本作もその好例です。また、原作小説は日本ホラー小説大賞を受賞しており、超常現象もお化けも出ないのに底冷えのする恐怖があると好評でした。筆者は小説も読みましたが、それほど怖いとは思いませんでした。まぁ、たいていのオカルト映画にビビらされることもなく、たくさんの人形が並んだ自室で独りで怖いビデオを観て喜んでいるような人間ですから、筆者の感想を真に受けて小説を読むと、ちびるかも知れませんのでご注意を。筆者が市松人形やビスクドールの並んだ呪いの館みたいな部屋に暮らしているのを想像した人は残念でした。そうしたシチュエーションはひじょうに魅力的ではありますが、さすがに家族が恐れおののきますので、アニメのキャラのフィギュアやドールが並んでいる、さながらアニメショップのような状況を想像してください。
 この作品は、ストーリーとシチュエーションがひじょうに優れており、小説にしろ映画にせよ、ぐいぐい惹きこまれて行きます。何度観ても感心させられます。
 生命保険会社の調査役の主人公が、被保険者宅に呼ばれて"黒い家"を訪れるわけですが、そこで子供が首つり自殺しているのを目撃してしまいます。翌日、息子に保険をかけていた父親が保険金を受け取りに会社にやって来ますが、保険金殺人の疑惑が浮上し、保険会社は支払いを保留します。その父親は過去にも自分の手の指を失って保険を受け取っている経緯があるほか、妻にも保険をかけています。主人公の調査員は、次にその妻が狙われると懸念し、彼女にこっそりと注意を促すのですが、それ以降、今度は自分が脅されるようになります。彼の周りで事件の関係者が次々と死に、家が荒らされ、恋人が拉致されます。
 真犯人の意外性も見どころにひとつです。犯人はいわゆるサイコパスで、ひじょうに高い知性を持ちながらも人の情が欠落していて、他人の苦痛にも自分の死にさえも関心がなく、利益のために人を殺すことに躊躇がありません。淡々と人を殺害し、あるいは同胞に殺人を強要し、まったく感情の起伏がありません。怖いですね。
 恋人を拉致された主人公は、単身で"黒い家"に乗り込みますが、深所には生々しい猟奇殺人の現場が展開します。悪趣味な方の大好物ですね。血のりと肉片と悪臭の中で、怪物と化した犯人との対決が始まります。果たして、主人公は恋人を無事に救出することができるのでしょうか、と白々しく言ったところで、助けられるに決まってると誰もが思うでしょうが、まぁそうなのですが(ああ、ネタばれ書いちまった)単なるハッピーエンドで終わってくれません。危機一髪で犯人から逃れ、炎上した黒い家から脱出した主人公が、駆け付けた警察官に「まだ中に人がいる」と叫びます。幼少の頃、弟の自殺という悲劇を経験している主人公は、たとえ殺人鬼の命でも見捨てようとはしないのです。
 お話しはまだ続きます。終わらないということは、焼け落ちた黒い家と運命を共にした殺人鬼は、果たして真犯人だったのだろうか、主人公は平和な日常に戻れるのだろうかといった不安が脳裏をよぎります。警察の、主人公の、そして観客の目をも欺いて犯人が復活したらどうします? 熾烈な戦いを潜り抜け負傷した主人公の元へ、犯人が包丁なんか持って再来したらどうします? その包丁が主人公の腹に突き刺さったりしたら……。まさか、そんな、という驚愕にはお答えしまへん。真相は映画本編をご覧ください。
 主人公の運命はいかに、それでもハッピーエンドを期待したいあなたに、こう言っておきましょう、韓国映画に容赦はありません。
 犯人は、情が欠落しており他人の命も自分の命にさえも関心がありません。対する主人公は、子供の頃に弟を自殺から守れなかったという無念を抱えており、たとえ殺人鬼であっても人が死ぬのは見たくないと思っています。人の命に対して対極的とも言える情感を有する両者の一騎打ちが見事です。
 そして、事件が本当に解決したあとさらに、後日談があります。人によってはこの後日談は必要なのか、という疑問を抱くかもしれませんが、筆者としては、これによって作品のテーマ性がひじょうに強くなったと好感を持っております。人の痛みが判らない情の欠落した人格ってどんなものなのでしょう。それを産み出す現代社会とは……。後日談では本編とは無関係の人間の一瞬の日常が描かれるのですが、明るい日の下に浮かび上がる平和な日常の闇にひそむ恐怖に、ぞっとさせられました。怖い映画にびびったことがない筆者が、ちびりそうになりました。
 また、韓国の社会でも深刻化している不況が、保険金殺人というシチュエーションをひじょうにリアルなものにしています。指を失って障害者になったら保険金が入る、子供が自殺したら保険金が入る、では家族に掛けた保険金を増額しようか、そんな狂気の世界が現実社会と地続きなんですね。
 いかがです? 筆者のつたない説明だけでも、この映画が単なる脅かし血しぶき映画ではないってことがお解りいただけたでしょ? いただけたら、レンタルビデオ屋さんに走るなり、ア○ゾンの買い物確定ボタンをクリックするなりしましょう。後悔はさせまへん。いただけなかったら……しくしくしくしく。

2007年公開104分。日本公開は翌年、R15指定。
東京国際映画祭の特別招待作品。
監督:シン・テラ、脚本:イ・ヨンゾン。
出演:ファン・ジョンミン、ユ・ソン、キム・ソヒョン、キム・ジョンソク、チョン・インギほか。
原作小説:貴志祐介。1999年に日本でも映画化。

シークレット・ミッション

2014/12/18

 いつも緑のジャージ姿でヘラヘラと笑っているリュファンは、近所の子供たちからもからかわれる頭の弱い青年だった。ある時ふらりと町に現れた彼は、独り身の中年女性の家に身を寄せるようになり、彼女をオンマと慕いながら店の手伝いもよくし、息子のように可愛がられていた。彼の小さな田舎町での平穏な暮らしももう2年になる。そんなある日、ミュージシャン志望の髪を染めた青年ヘランが町を訪れ、続いて高校生のヘジンが越してきた。小さな町に訪れた小さな変化はしかし、リュファンの暮らしを大きく変えることになる。
 3人はじつは旧知の中であり、北朝鮮から送り込まれたエリートスパイだったのだ。彼らは平凡な韓国人として平凡な暮らしに溶け込み、人間関係を観察しながらひたすら祖国からの命令を待つという暮らしを続けていたのだ。  ところが、祖国で支配者が変わり、韓国との歩み寄りに政局がシフトすると、スパイ活動を推進する彼ら3人の所属する特務機関は、政府の都合で裏切り者ということにされてしまう。高官は政治を円滑に進めるためにも組織の解体と、潜入先のスパイたちの自決を命じる。
 リュファンたちは、スパイとして韓国に潜入した時から、祖国のために死ぬことは覚悟していた。それにしても諜報活動も命じられず、初めて命令らしいものが下されたと思えば、自決せよの一言。そのあまりにもの理不尽さに当惑してしまう。せめて祖国に残してきた実母は健在なのか、幸せに過ごしているのかと問うも、それが反駁と見なされてしまう。
 彼らとは別に韓国に潜伏していた科学者は、彼らと同じ町の気のいい隣人として彼らを観察し続け、韓国への長期の潜伏がスパイの人間性を変えてしまう、潜伏は北朝鮮に損失をもたらすこともあり、彼ら3人はその好例だと結論づけ、持論の正しさを祖国に証明しようとする。
 即座に自決を判断しなかった3人を抹殺すべく、特殊部隊が韓国に送り込まれる。部隊長は彼らに武術やスパイ道を叩き込んだ師範だった。
 自決する前に、母の無事が知りたいというリュファンの問いに対する祖国の返答は、裏切り者の組織に身を置く者の母が無事でいられるわけがないという情け容赦のないものだった。
 一方、潜伏先のスパイを抹殺する部隊が韓国に派遣されたという情報を得た韓国の警察は、スパイたちを脱北させ、暗殺者から身柄を保護し、北朝鮮の非道な諜報任務活動を崩壊させようとする。ところが、3人は警察の投降の呼びかけにも応じず、祖国からの追撃者と対峙する構えだ。孤立無援となった3人の運命は絶望的なものだった。

 はい、のっけから子細なネタばらしでした。この映画を観てみようと気にしていた方は、ご立腹ください。でもご立腹していただかないことには、この映画について筆者が語りたかったことの意味がないので、ご立腹していただけて良かったかな、と思う次第です。しかしながら、ここまでネタばれを読んでからご覧いただいても、この映画は大変おもしろいうえに、実際見てみると筆者の説明とかなりちがうじゃねぇか、っていう感想をいだかれるかもしれません。あんまりネタばれが過ぎると、それは観る人に対してあんまりなので、あえてピンボケに書きました。北朝鮮の韓国に対する諜報活動について知識がない人にとっては、上の説明で映画のシチュエーションが把握できて解りやすくなったということになれば、筆者としては喜びーなわけです。
 でだ、ご立腹の読者諸氏、ご立腹の矛先が理不尽な北朝鮮の政治家に向けられたりなんかしてませんか、いつの間にか。憎むべき宿敵韓国(そう教えられてきた)潜伏先で、若いスパイたちは、田舎町の隣人たちの熱い情に触れ、温かい人間関係に包まれてゆきます。一方で、彼らが愛すべき祖国は、政局が変わってお前たちの諜報活動はお国にとってまことに不都合なのだよ、つまりお前たちは祖国に対する裏切り者だから死んでちょうだいね、という冷淡な態度。ついでに裏切り者のお前たちの親兄弟も、当然無事でいられるわけはないわなぁ、なんてぬかしやがるわけです。命じたのは国だけど、それは失敗でした、失敗の責任はお前たちの命で償ってね、それが政治家の言い分です。  筆者は、北朝鮮を批判する気はまったくありません。まったくないのですよ。だって日本も同じじゃないですか。つい70年ばかり前まで、政府は若い人たちに外国人の惨殺を命じ、その罪を背負って死んで来い、それで国が富むのじゃ、なんて吠えてたわけですよ。あるいは、北朝鮮と敵対し、おれたち民主主義だぜ、なんて言ってる韓国政府だって国民に対してせっせと反日を煽ってるじゃありませんか。韓国も政局が親日に傾倒したら、国を信じて反日を叫んだ人たちは裏切り者扱いにされるのでしょう。
 この映画は、前半はコメディタッチで描かれ、後半はひじょうに緊迫したサスペンスになっています。まるで異なる作品のようにガラリと雰囲気が変わります。イケメンの人気タレントを起用し、笑いと涙の人間ドラマとして描いた前半パートで、主人公たちに親しみを覚えた観客は、彼らが遭遇する理不尽な悲劇に激怒することになります。そしてそれが北朝鮮憎むべしという感想になれば、政府のプロパガンダ映画として成功なわけです。
 しかしながら、聡明な観客のみなさんにはそうなって欲しくはありません。韓国は情に熱い良い国で、北朝鮮は憎むべき非道な軍事国家だ、そんな単純な感想は抱いてほしくないのです。自分は豊かに暮らしているから、この国は良い国だ。映画で申すなら韓国が善で、北朝鮮が悪となりますか。でも、資本主義の名の下に過度な資産家優遇と格差社会を構築し、若者がどんどん自殺する自殺大国、交通事故死大国になっちまっている韓国はどうなのでしょう。格差社会の勝ち組ちゃんは豊かで自由だから韓国は良い国、自由の少ない北朝鮮は悪い国ですか? 韓国の自殺者や事故死者と、北朝鮮の政治犯として殺される人の数は、どっちが多いのでしょう。北朝鮮では餓死も問題になっていますが、韓国の貧困層でもたくさん餓死しています。
 で、日本のみなさん。状況は日本も変わらないと気づいてください。資本家たちは、消費者の弱体化した日本では話しにならないね、これからの市場はアジアだね、なんて公言してはばかることもなく、とっとと日本を見捨てちまい、国内では資産家優遇の税制がますます強化され、超低賃金の若者労働者に対して、お前らが家も車も買わんから経済が回らねぇ、なんてほざいているわけさ。経済を停滞させ若者たちの未来を踏みにじってでも、余生を銭に埋もれて暮らしたい、使い切れないだけの銭があってもまだ足りない、そんな下品な老猿たちの侵略を許している国、それが日本なのさ。戦時中は大勢の若者たちが、お国のためかなんか知らんけど、大量に死地に放り込まれたわけだけど、自殺やらストレス死にする現代の若者は、数で戦時中に負けていませんぜ。

 この映画に皆さんは何を見ますか? 正義と情愛の韓国に対して、北朝鮮は非道だってことですか? 韓国警察の差し伸べた手を振りきって孤立してしまう若いスパイたちの愚かさですか? 他人事ですか? 国家って何なんですか。一部の勝ち組ちゃんがぬくぬくと暮らすために大勢の犠牲を払うための組織なのですか? 国民は国家という組織を維持するための消耗品なのですか? 映画の中で、北朝鮮のスパイである若者たちは、みんな陽気で素敵な好青年でした。対する彼らに自決を命じた高官は傲慢なクソ野郎として描かれていました。軍事国家の若者たちだって、みんな本当は輝いているんです。対する権力者は利権で食い膨れてゆがんだ顔をしています。これは韓国を謳い北朝鮮を批判した国家主義の映画ではありません。血の通った人間が主人公の人間ドラマです。
 国家権力に立ち向かえとは申しません。筆者だってそうはしません。あいつらすさまじい軍事力とか警察力とか大砲とか、かっちょいい戦闘機とか、いっぱい持ってます。立ち向かったところで、シラホシハナムグリがバーバリーライオンにケンカ売るくらい無謀です。命をそんな安っぽく使うよりも、僕たちわたしたちにはやるべきことがあります。文化の創造と文化の交流は、やすやすと国境を越えます。そして文化とは人々の暮らしそのものです。K-POPや日本アニメが海を越えて広く支持されたのも、日本食とキムチ作りが共に世界遺産(ユネスコ無形文化遺産)になったのも、文化の創造と交流のたまものです。世界はじつはみんな仲良しです。みんな日本アニメのコスプレしてK-POP踊るです。そうした僕たちわたしたちの築いた軌跡を、権力者たちはいつも後からノコノコついてくるのです。
 ネット社会(高度情報化社会)では、今後ますます文化が優先され政治経済があとからついてくる現象が顕著になってきます。それが人間社会の真実です。だとしたら、みなさんにもできることってあるでしょ? 筆者もこうしてグダグダとブログなど書いているわけです。

 筆者の作品のとらえ方、感じ方はともかく、ひじょうにおもしろくてとっても考えさせられる映画です。熱い涙が炭どもほほを伝います。作中のキャラたちを思い出すだけでも胸の中がジーンとなります。

2013年公開、124分。日本公開は2014年。
原題「Secretly, Greatly 」
監督:チャン・チョルス
出演:キム・スヒョン、パク・ギウン、イ・ヒョヌ

殺人の告白

2014/12/24

 韓国はイケメンだろうと大女優だろうと、悪役でも汚れ役でもなんでもさせますなぁ。韓ドラに精通なすっている筆者の嫁さんがおっしゃってましたが、大型新人と目される方たちがことごとく悪女として暴れ役を演じ、あれよという間に大女優になっちまうのだそうです。「黒い家」の項でも申しましたが、韓国映画は容赦がありません。二枚目スターだからって悪役汚れ役全然OKです。今やハリウッドスターのイ・ビョンホンだって「美しい夜 残酷な朝」で両手縛られてケツ振りダンスしてましたし、バラエティ「一拍二日」に出演したピもいびり倒されてました。
 本作品の主演パク・シフは、韓国の正統派イケメン俳優ですが、連続殺人の犯人で、時効が成立した後に殺人を告白する本を出版し、イケメンがゆえに多くのファンに支持されるというイケすかない役を演じました。女性ならぬ筆者には女心は解りませんが、連続殺人犯であってもめっちゃイケメンなら、女性たるものファンになっちまうものなのでしょうか。20年ばかり前の日本で、サリンで大量殺人を目論んだオウム真理教の幹部 上祐史浩ってヤツも若い女子に大人気で、キャーとかアウーとか言ってましたっけ。

 パク・ジフ演じる元連続殺人犯イ・ドゥソクが、自らの犯行を克明に記した本がベストセラーになり、彼は人気タレントのようにマスコミにも頻繁に顔を出すようになります。しかし彼に最愛の家族を殺された遺族たちにしてみれば、スター気取りのドゥソクが許せません。時効により法が彼を裁けないなら、自分たちで制裁を加えよう、遺族が集まり、彼を誘拐する計画が進行します。ドゥソクがいよいよ本当に襲撃されると、それを阻止すべくチェ・ヒョング刑事が後を追いますが、ドゥソクに恋人を殺されているチェ刑事の思いは複雑です。
 そしてそこへ、新たな真犯人を名乗る男が登場します。男はドゥソクはにせもので、自分がやった犯行を売名と金儲けに利用していると主張します。しかしながらドゥソクは、チェ刑事が過去に犯人と2人だけで接触した時の会話を知っています。これはチェ刑事と犯人以外に知るはずがありません。真犯人を名乗る謎の男は、それを覆すことができるというのでしょうか。
 もしもお前が真犯人なら、そのことを白昼堂々と証明して見せろ、ドゥソクはマスコミを通じてそう宣言し、真犯人を名乗る男もそれを承諾します。かくしてドゥソク、チェ刑事がそろってテレビの特別番組に出演し、謎の男の到来を待ちます。……果たして真相は。

 いやぁ、面白い作品でした。連続殺人を告白した本を出版するという奇行とも思える行為が世間に認知され、憎むべき殺人犯が一躍有名になるという悪夢のような出来事が、時効を過ぎて犯人逮捕に至らなかった刑事の眼前に、恋人を救えなかった罰のように突き刺さります。そしてドゥソクの命を狙う遺族たち、その中にはチェ刑事の恋人の母親も含まれています。母は刑事という危険な仕事をする男と愛娘との交際を反対しており、娘が殺人鬼の手に落ち、チェ刑事がそれを救えなかったことから、ことさら彼を憎んでいました。遺族の復讐計画をチェ刑事が阻もうとするのも面白くありません。そこへまた新たな勢力、真犯人を名乗る謎の男が登場します。様々な立場の人間を巻き込んだ愛憎劇が果たしてどんな結末を迎えるのか、気になりません? 気になりますよね。でもそれをここで明らかにするわけにはゆきません。
 15年前、チェ刑事が犯人を追いつめながらも取り逃がしてしまった時に交わした、彼と犯人しか知らない会話を、ドゥソクはちゃんと覚えていました。やはり彼以外に真犯人がいるなんて思えませんよね。それでも新たな真犯人を名乗る男は自信満々で、ドゥソクを詐欺師と呼ばわり、テレビのワイドショーで対決します。ドゥソクが詐欺師だったらチェ刑事は彼を詐欺罪で逮捕できます。一方、積年の恨みを晴らしたい遺族たちも固唾をのんで真相の行方を見守っています。
 映画を見ている僕たち私たちも、この奇妙な騙し合いに翻弄され、スクリーンに釘づけになっているというわけです。そしてすべての真相が明らかにされるとき、15年間の苦悩の日々から解放された遺族たちと共に、観客も深い感動に包まれます。この映画は単なる謎解きものではありません。恋人を失った刑事と、娘を殺された母との最後の対峙に涙して下さい。ドゥソクが「私が殺人犯だ」を著した本当の意味に感動してください。
 こんな大作が、日本では小さな劇場でしか上映されませんでした。最近は、韓国映画を上映する大劇場はすっかりなくなりました。「猟奇的な彼女」がヒットした頃は、複数の大劇場で韓国映画が上映されていましたけどね。小劇場が町からどんどん姿を消してゆく昨今、そのうち韓国映画はDVDでしか観れなくなってしまうのでしょうか。TCGテアトルシネマグループやCinem@rtシネマートを応援せねばなりまへん。

2012年製作119分。日本公開2014年。
監督/脚本:チョン・ピョンギル。
出演:パク・シフ、チョン・ジェヨン、キム・ヨンエ、チャン・グァン、チョ・ウンジ、チェ・ウォニョン、オ・ヨンほか。

サイボーグでも大丈夫

2014/12/27

 「オールドボーイ」 「親切なクムジャさん」を大ヒットさせ、その異才を見せつけたパク・チャヌク監督のこれまた奇妙な作品です。韓国では上の2作品がチケット売上300万枚を超えたのに対し、本作品は78万枚の売上にとどまり、ファンにとっては期待外れの映画になったようですが、筆者にとっては、前2作に劣らない、あるいは越える大好きな作品です。上の2作品に「復讐者に憐れみを」を加えた復讐3部作は、残酷描写の生々しいひじょうに血なまぐさい作品でしたが、本作は明るい色彩のラブコメディです。
 ラブコメといってもそこはパク・チャヌク監督、キラキラした青春映画にはなり得ないわけで、舞台はとある精神病院です。病棟の白を基調にした建物のおかげで映画の雰囲気もとても明るくなりました。自分をサイボーグだと信じている少女ヨングンは、アルツハイマーで入院してしまった祖母を病院から救出し大切な入れ歯を渡そうと企てていましたが、自らが重度の偏執狂と診断され精神病院に入院してしまいます。同じ病院に入院していた青年イルスンは、人のクセや性格まで盗んでしまう怪盗で、ある時ヨングンはイルスンに、自分から同情心を盗んでほしいと依頼します。同情心があるばかりに自分は祖母を救うために病院の関係者を殺すことができないからというのです。依頼を受けたイルスンは、ヨングンを観察し始めますが、サイボーグである彼女は食事をとると故障してしまうということで、充電のために乾電池を舐めているだけです。次第に憔悴して行く彼女は、やがて集中治療室に入れられてしまいます。
 集中治療室でもなかなか回復しないヨングンを、イルスンは強引に連れ出し、彼女のために策を講じます。乾電池では君を動かすための電力が足りない、そしてここには充分な電力もない。そこでこんな装置を作ってみた。これは体内に装備することで、食事をエネルギーに変換してくれる。君は人と同じように食事を摂ることで充分なエネルギーを得ることができるんだ。

 病院はユニークで楽しい患者たちであふれています。特殊な靴下の摩擦エネルギーで空を飛ぼうとするおばさんや、自分をアイドルだと信じ常に手鏡を持ち歩き綺麗な声で歌っている少女、卓球おじさん、延々と作り話を続けるおばさん。自分の世界に閉じこもっているはずの患者たちが、それぞれ自分の勘ちがいで絶妙にコミュニケーションをとっていて、1つの世界が構築されている様子がとても面白いのですが、笑えない部分もあったり。すなわち健常者を自認している僕たち私たちと、彼らと、ていどの差こそあれ本質にちがいはないのではないか、ふとそんな思いに駆られてしまいます。みなさんだって常に現実を見ているわけではないでしょ? 赤毛のアンも真っ青な空想壁をお持ちの方も、きっと大勢いると思います。精神病院は、様々な思いが渦巻いている人間社会の縮図です。
 いよいよ祖母を救出する決意をしたヨングンが、指先から銃弾を連射し、口から薬莢を吹き出しながら医師たちを射殺して行くシーンはかなり壮絶です。殺人マシーンと化したサイボーグ・ヨングルの暴挙をもう誰も止められません。逃げ惑う医師たちにひじょうに撃ち込まれる無数の弾丸。病院は地獄の戦場と化し、死体の山が築かれ、施設が破壊されてゆきます。この残酷描写は、さすがパク・チャヌク監督ですね。殺人マシーンの射撃は正確で、患者たちには傷を負わせることなく、病院関係者だけをあっという間に殲滅してしまいます。
 重度の偏執狂を持つ人間と接触する機会はなかなかありませんが、この映画を見ていますと、ほんと彼らと自分とのちがいがよく解らなくなってきました。ふと、フランスの古典映画「まぼろしの市街戦(1966年)」を思い出しました。イギリス軍の追撃から敗走するドイツ軍がフランスのとある田舎町に時限爆弾を仕掛けて行きます。追ってきたイギリス軍を吹っ飛ばすためです。情報を得た町の人たちは非難して町から出て行きますが、警告に従わない精神病院の患者たちは、誰もいなくなった町にあふれだし、思い思いの自分を演じます。主人公のイギリスの通信兵によって時限爆弾が解除されると、ドイツ軍が舞い戻り、イギリスの偵察隊と鉢合わせしてしまい、彼らは即座に撃ち合いを始め双方とも全滅してしまいます。傍観していた精神異常者たちは、こんな狂気の沙汰はごめんだと、元の平和な病院へ帰ってゆきます。「まぼろしの市街戦」は狂人に戦争の狂気を笑い飛ばさせる戦争批判映画の名作ですが、非常な経済社会に生きている我々だって他人事ではありません。自己の思いに過度に固執する人間が精神異常だというなら、競争や格差を宿命と盲信して同じ人間同士憎み合っている我々はどうなのでしょう。
 ヨングンとイルスンは、やがてより大きな電力を雷から得ることを思いつき、病院から脱走しますが、2人は自分たちでは気づかないまま恋に落ちているんですね。さわやかだ。

 なんだか、図らずも2本の映画を紹介してしまったような次第ですが、この名作がパク・チャヌク監督の前作前々作よりも興行成績が揮わなかったというのは、とっても残念な気がします。この作品をこそもっと大勢の人たちに観てほしかった、そう思います。笑いと涙と、そして考えさせられること山盛りの、愛蔵して何度も観かえすべき名作です。

2006年公開、107分。日本公開は2007年。
監督:パク・チャヌク、脚本:パク・チャヌク、チョン・ソギョン。
出演:ピ、 イム・スジョン 、 チェ・ヒジン、 イ・ヨンニョ、キム・ビョンオクほか。

箪笥(たんす)

2014/12/29

 この映画が公開された頃、日本でも韓国のホラーが恐ろしいと話題になっていました。ジャパンホラーもたいがいキツいけれど、韓国ホラーも負けてはいないと。残酷描写や役者の体当たり演技への容赦のなさから、韓国ホラーの方がかなりキツいと言う人もいましす。別項でも申しましたが、筆者はホラー系の映画をあまり怖いと思ったことがありません。子供の頃はとても怖がりで、田舎の古い家や夜の学校や山林など、怖いものだらけでしたが、いつの頃からか、あまり怖いと思わなくなったんですね。脳神経がバカになったのでしょうか。ホラー好きのみなさんは、どういう思いでホラー映画を見ますか? 恐怖体験をしたい、思いっきりびびって、もらしたり夜眠れなくなったりしたいと思ってですか? それは悪趣味というものですね。人間には怖いもの見たさという奇妙な衝動があるようで、自分の身に直接降りかからない残酷なもの猟奇的なものに対する好奇心というのを充足させたいという難儀な欲求があるようですね。まぁそれも悪趣味といえばそうなんですが、そういう欲求が実際にあるのだから仕方ありません。
 ホラー映画が怖くない筆者ですが、何だか変な夢を見て夜中に目を覚ますと、未知なるもの、幽霊とかそういうのが無性に恐ろしくなることがあります。でもすぐに眠ってしまって、浅めが覚めるとなんであんなに怖かったのかが思い出せないんですね。とにかくとてもイヤな経験で、できれば二度とごめんだと思うのですが、その恐怖心を忘れてしまっているもので、またホラー映画を観たりするわけですよ、夜に独りで。
 筆者がホラー映画に求めるものは……、そうですねぇ、音と飛び出す映像でビックリさせる系のものよりも、ジワーッと来る恐怖ですか。映像的にもシチュエーション的にも作り手のセンスが光るような、そういう作品に感銘を受けます。また、恐怖映画には不衛生なものがつきものですが、やたら不潔なだけってのはいただけないですね。グロテスクと不潔はちがいますって。スプラッターにも芸術性というものが必要なのです。現実のグロテスクと映像のそれとではリアリティにもちがいがあることを作り手が解ってないと、とても悲惨なことになります。

 この作品は、映像にもシチュエーションにも、そしてストーリーにもすっかり感動させられました。まさに待ちわびだホラーの傑作です。日本公開か10年になりますが、いまだにこの作品を越えるホラーは作られていないと筆者は思っています。
 湖のほとりに建つ旧家に、スミとスヨンの姉妹を乗せたタクシーが止まります。母を亡くし、父が再婚したので、これから姉妹と父と義母の4人での暮らしが始まるのです。スミは若く美しい義母の笑顔の裏に冷酷な感情が隠されているのを見抜き、彼女のことが好きになれません。それを裏づけるように妹のスヨンも義母を怖がるようになります。義母ウンジュの様子がおかしい、妹も怖がっているとスミは訴えますが、父は取り合おうとしません。そして家族の身にさまざまな奇怪な出来事が起きるようになります。
 貞子系の恐ろしい幽霊が2度ほど登場しますよ。苦手な方は目を伏せた方がよろしいかと。恐怖レベルはかなりハイです。生前の姉妹の実母は、精神を病んでいて自殺してしまうのですが、スミはじつは義母のウンジュが後妻に収まる目的で殺害したのではないかと疑っています。そしてとうとうスヨンがウンジュによって箪笥に閉じ込められてしまいます。スヨンがウンジュの可愛がっていた小鳥を殺したと思ったからです。
 スミは、再三にわたり父に助けを求めますが、「もういい加減にしてくれ」父は悲壮な表情で言い残し家を出てしまいます。ウンジュと共に取り残された家、そこでスミは、血まみれの布袋とそれをひきずった血の痕を見つけます。

 父がなぜ、スミの言うことにまったく取り合おうとしないのか、ウンジュにスヨンが殺されると言ってすがるスミを「もういい加減にしてくれ」とたしなめる父親の目が、逆にすがるように彼女を見つめるのは何故なのか、この辺りに家族を巻きこんだ恐ろしい現象の謎を解く鍵があります。もっとも父親の次の決定的な言葉で、すべての謎は明らかにされてしまうのですが。……映画をたくさん映画を観ている聡明な方なら、それまでに謎を解いていたかも知れませんが。
 美しい少女の姉妹が巻きこまれる恐ろしい出来事、それだけで筆者としてはかなりひいき目で見てしまうわけですが、この作品は家や風景といった美術にもひじょうにこだわり、丹念に作られたそうです。実写では不可能な視覚効果を作り出すためにCGも多用されたそうですが、どこがCGなのかは判らないです。CGによってよりリアルに美しく見せる技巧がたくさん用いられています。
 ラストで、スミの身に降りかかる真実はとっても切ないです。そして頼りない父や憎むべき義母の立場が一変してしまいます。謎を最後まで解けなかった方は幸いです。驚くべき真相がまるで自分のことのように観客を襲い、深い感慨に包まれます。透明感のあるたいへん美しい風景を背景に少女たちを見舞った怪奇現象の真相は、とても悲しくその悲しみさえもが美しいです。

 スミを演じるのは、先日紹介した「サイボーグでも大丈夫」でも主人公のヨングンを演じているイム・スジョンです。適役でした。10年も経った今では、彼女も少女から女性に転身していますね。スミは堂々巡りの深淵に幽閉されてしまいましたが。

監督、脚本:キム・ジウン
出演:イム・スジョン、ムン・グニョン、ヨム・ジョンア、キム・ガプスほか。
2003年、115分。日本公開は2004年。

愛の棘

2015/01/01

 明けましておめでとうございます。今年はのっけから映画評です。映画好きの筆者は、このブログを韓流映画でいっぱいにして、そのうちK-POPの内容を上回ってやろうかとも目論んでいる次第です。韓国映画を観るようになったきっかけもK-POPなので、じつは筆者の韓国映画歴はまだひじょうに日が浅いわけで、観た作品数もそれほど多くはないうえに、そのすべてがブログで紹介したいって内容であったわけでもないので、韓流映画侵食作戦が功を奏する確率はそんなに高くないと思われますが、まぁせいぜい頑張りますよ。

 純情可憐な女子高校生が、教師相手に魔性をあらわにするサスペンスです。題材的にもストーリー的にも、それほど斬新ではありませんが、女子高生と教師(しかも既婚)とのタブーというテーマには、心を動かされる人も少なくないのではないでしょうか。
 プロのラグビー選手を目指していたジュンギは、夢かなわず女子校の体育教師に就任するも、教職に情熱を燃やすことができません。適当に日々を過ごしている彼の心のスキを突くように、美形の女子高生ヨンウンが接近してきます。彼女はジュンギに思いをぶつけることに迷いがありません。ジュンギにはすでに妻もありましたが、彼はヨンウンに異性に対する甘いときめきを喚起させられてしまいます。
 雨の放課後、ずぶ濡れのヨンウンと学校で2人きりになったジュンギはついに自制を解いてしまいます。  一方、妻のソヨンは、生計の足しにと友人の紹介で家庭教師をすることにしますが、教えることになった生徒というのが、あろうことかヨンウンだったのです。ジュンギとの秘密を抱えたままヨンウンは、夫婦の生活の中に入り込んできます。

 この映画を観て、筆者は「クロエ」という洋画を思い出しました。清純派女優アマンダ・セイフライドが大胆なヌードを披露したこの作品も、夫の浮気相手が家庭に侵食してくるサスペンスです。洋画の方では、妻が夫の気持ちを確かめるためにクロエという娘に夫を誘惑させるという、いささか複雑な事情が絡みますが、そこへゆくと本作「愛の棘」はもう少し単純なストーリーだと言えます。
 ただ、夫婦の生活に浸入し始めてからのヨンウンの次第に大胆になる行動はかなり強烈です。純真な笑顔で、自分こそがジュンギと本当の愛を交わしていると主張し、妻のソヨンと対峙します。ソヨンの方もそれはいつわりだとヨンウンをののしり、2人の立場は同年代の女性のようになってしまいます。
 そしてヨンウンは、ジュンギの子供を妊娠していることを打ち明け、ソヨンもやがて生まれてくる自分の子供とその家庭を守るために、思い切った行動に出ます。前半はジュンギとヨンウンの禁忌の恋という、なんとも切ない雰囲気のラブストーリーですが、後半はヨンウンとソヨンによる女の戦いになります。純粋に愛を貫こうとするがゆえに徐々に怪物になってゆくヨンウンとそれに負けじと大胆な行動に出るソヨンの戦いは、かなり熾烈です。

 幕引きがどうなるのかについては申せませんが、ラストも「クロエ」を彷彿させるものでした。「愛の棘」の作者が「クロエ」を意識したのかどうかは判りませんが。ただ、双方の作品とも、ストーリー的にもっとも自然で、あるべき終わり方だったと思います。
 この作品の面白さは、前半パートのラブストーリーと、後半のサスペンスシーンの2部構成が上手く調和していて、恋する少女の心情、恋する心を思い出した男の心情、生まれてくる子の未来と妻のプライドを守りたい女の心情という三角関係が、話しが進むにつれて異様な方向に加速して行き、止められなくなってしまうという展開にあります。観客は甘く切ない、そして激しく、猟奇的な、人間の恋愛にまつわる様々な心情を目の当たりにします。
 ジュンギとヨンウンの禁断の恋で始まったお話しが、いつしかジュンギが脇役になり、ヨンウンとソヨンの女の対決に移行して行く様も、それぞれの心情が生々しく伝わってきて、観ているうちにすっかり感情移入してしまいます。

 たくさん映画を観ている人にとっては、ありがちなサスペンスだと映るかもしれませんが、映像とストーリーの明暗と動静の対比がひじょうに巧みで目が放せません。前半のラブストーリーでは、チョ・ボアの演じる女子高生ヨンウンが爽やかなお色気を放ち、とても瑞々しい映像美が広がります。そんな美しい日常に、純愛という凶器が恐ろしい非日常を持ち込みます。
 大人と子供の間を揺れる高校生の中に潜む怖い部分、平穏で穏やかな日常を脅かされた妻が見せる強い一面、その怖さと強さの双方に狂気が含まれているさまを、みなさもぜひ目撃してください。

2014年公開、118分。同年日本公開。
監督:キム・テギュン。
出演:チャン・ヒョク、チョ・ボア、ソン・ウソン、イ・ドアほか。

メビウス

2015/01/03

 久々になかなか変な映画を観ました。とてもいい感じに変だったので、紹介したいと思います。日本ではR18指定ですので、高校生以下の人は観てはいけまへん。主役の1人に高校生がいますけど。変といってもシュールレアリスムとか、ナンセンスとか、そんな類のものではなくて、キム・ギドクという監督が人間を追求するとこうなるという、ある意味リアルよりもリアルな人間ドラマです。本編にはセリフが一切ありません。言葉による表現を超えた心情描写には必要なことだったのでしょう。映画紹介の某サイトには字幕版と書かれてありましたが、もちろん字幕なんてありません。
 保険金詐欺という題材で、韓国の貧民層を襲う恐怖を描いた「嘆きのピエタ」という映画もドロドロでしたが、本作品はさらにドロドロで汗くさいです。セリフがない分、役者の表情や仕種の細部がより饒舌であると言えます。
「嘆きのピエタ」でもゆがんだ家族関係が浮き彫りにされますが、本作のそれはさらにゆがんでいて生々しいです。  夫の浮気に逆上した妻は、夫の性器を切り落とそうとして失敗し、そのまま高校生の息子の部屋に侵入し、息子の性器を切断してしまいます。妻は行方をくらまし、父と息子の苦悩の暮らしが始まります。学校で小用に失敗するところを友人に見つかり、彼はイジメに遇います。息子はとある独り暮らしの女性と知り合いますが、その女性が暴漢に襲われるのを助けに入った騒動で、逮捕されてしまいます。息子の悲惨な境遇に耐えかねた父は、病院に行き、自らの性器を切断し、息子に移植することを考えます。またネットで性器がなくても自慰をする方法を調べ、それを息子に伝えます。息子が釈放されると、父は彼を病院に連れて行き、性器を再生する手術を受けさせます。

 いかがです? 変な映画でしょう? 「嘆きのピエタ」では、主人公は、貧しい労働者に金を貸し、代わりに保険に契約させ、返済できない場合は、負債者の手などを事故に見せかけて切断させ、降りた保険金で返済させるという保険金詐欺をやっています。返せないのなら障害者になれ、それで円満に解決できる。淡々とそう語り負債者の手が機械に巻きこまれて砕けるのを傍観します。とても痛くて胸が締めつけられるシチュエーションですが、「メビウス」では、母親に性器を切り落とされるというさらにレベルアップした苦痛が生々しく描かれます。また被害者の苦痛とその後が入念に描かれるところが強烈です。
 自分の浮気が原因で、息子が妻によって不能者にされてしまう。信じられないような悲劇が、彼を息子への献身に駆り立て、母がいなくなった家庭で父子の奇妙な愛情が育まれます。悲壮感に満ちた父と、父の献身を無表情にそして従順に受け止める息子。それは息子にとっては終わらないショック状態のようにも見えます。また、息子が出会い性欲をかき立てられる独り暮らしの女というのが、父の浮気相手だったりします。
 夫の浮気に対する怒りを息子に向ける母の心情は何なのでしょう。怒り狂った彼女にとっては夫への復讐がもはや男への怒りになってしまっているのでしょうか。また母を演じるイ・ウヌは夫の浮気相手にして息子が関わることになる女の二役を演じています。この二役にも、女というシンボリズムのようなものを感じます。人の"性"はかくも壮絶に人の狂気や絆といったものを浮き彫りにするものなのでしょうか。性という文字は、セイともサガとも読めますが、この文字にもなんだか象徴性を感じてしまいます。
 強烈な映画でした。寝ている息子にナイフを使う母というシチュエーションも強烈ですが、性器を失くした男の自慰というのがまた壮絶です。そして全編セリフなしという表現も、この映画の題材と相まって異様で、息づかいや叫びが前面に押し出されて来て耳を覆いたくなるほどです。

 「嘆きのピエタ」では、貧窮する労働者を襲う保険金詐欺という問題が、韓国の現実社会を直接的に批判していて、テーマ性がかなり明確ですが、本作品は社会批判とは関係なく、人間が抱えている性とそれにまつわる愛憎という捉えようがなくかつ深刻な問題にメスを入れているところが、まるで内蔵をえぐられるようで恐ろしいです。あなたもその体の奥底に暗く恐ろしいものを隠し持っているだろう、そんなキム・ギドク監督の声が聞こえてきます。
 この映画は前作よりも、観客の捉え方にかなり幅ができると思われますが、人の内面をえぐり出すことにかけては、キム・ギドク監督は情け容赦のない人だなと思いました。

  2013年、83分。日本公開は2014年

監督、脚本:キム・ギドク。 出演:チョ・ジェヒョン、ソ・ヨンジュ、イ・ウヌほか。

ある会社員

2015/01/08


 まじめで控えめで物静かなある会社員。彼の勤める会社のとある部署では、殺人を請け負っています。彼チ・ヒョンドは、その課のエリートだったりします。世間体は堅実な勤め人ですが、裏稼業での彼は冷淡に手際よく人を殺し、証拠も残さない殺人のプロです。そんな彼に当たり前の幸せが望めるわけがありません。しかしある女性ユ・ミヨンに出会ってしまったことから、歯車が狂いだします。
 元ミュージシャンだった彼女は、ヒョンドが若い頃に憧れたアイドルでした。若い頃に好きだった音楽と女性との出会いが、彼に普通の人間だった頃を思い起こさせます。ヒョンドがミヨンとの普通の生活を欲し、殺人課を抜ける決意をするに至るのは、ごく自然な流れでした。しかしながら、組織はそれを認めません。ヒョンドとミヨンに追撃者が迫ります。

 スーツの似合う物静かなサラリーマン、虫も殺さぬような温厚な勤め人。ところが彼の裏稼業は迅速に証拠も残さずに人を消し去る殺し屋。この役を演じるのにソ・ジソプほどの適任はいないと思いました。スーツを着て穏やかな笑顔で会社の廊下を歩く姿は、いかにも勤勉で真面目な会社員ですが、作戦活動時には冷徹で無表情に人を殺す仕事人です。脱いだらすごいんです、という某CMのキャッチフレーズじゃないけれど、スーツの下に鍛え上げられたマッスルな肉体を隠しているところまでもが適役です。彼が演じているというだけで、この作品を好きになってしまいます。
 でも、最近の若手の評論家は辛口の人が多いですね。映画評のブログをよく見させていただくのですが、ほんと辛口の評価が目立ちます。興ざめ、蛇足、虚しい、白々しい、そんな表現がよく目につきます。今の優秀な評論家たちを感動させるには、いったいどんな映画を作れば良いのでしょう。たいていの映画に感銘を覚える自分がバカで低能に思えてきます。そんなに酷評するなら自分で映画作れよ、って言いたくなります。

 バイオレンスシーンは一流です。すごい迫力です。クライマックスでは、防弾チョッキと大量の銃器でヒョンドは会社に乗り込むのですが、迎え撃つのはいずれも普通のサラリーマンで、若い女子社員まで機関銃を構えています。ごくありふれたオフィスに壮絶なバイオレンスを持ち込んでいるところが、戦場での流血よりも生々しく痛々しいです。バイオレンス映像をさんざん見飽きているような方でも、この映画のクライマックスには目を見張るのではないでしょうか。多勢に無勢の銃撃戦に現実味がなく興ざめだといった評価をされている方もいましだが。
 韓国は、近年経済および科学技術が急成長した国ですが、その一方で北朝鮮と政治的にたいへんきな臭い問題を抱えています。日常の裏側に潜む危険というシチュエーションは映画に限ったことではなく、平凡で平和な町の裏側で諜報活動や暗殺が暗躍しているとも言われています。もちろん日本にだって裏社会は実在します。それを思うと、普通の会社の壁一枚隔てたところに殺人課が存在するというシチュエーションも現実味を帯びてきます。
 ある会社員(A COMPANY MAN)というタイトルも、それが単調で無機質な単語であるところにいっそう迫力を感じ、センスのいい題名だなぁと思います。

2012年公開、96分。日本公開は2013年 R15+。
監督、脚本:イム・サンユン。
出演:ソ・ジソプ、イ・ミヨン、クァク・ドウォン、イ・ギョンヨンほか。

テロ,ライブ

2015/01/17


 とあるラジオ番組のオンエア中に、爆破予告が届きます。番組を担当していたアナウンサー ユン・ヨンファは最初それをたちの悪い冗談だと思って取り合いませんでしたが、予告どおりに橋が爆破され、ヨンファは爆破テロの独占実況の機会を得て、不祥事で降板させられたテレビのニュースに返り咲きます。麻浦大橋では爆破によって寸断された道路が、バランスを失って今にも崩落しそうです。かつて大橋建造に携わった労働者が何人もそこで命を落としたにも関わらず、国はろくな保証もしなかったとし、テロリストは巨額の金と大統領の直接謝罪を要求します。
 犯人との会話の中継と、連続して起こる爆破、ニュースの視聴率は急上昇して行きます。犯人が爆破を中止し、救助隊が現場に接近しなければ、橋に取り残された人々の命はありません。しかし韓国政府はテロの要求には屈しない構えです。
 独自の情報網を使って犯人の特定に成功した警察は、テロ中継に犯人の意識を集中させておいて機動部隊に急襲させようとします。警視長官が番組に出演し、強気の姿勢で犯人を罵倒しますが、イヤホンに仕組まれていた爆弾で爆死してしまいます。そしてヨンファのイヤホンにも爆弾が仕掛けられており、席を立つと起爆する仕組みであることが、犯人から彼だけに告げられます。警視長官の番組中での死亡という非常事態でも、彼は席を立てず番組を続けなければなりません。しかもそれを周りの人間に告げることもできません。
 犯人はなぜ彼を選んだのか。その背景には麻浦大橋建設で命を落とした、とある労働者の思いが秘められていました。ヨンファはかつていつわりない真実を語る正義のキャスターでした。それが今や大勢の人名を危険にさらしているテロを出世に利用しようとしているのです。  大橋に取り残された人の中には、彼の同僚の女性アナウンサーも含まれます。犯人が爆破を中止しなければ、彼女の命も風前の灯火です。そこへ大統領が自らがヨンファのいるテレビ局に向かっているという情報が届きます。犯人の要求である大統領の謝罪は叶うのでしょうか。

 テレビニュースのライヴ中継さながらの映像に大橋爆破の様子が映し出されるのが、とてもリアルで臨場感があります。取り残された人々の様子が、望遠カメラで狙った映像で中継されるのも生々しく、すぐそこで実際に起きている事件を見ているような気持ちになります。これまでにも震災やビル火災といった災害を扱ったパニック映画はいろいろありましたが、この作品は危険からの脱出劇ではなく、テレビニュースの現場と、生中継される犯人とのやりとりをリアルタイムに描くことによって息詰まる緊張感を産み出しています。
 なんとか犯人の裏をかいて事件を解決したい警察とテレビ局、そしてテレビ局には犯人との会話を独占中継することで視聴率を獲得するという思惑も混じります。
 番組に出演した警視長官が爆死し、しかも真犯人と目した人物は見当違い、国と警察の汚名をさらし続けることに不安を覚えたテレビ局の責任者は番組の打ち切りを決断しますが、ヨンファは番組を続けなければ自分の命がありません。大統領は謝罪という簡単なことさえ拒み、また新たに犠牲者を増やすことになる、犯人の言動にヨンファは、もう少し時間をくれ、大統領がこちらへ向かっているという情報が入ったと伝えます。国家権力の威信を守るためテロには屈しないという姿勢を崩して、大統領は公の前に姿を現すのでしょうか。

 刻々と迫る刻限の中で、様々な人間のいろんな思惑が錯綜し、事件はますます混迷を極めて行きます。そうした中で、人々の人間性というものも露呈して行きます。人は他人や自らの命の危険の中でも、名誉や出世や国の威信というものを貫くことができるのでしょうか。過酷な労働現場で命を落として行った労働者たちと同じ現場で、命の危険にさらされている人たち。社会的な正義だけで犯人を悪と断じることができるのでしょうか。
 爆破テロ犯との独占中継に、千載一遇の好機と食いついたヨンファでしたが、犯人とのやりとりの内に、自分がかつて真実を語るプライドを持っていたことを思い出します。橋建設の犠牲になった労働者たちの無念を晴らすという情熱を抱く犯人に対し、国やテレビ業界は非情で打算的で、欺瞞に満ちあふれています。

 人や社会が守るべき正義とは何でしょう。人や社会が執着する名誉や威信とは何でしょう。その前に人は人間であるべきではないのか、リアルタイムに進行する凶悪な爆破テロの壮絶な映像の背景に、観客は人間の裸の心を目の当たりにします。そして多くの人々を擁する社会とはなんなのかについて考えさせられます。
 これは迫力のパニック映画という外観を装ったとても熱い人間ドラマです。この感動的な名作をぜひ大勢の人々に観てもらいたいと思うのですが、日本ではロードショー公開は小劇場限定で、大劇場上映作品のようなコマーシャルもされませんでした。
 ひと頃、筆者は大劇場にばかり足を運んで、小さな劇場とは疎遠になっていたことがありましたが、韓流映画の秀作に出会ってからまた小劇場にも足を運ぶようになり、韓国映画はもとより、邦画や洋画の名作にも巡りあるようになりました。映画ってほんとうにいいですね。最近、映画館の椅子に体を静めている時、あるいは自宅でモニターに見入っている時、大きな幸せを感じます。

2013年公開、98分。日本公開は2014年。
監督、脚本:キム・ビョンウ。
出演:ハ・ジョンウ、イ・ギョンヨン、チョン・ヘジン、イ・デビッド、キム・ホンパほか。

7番房の奇跡

2015/01/18


 国民参加の模擬裁判で、女性弁護士イェスンは、古い死刑囚の無実を晴らそうと法廷に立ちます。傍聴席には彼女の幼少の頃に大切な一時を過ごした人たちの顔ぶれが見えます。少女がまだ6歳だった頃、事件は起きました。少女の父ヨングは、知能障害を抱えながらも娘と仲良く暮らしていました。ヨングは娘が欲しがっていたセーラームーンのランドセルを背負った少女を見つけ、思わずその後を追ってしまいますが、雨の中に倒れて動かない少女を見つけます。ヨングは習った覚えのある蘇生術を試みようと、少女の衣服をゆるめ人工呼吸をするのですが、幼い命を救うことはできませんでした。ところがその行為が、少女をつけ回し押し倒して服を脱がせようとしたり暴行しようとしていたとの目撃証言に発展してしまい、彼は殺人罪で起訴されることになります。
 裁判を待つ間、収監された監房で、彼は囚人たちから幼女殺しの変質者と罵られ虐待されます。同署の課長は、過去に誘拐殺人で子供を失っており、ヨングをことさら憎んでいました。ところがヨングを観察するうちに、彼が子供を殺すような人間ではないと確信するようになり、彼の容疑を晴らそうと奔走します。また、同房の囚人たちも次第にヨングに親しみを覚え、彼の無罪を信じるようになり、みんなで一計を講じて彼の娘を監房に連れ込みます。  一方、愛娘を失った警視長官の怒りは収まらず、真犯人は彼ではないという課長の進言にも耳を貸さず、ヨングを死刑にしようとします。長官は自分の権限を悪用してヨングに近づき、娘を失いたくなければ裁判で罪を認めろと脅迫します。
 ヨングは、苦しんだあげく、裁判でこれまでの態度を一変させ、自分が殺したと自供します。彼の自白により死刑が確定してしまいます。

 知能障害の父と6歳になるその娘は、とても仲のよい親子でした。しっかりものの娘が父を気遣い、娘と一緒にアニメの歌を歌う父は、親子というより親友同士でした。それでも父は、父親らしく娘が欲しがっていたセーラームーンのランドセルを買うために貯めたお金を握って店を訪れますが、それは売り切れたあとでした。そして偶然にも目当てのランドセルを背負った女の子を見つけ、思わず後を追ってしまったことから悲劇が始まります。
 殺人容疑、服役、突然引き離されることになった父と娘。過去に自分の子を誘拐殺人で失った課長は、幼女殺しの変質者が許せません。自分の手で殺してやりたいとさえ思っているその囚人を見ているうちに、彼の思いは徐々に変わって行きます。彼は人を殺すような人間だろうか。一方彼と同房の囚人たちも彼の優しさ実直さに触れ、だんだん彼のことが好きになって行きます。
 様々な犯罪に手を染めた囚人たちは、その悪知恵を生かして彼の娘を監房の中に連れ込んでしまいます。しかし父娘が共に過ごせる時間は長くありませんでした。怒り狂う権力者の陰謀で、彼は陥れられ死刑が確定します。
 このまま逝かせてたまるか、囚人たちは仲のいい親子に感化され、いい人たちに変貌して行きます。2人を塀の外へ脱出させるために、彼らは再び知恵をしぼります。

 時が過ぎ、被害者の親が警察局の権威だったということで大した取り調べもされずに刑が確定してしまった少女殺人事件の死刑囚の汚名を晴らすべく、模擬裁判が実施されました。弁護士は知的障害を抱えた父を持つイェスン、すなわち死刑囚ヨングの娘です。養父として彼女を育てた当時の課長も真剣に裁判を見守ります。傍聴席には今は出所したかつての7番房の囚人だった面々もそろっています。
 事件当時、雨の中で足を滑らせた被害者の少女が、不幸にも転倒して頭部を損傷して即死し、そこへ駆けつけた容疑者のヨングが彼女を救おうとした行為が、第三者によって、少女を押し倒していたずらしたあげく殺害したというふうに見られてしまったという事実が、弁護士によって語られます。容疑者の知的障害をいいことに、警察はろくに調査もせずに彼を一方的に犯人と決めつけ、被害者の警視長官の思惑どおりに死刑が確定した。もしも入念に調査され少女の死因がきちんと特定されていれば、幼い少女の命を奪ったものが悲しい事故であったことが判明し、容疑者の有罪が認められることもなかった。模擬裁判は、弁護士の主張を全面的に受け入れ、容疑者の無罪を言い渡します。
 法廷を後にし、空を見上げて「父さん、私はあなたを許します」そう言ったイェスンの表情は、涙に濡れながらも晴れやかでした。

 権力によって人の運命が不当にゆがめられてしまうことへの義憤を描いた作品はたくさんありますが、この映画では、親友同士のように仲のよい父娘が、心ない権力者によって悲しい運命に突き落とされます。知的障害のある父は、自分の思いを周りに上手く説明することもできず、最初は周りをいらだたせますが、彼の誠意は少しずつ周りの人間を変えて行きます。囚人たちの間に人間の絆が生まれ、かたくなだった課長の心をも溶かしてしまいます。凶悪犯によって子供を殺され、気力もなく囚人たちの監視を続けるだけだった課長の正義心が蘇り、彼は事件の真相を明らかにするために立ち上がります。もっとも憎むべき子供殺しの罪を晴らそうと言うのです。これまで身勝手に自分本意の生き方を続けてきた罪人たちも、力を合せて奇跡を起こそうとします。
 とても悲しいお話しですが、父と娘、そして囚人たちの演技がとてもコミカルで笑えます。みんな純粋で子供染みていて一生懸命で、そのひとつひとつがおかしくて、とってもおかしくて……涙が止まりません。
 笑いと涙といえば、サイレント時代の喜劇王チャプリンの十八番ですが、その表現は21世紀の現在でも人々の心をしっかりと捉えます。世の中がどんどん変わってゆき、人々の暮らしも心さえも変わってしまっても、変わってはいけないものがある、ふとそんなことを思いました。映画も"笑いと涙"の思想をずっと持ち続けてほしいと思います。  劇中に流れる美少女戦士セーラームーンの主題歌「ムーンライト伝説」の韓国版が、オタクな筆者にはとても印象的でした。

2013年公開、127分。日本公開は2014年。
監督、脚本:イ・ファンギョン。
出演:リュ・スンリョン、パク・シネ、カル・ソウオン、チョン・ジニョン、オ・ダルス、パク・ウオンサン、キム・ジョンテ、チョン・マンシク、キム・ギチョンほか。

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